ヴァン・ヘイレン、東京公演の先行予約は6月27日(水)から
14年振りのヴァン・ヘイレン・ジャパン・ツアーはプレミアチケットになること間違いなしだが、その東京公演の先行予約がユニバーサル ミュージックHR/HM専門ニュースレター「鋼鉄倶楽部(メタル・クラブ)」のニュースレター会員限定で6月27日(水)から実施されることが決定した。
◆ヴァン・ヘイレン画像
1978年、テッド・テンプルマンのプロデュースにて完成したアルバム『炎の導火線』は、彗星のごとくシーンに登場したヴァン・ヘイレンを、一躍ヒーローにするに十分なエポックメイキングな名盤であった。
名だたるギタリストに「音を聴いただけではどのように演奏しているかわからない」と言わしめた、エドワード・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法をはじめとする革新的なギター・テクニックと、プレキシ・マーシャルをフルドライブさせた絶品のブラウンサウンドは、それまでのハードロック・ギターの概念を覆すほどのインパクトとエネルギーを放っていたものだ。
そしてステージ上をワイルドかつセクシーに駆け巡り、強烈なパーティーパワーで観るものを虜にするデイヴィッド・リー・ロス(vo)のステージ・アクションと相まり、4人のメンバーが一体となって生み出すサウンドとパフォーマンスは、これまで誰も観た事も聴いた事もない爆発力に満ち溢れており、ファンの心を鷲掴みにした。
そして、デビューのこの年早くも初来日公演を行い、日本のファンを一撃ノックアウト。1979年の再来日公演も歓呼をもって迎えられた。
バンドはアルバムをリリースする毎にセールスを伸ばし、1984年のアルバム『1984』収録曲「ジャンプ」はシングル・チャート5週連続No.1を獲得、頂点を極めることとなる。大ヒット・アルバムを携えて1月18日からスタートした北米ツアーは101公演に及び、8月~9月はヨーロッパで<モンスター・オブ・ロック>に参加。各地でオーディエンスを熱狂させた。
しかし、翌年デイヴィッド・リー・ロスが突如として脱退を表明。日本のファンが熱望した<1984 ジャパン・ツアー>は叶わぬまま第一期ヴァン・ヘイレンは幕を閉じた。その後、サミー・ヘイガー、ゲイリー・シェローンを迎え入れシーンのトップを走り続けていたヴァン・ヘイレンだったが、1999年にエディの癌及び、腰の手術で活動は徐々に途絶えがちになっていく。
そんな状況の中、2007年2月2日に届いたニュースにファンは歓喜した。「ヴァン・ヘイレン再始動、そしてデイヴィッド・リー・ロスが復帰しての北米ツアーが決定」というものである。誰もが望みながらも叶わぬと諦めていたデイヴ復帰が遂に現実のものになるというのだ。当初予定していた日程はエディの体調不良によりキャンセルされたものの、9月から12月にかけてツアーが実現。しかし、このツアーは北米のみで行なわれ、またしても日本のファンの願いは届かなかった。
2012年1月5日。ニューヨークのキャパ250名のクラブでプレス向けに行なわれたシークレット・ライヴで、ニュー・アルバムのリリースとツアー開催がアナウンスされた。デイヴィッド・リー・ロス復帰後初めてのアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』は2月にリリースされ、全米チャートNo.2を記録。時を同じくして北米ツアーもスタート。ヴァン・ヘイレンは本格的に再始動した。そして、遂に日本のファンが待ち望んだジャパン・ツアーが決定したというわけだ。
デイヴィッド・リー・ロスをフロントマンに据えたヴァン・ヘイレンの来日は1979年以来、なんと33年振り。デビュー当時からの大ヒット曲に加え、全米でも大ヒットを記録したニュー・アルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』からも「現在のヴァン・ヘイレン」がここ日本でもプレイされる。多くのファンが待ちに待ったジャパン・ツアー。歴史に新たな1ページを刻む瞬間の目撃者になるのは我々だ。
<ヴァン・ヘイレンジャパンツアー>
11月20日(火)大阪: 大阪市中央体育館
11月27日(火)東京: 東京ドーム
[問]ウドー音楽事務所 udo.jp 03-3402-5999
http://udo.jp
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◆ヴァン・ヘイレン画像
1978年、テッド・テンプルマンのプロデュースにて完成したアルバム『炎の導火線』は、彗星のごとくシーンに登場したヴァン・ヘイレンを、一躍ヒーローにするに十分なエポックメイキングな名盤であった。
名だたるギタリストに「音を聴いただけではどのように演奏しているかわからない」と言わしめた、エドワード・ヴァン・ヘイレンのライトハンド奏法をはじめとする革新的なギター・テクニックと、プレキシ・マーシャルをフルドライブさせた絶品のブラウンサウンドは、それまでのハードロック・ギターの概念を覆すほどのインパクトとエネルギーを放っていたものだ。
そしてステージ上をワイルドかつセクシーに駆け巡り、強烈なパーティーパワーで観るものを虜にするデイヴィッド・リー・ロス(vo)のステージ・アクションと相まり、4人のメンバーが一体となって生み出すサウンドとパフォーマンスは、これまで誰も観た事も聴いた事もない爆発力に満ち溢れており、ファンの心を鷲掴みにした。
そして、デビューのこの年早くも初来日公演を行い、日本のファンを一撃ノックアウト。1979年の再来日公演も歓呼をもって迎えられた。
バンドはアルバムをリリースする毎にセールスを伸ばし、1984年のアルバム『1984』収録曲「ジャンプ」はシングル・チャート5週連続No.1を獲得、頂点を極めることとなる。大ヒット・アルバムを携えて1月18日からスタートした北米ツアーは101公演に及び、8月~9月はヨーロッパで<モンスター・オブ・ロック>に参加。各地でオーディエンスを熱狂させた。
しかし、翌年デイヴィッド・リー・ロスが突如として脱退を表明。日本のファンが熱望した<1984 ジャパン・ツアー>は叶わぬまま第一期ヴァン・ヘイレンは幕を閉じた。その後、サミー・ヘイガー、ゲイリー・シェローンを迎え入れシーンのトップを走り続けていたヴァン・ヘイレンだったが、1999年にエディの癌及び、腰の手術で活動は徐々に途絶えがちになっていく。
そんな状況の中、2007年2月2日に届いたニュースにファンは歓喜した。「ヴァン・ヘイレン再始動、そしてデイヴィッド・リー・ロスが復帰しての北米ツアーが決定」というものである。誰もが望みながらも叶わぬと諦めていたデイヴ復帰が遂に現実のものになるというのだ。当初予定していた日程はエディの体調不良によりキャンセルされたものの、9月から12月にかけてツアーが実現。しかし、このツアーは北米のみで行なわれ、またしても日本のファンの願いは届かなかった。
2012年1月5日。ニューヨークのキャパ250名のクラブでプレス向けに行なわれたシークレット・ライヴで、ニュー・アルバムのリリースとツアー開催がアナウンスされた。デイヴィッド・リー・ロス復帰後初めてのアルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』は2月にリリースされ、全米チャートNo.2を記録。時を同じくして北米ツアーもスタート。ヴァン・ヘイレンは本格的に再始動した。そして、遂に日本のファンが待ち望んだジャパン・ツアーが決定したというわけだ。
デイヴィッド・リー・ロスをフロントマンに据えたヴァン・ヘイレンの来日は1979年以来、なんと33年振り。デビュー当時からの大ヒット曲に加え、全米でも大ヒットを記録したニュー・アルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・トゥルース』からも「現在のヴァン・ヘイレン」がここ日本でもプレイされる。多くのファンが待ちに待ったジャパン・ツアー。歴史に新たな1ページを刻む瞬間の目撃者になるのは我々だ。
<ヴァン・ヘイレンジャパンツアー>
11月20日(火)大阪: 大阪市中央体育館
11月27日(火)東京: 東京ドーム
[問]ウドー音楽事務所 udo.jp 03-3402-5999
http://udo.jp
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