パイロット来日公演速報、32年越しの『マジック』大合唱
先週はほぼ毎日、この4枚を繰り返し聴いていた。いずれも70年代に活躍した英国のポップ・ロック・グループ、パイロットのアルバムなのだが、なんと彼らが初来日公演を行なったのである。
実際、今回の来日ラインナップに含まれていたオリジナル・メンバーはデイヴィッド・ペイトン(vo,b)とスチュアート・トッシュ(ds)の2人だけだったりもするのだが、中学時代からリアル・タイムで彼らの音楽を愛聴してきた“元・全米トップ40少年”の僕としては、当時の無邪気な自分に戻って観に行くしかなかった。で、おそらく同じような思いを抱いた人たちがたくさんいたということなのだろう。11月18日、会場となった川崎CLUB CITTAは超満員となった。
ライヴは途中に約20分の休憩を挟んでの二部構成。しかも通常はスタンディング形式であることの多いCLUB CITTAなのに、この夜は全席指定で椅子が並んでいる。さらにステージ上のメンバーたちは、スチュアート以外の全員がブラックスーツ着用。観衆の年齢層の高さについては(自分も含めて)言うまでもないし、そこには紛れもなく“おやじバンドのライヴ”という風景が成立していた。が、そうした場面につきものの“まったり感”よりも、長年思い焦がれてきたバンドに対する純粋なファン心理とでもいうべきものが、そこには渦巻いていた気がする。贔屓目と言われればそれまでだが、僕自身、ステージ上の彼らの姿を肉眼で確認できているにもかかわらず、本物のパイロットがそこにいるのが信じられない思いだった。
確かにデイヴィッドの声に、往年の作品で聴かれるような伸びやかさはなかったし、トレードマークのひとつでもある高音のヴォーカル・ハーモニーもかなりラフではあった。が、仮にキーが下げられていたりしようとも、“あの頃”の愛すべきポップ・チューンたちのきらめきは失われていなかったし、ことに終盤、「コール・ミー・ラウンド」と「マジック」が続けざまに演奏され、アンコールの最後に「ジャスト・ア・スマイル」が披露された際には、少しばかり感傷的になり、目から何かがこぼれてきたような気もした。ずっと“総座り”だったオーディエンスも「マジック」のときにはほぼ総立ちになっていたし、ハンド・クラップと合唱の大きさに、ステージ上のデイヴィッドも「期待していた以上だった」と満面の笑みを見せていた。そして彼の口から出た「また来年も」という約束が本当に実現するか否かはわからないが、その機会が訪れたなら、僕はまた迷わず足を運ぶことになるだろう。
余談ながら、僕自身が初めて観た海外アーティストのライヴは、1976年夏に来日したスウィート。その頃にパイロットが来ていたとしても、全然おかしくなかった。そのスウィートの「ボールルーム・ブリッツ(ロックンロールに恋狂い)」とパイロットの「マジック」は、1975年、ともにビルボード誌のシングル・チャートで最高5位を記録している。パイロットのキーボード奏者だったビリー・ライオールも、スウィートのフロントマンだったブライアン・コノリーも、もはやこの世にはいない。しかし、どちらも僕のフェイヴァリット・バンドであることは、これからも変わらないのである。
余談ついでにもうひとつ述べておくと、この夜、僕の隣ではThe DUST’N’BONEZの戸城憲夫がステージを観ていた。かつて彼の在籍していたZIGGYには、森重樹一と戸城自身の2人だけになった時代があったが、その当時の印象が僕のなかでは、パイロットがデイヴィッド・ペイトンとイアン・ベアンソン(g)の2人だった時代と微妙に重なっていたりもする。2人で作られたパイロットのアルバムには『新たなる離陸』という邦題が付けられているが、原題は『TWO’S A CROWD』という。英語の言い回しで“Two’s a company, three’s a crowd”というのがあり、これは「2人なら話も合うが、3人寄れば仲間割れ」といった意味合いなのだが、要するにどちらのバンドにも「2人で満員」の時代があったということだろう。しかし、時間の流れを経ながら、“定員”が変わることも大いにあり得るということなのだ。
増田勇一
実際、今回の来日ラインナップに含まれていたオリジナル・メンバーはデイヴィッド・ペイトン(vo,b)とスチュアート・トッシュ(ds)の2人だけだったりもするのだが、中学時代からリアル・タイムで彼らの音楽を愛聴してきた“元・全米トップ40少年”の僕としては、当時の無邪気な自分に戻って観に行くしかなかった。で、おそらく同じような思いを抱いた人たちがたくさんいたということなのだろう。11月18日、会場となった川崎CLUB CITTAは超満員となった。
ライヴは途中に約20分の休憩を挟んでの二部構成。しかも通常はスタンディング形式であることの多いCLUB CITTAなのに、この夜は全席指定で椅子が並んでいる。さらにステージ上のメンバーたちは、スチュアート以外の全員がブラックスーツ着用。観衆の年齢層の高さについては(自分も含めて)言うまでもないし、そこには紛れもなく“おやじバンドのライヴ”という風景が成立していた。が、そうした場面につきものの“まったり感”よりも、長年思い焦がれてきたバンドに対する純粋なファン心理とでもいうべきものが、そこには渦巻いていた気がする。贔屓目と言われればそれまでだが、僕自身、ステージ上の彼らの姿を肉眼で確認できているにもかかわらず、本物のパイロットがそこにいるのが信じられない思いだった。
確かにデイヴィッドの声に、往年の作品で聴かれるような伸びやかさはなかったし、トレードマークのひとつでもある高音のヴォーカル・ハーモニーもかなりラフではあった。が、仮にキーが下げられていたりしようとも、“あの頃”の愛すべきポップ・チューンたちのきらめきは失われていなかったし、ことに終盤、「コール・ミー・ラウンド」と「マジック」が続けざまに演奏され、アンコールの最後に「ジャスト・ア・スマイル」が披露された際には、少しばかり感傷的になり、目から何かがこぼれてきたような気もした。ずっと“総座り”だったオーディエンスも「マジック」のときにはほぼ総立ちになっていたし、ハンド・クラップと合唱の大きさに、ステージ上のデイヴィッドも「期待していた以上だった」と満面の笑みを見せていた。そして彼の口から出た「また来年も」という約束が本当に実現するか否かはわからないが、その機会が訪れたなら、僕はまた迷わず足を運ぶことになるだろう。
余談ながら、僕自身が初めて観た海外アーティストのライヴは、1976年夏に来日したスウィート。その頃にパイロットが来ていたとしても、全然おかしくなかった。そのスウィートの「ボールルーム・ブリッツ(ロックンロールに恋狂い)」とパイロットの「マジック」は、1975年、ともにビルボード誌のシングル・チャートで最高5位を記録している。パイロットのキーボード奏者だったビリー・ライオールも、スウィートのフロントマンだったブライアン・コノリーも、もはやこの世にはいない。しかし、どちらも僕のフェイヴァリット・バンドであることは、これからも変わらないのである。
余談ついでにもうひとつ述べておくと、この夜、僕の隣ではThe DUST’N’BONEZの戸城憲夫がステージを観ていた。かつて彼の在籍していたZIGGYには、森重樹一と戸城自身の2人だけになった時代があったが、その当時の印象が僕のなかでは、パイロットがデイヴィッド・ペイトンとイアン・ベアンソン(g)の2人だった時代と微妙に重なっていたりもする。2人で作られたパイロットのアルバムには『新たなる離陸』という邦題が付けられているが、原題は『TWO’S A CROWD』という。英語の言い回しで“Two’s a company, three’s a crowd”というのがあり、これは「2人なら話も合うが、3人寄れば仲間割れ」といった意味合いなのだが、要するにどちらのバンドにも「2人で満員」の時代があったということだろう。しかし、時間の流れを経ながら、“定員”が変わることも大いにあり得るということなのだ。
増田勇一
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