ネオメタル・ロッカー、Deftonesはサードアルバムの『White Pony』でサウンド面での大胆な方向転換を行なった。このサクラメントを本拠地とするバンドの音響的な革命は、確かに報いがあったといえるだろう。『White Pony』はBillboard Top 200アルバムチャートで初登場第3位、ファーストシングル「Change (In the House Of Flies)」は驚異的なラジオプレイを獲得し、「Change」のビデオはMTVのTRLでトップ10リクエストに入っている。ニューメタルのジャンルでは“もぐら”と言われてきたバンドにとって、悪いことではなさそうだ。 バンドのChino MorenoとChi Chengは、LAUNCHのDave DiMartinoにニューアルバムや新たなサウンドについて、またTool/A Perfect Circleのシンガー、Maynard James Keenanとの仕事、さらに『White Pony』制作中に“出る”と言われる屋敷に滞在した感想などを語ってくれた。 ――ニューアルバムは、これまでの路線からの決別だと感じていますか? MORENO:過去との決別という気持ちはないけど、確かにより多くの要素が含まれた作品になった。僕らはいつも自分たちの音楽に大幅なダイナミクスを取り入れている。特に今回の作品ではこれまでのものと同様に温かみはあると思うけど、それほどでもないのかもしれない。新作ではアップダウンの差が大きくて、ハイなものはよりハイに、ローなものはよりローになってるんだ。そのへんは気に入っているよ。 CHENG:ニューアルバムとこれまでの作品との違いは、真っ二つとか裏表とか言うほどには大きくないと思うな。これは単に、僕らが目指している方向への音楽的、あるいは個人的な自然の成長だと思っているよ。だからドラスティックな変化はなにもないし、『Adrenaline』から始まって『Around The Fur』、『White Pony』へと進んできたステップなんだ。本当に向かうべき方向への音楽的で個人的な自然の展開なのさ。 ――Deftonesのサウンドは非常に特徴的で、“ニューメタル”のサウンドを開拓した部分も大きいと思います。『White Pony』のサウンドは新たな方向へと進んでいるように感じられますが、今回はサウンドを変えようという判断をしてからスタジオに入ったのでしょうか? MORENO:たぶん無意識の決断であって、大きく変化させようと思っていたわけじゃないよ。ただ、他のみんながやっていることよりも、ほんの少しだけ革新的なところにいたいと考えただけさ。特に現在のヘヴィミュージックはかなり冗長なものになっている。典型的なヘヴィものってやつはリスナーに押しつける様式が多すぎるよ。 それに僕たちは基本的に自分たちがやりたいことなら何でもできるだけの能力があるってわかっているから、僕らがなにか新しいサウンドを開拓したというのが本当だとしたら、これからもずっと開拓を続けていくことが可能だと言える。それまでにやった音楽で満足して、ふんぞりかえって同じようなレコードを何度も何度も作るみたいなことじゃなくてね。今回はひとつのチャンスだったと思うのさ。それでも僕らにはまだまだ成長し続ける機会が残されていて、レコードを1枚出すたびにさらに前へと進んでいけるんだ。 CHENG:僕たちが契約した'94、'95年頃はずっとヘヴィな音で、ちょっと変わったバンドだったから、ラジオは取り上げてくれなかった。今じゃラップ/ロック、あるいはニューメタルとか、どう呼んでもらってもいいけど、それがメインストリームになった。 『White Pony』で意識的に決断したことのひとつは、その種のサウンドはやらないってことだったと思う。子供たちにオルタナティヴを提供しなければいけないし、僕らもステップを踏む必要があったのさ。自分たちがクリエイティヴな自由を持ち、また別の様式に乗り換える必要もないような場所へ進むんだ。僕らがもう一度『Around The Fur』を作ったとしても、子供たちはブッ飛んでくれなかっただろうしね。僕らのファンはもっと多くのもの、平均より少しだけ革新的な何かを期待してくれているのさ。それでね、別にその手のバンドを悪く言うつもりはないよ。連中は友達だし、一緒に育ってきたバンドだからね。だけど彼らはいつも同じことをやっているから、僕らとしてはそこから常に距離を置こうとしているんだ。 ――今回のアルバムのソングライティングのプロセスを教えてください。Terry Dateもプロデュースに参加したということですが? MORENO:そうだな、このアルバムに取りかかったとき、僕らはTerry Dateとは違うプロデューサーを起用することを考えていた。最大の理由はもちろん僕らがサウンドを拡大したかったからだけど、例えばヘヴィなのをまったく担当したことのない別のプロデューサーを立てたら、僕らとプロデューサーの選ぶ曲の組み合わせは面白いだろうと思ったのさ。 それで本格的に取り組んだときに、僕らがサウンドをまったく変えることになるのだったら、サウンドを拡大するのは僕たち自身だと気付いた。そしたら何枚も一緒にレコードを作ってきてお互いのやり方をよくわかっているTerry Date以外に、そのサウンドをうまく捉えてくれるプロデューサーがいるだろうか、って思えたんだ。僕らは本当にうまくやってきていて、彼はまるでバンドのもうひとりのメンバーのようだった。彼は僕らを楽しませてくれるし、僕らも彼を楽しませることができるから、とってもクールな関係なんだよ。だからレコード制作の中ほどになって、他の誰かと一緒にプロデュースすることは想像できなくなってしまったのさ。 CHENG:再びTerry Dateを使うことになるとはね。最初は彼を使うつもりはまったくなかったけど、いろいろなプロデューサーをひと通り検討してみて、変化は僕らがもたらすもので、Terry Dateが変えてくれるわけじゃないという感じになったのさ。だから、彼でも大丈夫だと思えたんだ。今じゃTerryは家族みたいなものだし、僕らも彼のことを気に入っている。それに僕らを刺激したり激励してくれたして、このアルバムの完成にこぎつけさせてくれるプロデューサーは彼だけだったと思うよ。 ――アルバムタイトルに秘められた意味を聞かせてください。 MORENO:僕にとってアルバムタイトルとカヴァー(小馬のアートワーク)そのものは、ある意味で僕らの個性の象徴に思えるんだ。白い小馬がただそこにいて、自分の足で立っているというわかりやすい構図さ。それは僕らのバンドと音楽に対する見方でもある。つまり世の中で起こっている他の流れの中でしっかり立っている、みたいな感じだよ。もっと簡単なルートならできると思えることに、より多くの努力をするというのには、大変な決断が必要だったはずだ。僕らにとってイージーなやり方は全然いいと思えなかったので、結局のところバンドの5人がしっかりと団結していくことしかなかったのさ。それが僕らの考え方だよ。僕らにはメンバーの存在がすべてで、作る音楽そのもので勝負する、“白い小馬”はそんな僕らにピッタリだと思ったんだよ。 CHENG:Cezanne(セザンヌ)がインタヴューを受けていたころ、気に入らない質問は無視していたらしいよ。「その質問は無視することにしよう」と言ってね。彼のインタヴューは読んだことある? 素晴らしいよ。Matisse(マチス)ほどうまくはないけど、彼は一種のマッドマンだと思うな。気に入らない質問をされたら、相手を無視するんだ。インタヴューに空白があるのを読むと、楽しくなるね。だから僕はセザンヌのやり方をまねしてるのさ。でも彼はフランスの印象派を代表する美しい画家なんだよ。 ――あなたがたの歌詞は聴き手がいろんな意味に解釈できるようなものですね。リスナーが誤解して困ることはありませんか? そのへんを教えてください。 MORENO:いや、別にかまわないよ。歌詞を好きなように解釈できるのは素晴らしいことさ。そんなふうに歌詞に余地を残しているのには理由があるんだ。僕が聴いて育ってきた音楽、つまりCureのようなバンドはとてもカラフルな言葉をちりばめた歌詞を書いているんだ。でも、ひとつの文や単語を読むことはできても、それを並べたときには、意味をなさない歌詞になっている。言葉を背景から取り出して、そこにある詞そのものの美しさを楽しむしか意味はないんだよ。そんなふうな書き方が好きなのさ。 一番難しいのは詞に取りかかることだね。座り込んで書くのは好きじゃないんだ。そんなやり方はしたくない。でも途中まで書けたら、その出来栄えに興奮してしまうんだ。そうなれば続けられるけど、本当は詞にのめり込むほうじゃないのさ。自分の自由時間には書かない主義だから、新作の詞にも時間がかかったよ。それで、ヴォーカルは2週間で録れるのに、曲作りと録音に2カ月もかかってしまうことになるんだ。でも、それだけの価値はあると思う。だって、座って詞を眺めて読んでみると興奮してくるからね。僕が楽しめるのだから聴いてる人だって楽しんでくれると期待してるんだ。 CHENG:そうだね、僕は詞を書かないし、それはChinoの担当だけど、彼は素晴らしい作詞家だ。グッドなアーティストとグレイトなアーティストの違いはね、誰にでも当てはまるようなものを作る能力だと思うよ。まったく単一の宗教なんてものは存在しなくて、それぞれが自分に適した宗教を選んでいるだろう。Chinoの歌詞も、聴き手にとって何か意味を持つように開かれたものになっているんだ。若者たちがいつも彼のところにやってきて「この曲は自分の人生を変えてくれたから、すごく意味があるんだ」みたいに言うけど、彼は「ああ、それは良かった」って感じなのさ。たぶん彼にとってはそれほど意味のないことなんだろう。でも優れたアーティストだったら、誰もが作品から何か違ったものを受け取ることができるんだ。だって人はみんな本質的に異なった存在なんだからね。 何か価値のあるものを作ったとしたら、それは誰もが自分自身に当てはめることのできるもの、自分自身のものにできることなのさ。Chinoにはその能力がある。彼は才能に溢れた作詞家で、それは素晴らしいことだよ。彼が優れた作詞家でなかったら、僕らも一緒になって歌詞に取り組まねばならなかっただろうね。 ――歌詞の言葉について教えてください。“これこれについて書こう”という事前に描いたアイデアはありましたか? MORENO:曲を書く前に考えたことはあまり多くなかったと思うな。でも、出来あがった曲を並べてみると、不吉な響きのものが多かったね。掻き鳴らすようなギターの音と、そのスペース感によるところが大きかったと思うけどさ。音楽そのものには、ある種のセクシュアルなテンションが感じられた。それがイメージを与えてくれたよ、サウンドだけでもね。サウンドが僕をインスパイアしてくれて、音楽が感じさせるままに詞を書いていったというところだね。だから座り込んで「セックス、ドラッグ、ロックンロールについて書くぞ」みたいなことは全然なかったよ。でも正直なところ、世界はそうした原則に従って回っているんだけどね。 CHENG:Chinoが詞を書くときには、彼が生活の中で見たことや感じたものを反映させているんだと思うよ。シンプルな手法だけど、そこがビューティフルなんだよね。彼は幸福から悲しみ、喜び、痛み、美、セックス、ヴァイオレンスまでの全音域を網羅しているようなものさ。それでセックスとヴァイオレンスの間に美しいラインが描かれているんだ。彼はそれに何度も魅了されて、それについて書いたと思うよ。クールなことだし、素晴らしいと思う。僕もそこから多くのものを引き出したけど、彼がいったい何について歌っているのかはわからなかった。ただ単に彼の歌に耳を傾けて、そこから何かを引き出すのさ。だからクールな作品になるんだよ。 ――批評家はあなたがたのやっていることを“ゲット”していますか? MORENO:批評家は僕らのやっていることをちゃんとわかっていると思うよ。そうじゃない人もいるけどね。僕らについて書かれたものを読んでいると、どうしてこのバンドはブレイクできないでいるんだろうとか、同時代の他のバンドのようにビッグになれないんだろうと不思議がっている人たちを目にするんだ。自分が聴いているものや分析しているものがわかっている批評家なら、僕らがその気になればそういうコースを歩めたというのを知っているはずさ。 だけど、僕たちは長い間ずっと自分たちのために音楽を作ってるし、自分たちが演奏したり聴いたりしたい音楽を作ってるんだ。それを彼らが理解できれば、僕らのやろうとしていることももっと簡単にわかるはずさ。そのへんがわかっていない批評家には、まったく理解できないだろうね。それで批判したり、いつでも同じように「なぜ彼らはこれをやるのか、なぜあれをやるのか?」を繰り返したりするんだ。理解できないものはけなすほうが簡単だし、それだけで理解したことになってしまって、そこに留まってしまう。 僕らのレコードをレヴューした批評家の多くは、僕らのやっていることをかなりわかっていると思うな。僕らは自分たちのために、できるだけ長くレコードを作り続けるためにやっているし、僕らが自分たちの好きなことをやり続けている限り、それは実現可能だと考えている。そのことはレコードを聴けばわかってくるはずだよ。 CHENG:50/50といったところだね。半分の人はわかってくれているけど、残りの半分は何かの話を聞いてから持ち上げたり、こき下ろしたりしてるのさ。時にはちゃんと聴いてくれて、作品全体として捉える人もいる。僕らは『White Pony』をひとつの作品として書き上げた。1曲、2曲とかシングルとかじゃなくてね。だから何がヒットシングルになるとか、どの曲をリリースしたらいいかということはまったく関係ない。 たぶんPink Floydが『The Wall』を作ったときも、そんなふうには考えなかったと思うよ。僕らがPink Floydの域に近づいたなんて言うつもりはないよ。だってそうじゃないもの。そうなれればいいとは思うけど、実際は全然まだまださ。僕らがそんな域に達したとは思わない。でも僕らはトータルでアルバムを作ろうと努力した。1曲目から10曲目、12曲目まで通して聴かなければいけないような作品をね。それがアルバムというものさ。アルバム全体を最後まで通して聴かないと、すべてのアイデア、コンセプト、イデオロギーが理解できないような作品ということだよ。 【後編】はこちら |