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1981年2月27日 ロサンゼルス生まれ。
学校のヴォーカル・グループに加わり歌う楽しみに出会い、ロサンゼルス・カウンティー・アーツ・スクールで、演技や歌を本格的に学び始める。

1998年、カリフォルニア州知事の就任イベントで歌うシンガーを探していたデヴィッド・フォスターに、ジョシュのヴォーカル・コーチがジョシュのテープを送る。このテープに感激したフォスターは、ジョシュをイベントでのシンガーに採用しただけでなく、セリーヌ・ディオンとアンドレア・ボチェッリのデュエット曲「ザ・プレイヤー」(フォスターのペンによる、ボチェッリとディオンの各々のアルバムに収録されている曲)を、1999年度グラミー賞のリハーサルに出席できなかったボチェッリの代役としてジョシュを起用した。

若干17歳だったジョシュはセリーヌと共に歌うという夢のようなチャンスを得ただけでなく、話はさらに凄い展開になっていった。その年のグラミーの司会を努めていたロージー・オドネルはドレス・リハーサル時に観客席にいるジョシュに気づき、彼を楽屋に呼んだ。

「あなたがオペラ・ボーイね?素晴らしかったわよ」そして、その場で彼がロージー司会のTV番組に出演することが決まったのである。こうして、次々と大役を果たしたジョシュは、フォスターのために様々なイベントでパフォーマンスを続ける一方でカーネギー・メロン大学ミュージカル・シアター学部に入学する。

しかしフォスターの熱烈なラヴ・コールと業界イベントでのジョシュのパフォーマンスを見たワーナー・ブラザーズの役員が契約を申し出たことで、間もなくして、学校を一時休校。歌手としてのキャリアを歩むことを決意した。

ジョシュの初作品は、2001年6月に発売された、スティーブン・スピルバーグ監督映画『A.I.』のサウンドトラックに収録された「フォー・オールウェイズ」。ララ・ファビアンとのデュエットで、この曲は、巨匠ジョン・ウィリアムズの作品としては初めて歌詞がついた楽曲としても話題を集めた。また、サラ・ブライトマンの全米ツアーの前座を務め、サラとの共演も果たし、好評を博した。

2001年11月、デヴィッド・フォスターの全面バックアップのもと完成したデビュー・アルバム「ジョシュ・グローバン」が発売。このアルバムに収録された、シャルロット・チャーチとのデュエット曲「ザ・プレイヤー」は、同月に発売されたシャルロット・チャーチのアルバム『エンチャントメント』にも収録された。

プロモーションで、ジョシュは数々の全米ネット人気番組に登場。
CNNの名物番組「ラリー・キング・ライヴ」や2002年の元旦にNBCの「トゥデイ・ショウ」に出演。2月24日に開かれた、冬季オリンピック・ソルトレイクシティー大会閉会式では、シャルロット・チャーチと共に聖火台の炎が消える時に、「ザ・プレイヤー」をパフォーマンスするという大役を務めた。

更には人気テレビ番組「アリー・my ラブ4」の2001年シーズンの最終回で、プロム・パーティーで歌う高校生徒の役を演じ「ユー・アー・スティル・ユー」(デビュー・アルバム収録曲)をパフォーマンス。

放映直後に、FOXテレビジョンにはジョシュを絶賛する視聴者からのメールが、実に10,000通以上も寄せられ、視聴者からのリクエストに答えて、『アリー・myラブ5』に再び登場し、「トゥ・ホエア・ユー・アー」(デビュー・アルバム収録曲)を熱唱した。

2003年11月には、2ndアルバム『クローサー』をリリース。
同アルバムからの1stシングル「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、瞬く間に全米の心をとらえ、今やケルティック・ウーマンやイル・ディーヴォ等、色々なアーティストもカヴァーしている楽曲ををいち早く大ヒットに導き、日本を始め、全世界的に愛される曲となるきっかけを作る。

『クローサー』は、全米初登場4位ながら、発売2ヶ月後に全米No.1を獲得、全世界で700万枚のセールスを記録。2004年には、日本でのアルバムリリース・タイミングでプロモーション来日も果たす。

そして2006年、待望の3rdアルバム『アウェイク』をリリース。「ダメでもいいから自分の全てを注ぎ込んでみたい!」と本格的にプロデュースや作曲に挑戦し、アルバム制作の先頭にジョシュ・グローバン自身が初めて立って作り上げたキャリア最高傑作。全米アルバムチャート初登場2位をマークし、1stシングル「ドント・ギヴ・アップ~愛されている君へ」の大ヒットと共に、現在も好調なセールスを続けている。

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