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「シャッターズ(まこと、しゅう所属)」「乱(つんく♂、しゅう、たいせい所属)」「QP(はたけ所属)」。3バンドで活動していたメンバーが集まり、'88年、大阪にてシャ乱Qが結成される。バンド名のシャ乱Qは、先に記した3バンドの名前をミックスして命名された。当時の彼らの活動拠点は、大阪城前の路上を舞台にしたストリート・ライヴだった。同地でシャ乱Qが活動を始めたことから、次第にバンドが増え始め、いつしかその地は“城天”と呼ばれるようになる。

'91年、出場したコンテスト「BSヤングバトル」でグランプリを獲得。翌'92年7月にはシングル「18カ月」を発売し、華々しいデビューを飾った。9月には、1stアルバム『炸裂!へなちょこパンチ』を発売するが、思った以上のヒットに恵まれず、デビュー以来続いた好調なサクセス・ストーリーが、少しずつだが崩れ始める。

'93年には、2ndアルバム『売れっ子への道渋滞中』を発売。当時、地道な全国ライヴハウス・ツアーを続けながら、なんとかヒットへの道を模索していたシャ乱Qだったが、なかなか芽の出ないバンドに対して所属事務所の社長が「次のシングルがヒットしなければ事務所を解雇する」と、実質上のクビ宣告。そこで出した「上・京・物・語」がロング・セールスを記録し、崖っぷちから一転、再びサクセス・ストーリーの道を歩み始めた。

中でも、'94年に発売した通算6枚目となるシングル「シングルベッド」は、半年以上のロング・ヒットを記録。続く「ズルい女」の大ヒットで、彼らは一躍ヒット・バンドへと成長した。同年にリリースした4thアルバム『劣等感』以降、発売するシングルおよびアルバムは、爆発的なセールスを展開。'96年に出したベスト盤『シングルベスト10 おまけつき』の頃には、アリーナ規模の会場で全国ツアーを行なうまでに成長する。

'97年には、主演映画『シャ乱Qの演歌の花道』も公開。この頃からバンドと同時に、各メンバーのプロデュース業やユニット活動などが目立つようになる。つんくはモーニング娘。を、はたけは、平家みちよのプロデュースや、工藤静香等のアルバム・プロデュースを実践。まこと、たいせー、しゅうの3人は、スーパー!?テンションズを結成しての活動と、シャ乱Qというバンドを母体に、それぞれが個々の個性を発揮し始めた…。

それぞれの活動の充実と共に、次第にバンドとしての活動が鈍ってきたシャ乱Q。'98年にリリースした17thシングル「愛Just on my Love」以降は、ほとんど表立った活動を停止した。同年12月にはしゅうがシャ乱Qを脱退。

2000年には、シングル「新・ラーメン大好き小池さんの唄」を発売し、久しぶりに全国ツアーを行なうも、2000年12月のNHK-BSデジタル放送開局記念「デジタルドリームライブ」出演をもって活動を休止。“シャ乱Q休憩”を発表した。

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