【月刊BARKS つんく♂ロングインタビュー vol.2】シャ乱Qは常に未完成。「シングルベッド」秘話から反動としてのモーニング娘。
結成25周年を迎えているシャ乱Qのフロントマンであり、モーニング娘。やBerryz工房、℃-uteらが所属するハロー!プロジェクトのプロデューサーといえば、つんく♂。彼は同時に、総合エンターテインメントを手がけるTNXの社長であり、家庭に戻れば3児の父でもある。
◆つんく♂、シャ乱Q 画像
多彩な顔を持つつんく♂は、今、何を考え、そしてどんな音楽を、どんなエンターテインメントを描こうとしているのか。今回、BARKSでは、つんく♂へのロングインタビューを敢行。つんく♂の軌跡をたどりながら、彼の描く未来に迫った。
第2回目は、7月17日に6年半ぶりとなるニューシングル「シングルベッド」をリリースし、さらに8月31日からは全国ツアー<シャ乱Q 結成25周年記念ライブツアー 2013 秋の乱~シハンセイキ伝説~>も決定しているシャ乱Qについて語ってもらった。
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── 今回は今年25周年を迎えるシャ乱Qについてお伺いしていきたいと思います。ひとつのバンドで25年を迎えられるってこと自体、すごいことだと思うんですが。
つんく♂:そうですね。今年、僕は45歳になるんですが、その(人生の)なかで“シャ乱Q”と(名前が)ついてからの人生のほうが長いんですよ。でも、僕が東京に来てから21年。子供だったらもう東京の子になってるんでしょうけど、僕らはいまだにどこか大阪が拭い取れない感じがあるというのが不思議ですね。でもまあ、僕、個人の45年の人生を振り返って、シャ乱Qでひとつ成功できたというのはすごく自信になりました。
── ここからはそんなシャ乱Qの歴史を振り返っていきたいと思うんですが。まず最初にバンドの歴史を変えたきっかけになったものとして上げられるのが、1991年に「ラーメン大好き小池さんの唄」でグランプリを授賞したNHKの『BSヤングバトル』があると思うんですが。
つんく♂:僕らは元々1位をとることよりも動員を増やすことが大事だと思ってバンド活動をしてたんですね。それで、僕自身子供の頃から器用貧乏で。運動もそこそこ、勉強もそこそこ、女子人気もそこそこ……という、常に70点ぐらいの、「まあ悪くないけどそこそこやね」という人生を歩んできて、そこそこの大学に入ってシャ乱Qやりだしたんですけど。当時、大阪はダウンタウンさんがキャーキャー言われ出した時期で、「俳優さんやアイドルではなく、お笑いをやってもこんな人気者になれんねんなー」と思ったり。東京では『イカすバンド天国』というバンドのオーディション番組がテレビで始まってバンドブームになり、原宿の「ホコ天」からもバンドがデビューしていってて。「BAKUってなんや?」「FUSEってなに?」って(笑)」
── あ~懐かしい! イカ天にホコ天、当時はバンドブームでしたからね。
つんく♂:大阪人としては東京のそんなのも斜めにしか見られなかったから「なんやねん!」と思いながらも、じつはどこかで憧れてたんですよ。「テレビに出れてキャーキャー言われてて、ええな~」って(笑)。それこそ大阪厚生年金会館にBAKUが来る時とか、僕らは(シャ乱Qの)ビラを配りに行ってましたから。この会場は何人入るからこれだけビラを作ろうっていうのも自分たちで決めて。そうやってビラを配りながら動員増やしてて。そうこうやった結果、最終的にNHK主催の『BSヤングバトル』でグランプリをとったわけです。ここで“日本一”というハンコを押してもらったところで、僕はパーンと変わったんですね。
── なにが変わったんですか?
つんく♂:それまでは……僕は学生時代、部活でずっと陸上をやってたんですが、必死に練習やっても大阪で8位、9位で終わってしまう。地元大阪だけでも1位になれないと。まぁでも通ってる学校の運動会では1位だし……って。そんな感じの人生を歩んできた僕が、初めて全国1位をとれたというのは非常に感動的な瞬間だったんですね。「あっ! こっちの世界でやれるかもしれへんな」って思った第一歩だった。それがなかったら、例えどこか事務所からスカウトされてても違う人生になってたと思います。“1万人以上が受けてたコンテストのなかで頂点とったバンドのヴォーカル”という意識が出来たあとから、芸能界でスタートできたのはよかった。
── そこから東京の事務所と契約して、メジャーデビューするわけですが。シャ乱Qとしてはなかなかヒットには恵まれなかった。
つんく♂:当時、Mr.Childrenとかドラマの主題歌とかに使われてたから「ええな~」って思って観てました。でも、そういう存在があったから頑張れたんですけどね。僕らが一番最初にぶつかったのは「ラーメン大好き小池さんの唄」の呪縛ですよ。ライヴでこの曲をやると盛り上がる。だから、いつまでたってもミスチルやスピッツのような硬派王道に抜け出せなかった。そこで「上・京・物・語」というのが出来てね。それまでとは違うベクトルであの曲を出した俺たちは“運”があったなって気がします。
── 運、ですか?
つんく♂:ええ。この曲はまこととはたけの曲ですけど、そこで、僕が「俺の曲しかやらへん」って突っ張ってたら、シャ乱Qはきっとあの頃で終わってたんですよ。そこはハロー!プロジェクトに入って、「私は髪型はボブじゃないと絶対に嫌なんです」という子と、切ったら?って言われてこだわりなく切れる子と一緒。
── でも、自分以外の曲をやるというのはあり得ない、という気持ちも。
つんく♂:そりゃ当然ありました。
── ですよね? そんななかで、やってみようと気持ちを転換できたきっかけは何だったんですか?
つんく♂:それは、「ビートルズの曲のなかにもジョンとポールだけじゃなく、リンゴの曲もジョージの曲もあったやん」ってことだけです。ローリング・ストーンズもビートルズから「I Wanna Be Your Man」を楽曲提供してもらい、スマッシュヒットしてるんですよ。そういう過去の歴史を見て「だからええんちゃう」って。「ありちゃう?」って自分を納得させてた(笑)。どこかそういうのがないと苦しくなりますからね。今回「しょっぱいね」という僕のソロ曲でも「三木たかしさんの未発表曲があるから、つんく♂歌ってみないか?」って言われて、普通は……。
── バンドのヴォーカリストとしては「No」ですよね。
つんく♂:そうなんですよ「だからこそ、俺が歌う!」って(笑)。そう思う僕がどこかにいるんですよね。
── それで「しょっぱいね」が生まれたと。つまり、つんく♂さんの柔軟性のスタート。それが「上・京・物・語」だった訳ですね。
つんく♂:でも、正直、そのときは悔しかった。だから、キャンペーンとか行ってセールストークしながらも、俺はその裏で自分が作った曲じゃないことが悔しくて悔しくて。そこからは、みんなが曲作り終えた後にもう1曲作る俺、みたいなものが生まれて。次の日にメンバーに「お前それいつ作ったん?」って(笑)。それぐらいのストイックさがないとダメと思ったのは「上・京・物・語」があったからこそ。
── なるほど。そしてシャ乱Qはブレイクするわけですが。いま当時のシャ乱Qを見て、つんく♂さんが当時の自分たちにアドバイスをするとしたらどんなことをいいたいですか?
つんく♂:これは笑い話じゃないんですけど、シャ乱Q、つんく♂=艶っぽいとかセクシーとかホストみたいとか当時いろいろいわれてて。
── そうでしたね。
つんく♂:で、シャ乱Qはやっぱり男と女。男の悲しい別れ、喧嘩、好き嫌い、孤独……をテーマに、俺たちは当時、男から需要があったんで、そこに対して応えてあげたい、というのがあって曲を書いてたんだけど。ただ、いま思うと、もうちょっと俯瞰でバンドを見て、1曲ぐらいはハッピーな曲を作っておけばよかったなぁと。その思いはいまだにありますね。……誰かの結婚式で「歌って」っていわれたときに歌う曲がシャ乱Qのヒット曲のなかにはないんですよ。
── あー、ほんとだ。
つんく♂:「空を見なよ」という曲があるんですけど、それも具体的なラブソングでもないしね……。1曲ぐらいはウルフルズでいう「バンザイ」みたいな曲、具体的なラブソングがあったらよかったなと思いますね。……ま、その反動がモーニング娘。なんですけどね。
── え、それはどういうことですか?
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