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70年にわたるその生涯の間に、Sam "Lightnin''" Hopkinsは20以上のレーベルで膨大な数のアルバムを作り続けた。今では彼は、ブルース史上最も多くのレコードを制作したアーティストとしても、知られるようになっている。アコースティックカントリーブルースで知られている彼だが、時にはエレクトリックギターを手にすることもあった。そして、どちらのプレイも、素晴らしいものだった。

''12年3月15日、テキサス州センターヴィルで生まれたSam "Lightnin''" Hopkinsは、子供時代からブルースをプレイし始め、9歳になる前にBlind Lemon Jeffersonなどとジャムセッションを行なっていた。彼が"Lightnin''"(稲妻)というそのニックネームを得たのは、いとこのTexas Alexanderのバックでプレイしていたころのことだ。

Texas Alexanderは詩人で、しょっちゅう楽器を変えることで知られていた。''46年、2人のパフォーマンスを見たAladdin RecordsのLola Anne Cullumは、即座にSam "Lightnin''" Hopkinsと契約。彼はAladdinから“Short Haired Woman”(''47年)などのヒットを飛ばした。この頃は、子供の時に習い覚えたサウンドを取り入れたプレイをしていた。R&Bがブームになった時期にも彼はヒットを飛ばしている。少人数のバンドをバックにしたセッションを録音した作品をいくつも発表しているのだ。

しかし、彼が本当の名声を獲得したのは、''59年。民俗学者のMack McCormickが彼のことを“再発見”した時から、彼は世界中にその名を知られることとなる。Mack McCormickはアルバム『Lightnin'' Hopkins』をプロデュース。世界中のブルースファンがこのブルースプレイヤーに注目するようになる。こうして、彼は生涯を“最後の偉大なるカントリーブルースマン”という役を演じて生きていくこととなる。亡くなったのは''82年だった。

そのニックネームどおり、彼は1枚のアルバムを録音する間でさえ、じっとひとつところにいることがなかった。このため、彼の作品を把握するには、コンピレーションアルバムを聴くのが一番いいように思われる。『The Complete Aladdin Recordings』や、Gold Star Sessionsのシリーズ、さらにはRhinoから出ている『Mojo Hand: The Lightnin'' Hopkins Anthology』などがいいだろう。

彼が残した作品をすべて見つけて聴くには、何年という時間がかかるのは確かだ。しかし、没頭するだけの価値はあるのだ。