ニール・ヤング・バイオグラフィ
1945年カナダのトロントで生まれたニール・ヤングは、リック・ジェイムス率いるマイナー・バーズ/Mynah Birdsを経て、スティーヴン・スティルスらと共にロサンゼルスでバッファロー・スプリングフィールドを’67年に結成。 その後、’78年にクレイジー・ホースと共に行なった『ラスト・ネヴァー・スリープス・ツアー』が翌’79年にレコード化されたが、ここで披露されたセックス・ピストルズのジョニー・ロットン/Johnny Rottenに捧げる曲“マイ・マイ、ヘイ・ヘイ(アウト・オブ・ザ・ブルー)”と“ヘイ・ヘイ、マイ・マイ(イントゥ・ザ・ブラック)”に見るニールのパンクへの傾倒ぶりは、賛否をまじえ大きな話題となった。しかし、こうした、時代の空気に鋭敏に反応しえるニールの感性こそが、革新的なギター・プレイを生み、オルタナティヴの祖と呼ばれながらも伝説と化すことなく若手とも盛んな交流を続け、シンガー・ソングライターという既成の枠に収まることのない自由な活動の礎になっていることは間違いない。 |







