【インタヴュー第二弾】崇高な美意識の産物。スガ シカオの音楽観
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スガ シカオの音楽観は、すなわち彼の美意識に直結する。 一筋縄では行かない彼の音楽に対する美意識は、 それでも、ただ訳もわからず複雑というものでもなく、 細かく砕いていくとしっかりとした生成過程を伴っている。 『4Flusher』を通してその生成過程の一部を聞き出してみた。 リズムが僕のものじゃないと、 |
スガシカオ本人からロンチメンバーへ コメントが届いています |
──僕は「波光」が好きなんです。この曲は、バンドでやることの非常にプレーンな、素のままで録られていったっていう感じがするんですよね。 スガ: そうですね。要するに、アレンジに俺の血が…意地を張ってない感じがするんですよね。今までだったらぜったいこんなやり方しないんですよ。ぜったいギターの弾き語りでやるんで。それをやっぱり、キーボードの人とセッションしていく中で"これはやっぱピアノの方がいいだろう"って、どんどんピアノに流れていっちゃって(笑)。王道のピアノ四つ打ちのバラードなんつうのは、もう僕の頭の中にはあり得ませんからね、普通だったらね。 ──それはスガさんの美意識が許さない、と。 スガ: 許さないわけですよ。だけど、ある意味開き直りがあったんでしょうね、そういう意味では。アレンジを、僕を含めたバンドでやってますっていう開き直りがあって。そうしたら、純粋に曲が行きたい方に行くんですよ、アレンジもね。バンドのみんなにはそんなこだわりなんてないですから。曲が求めてる方にどんどんどんどん行くんですよね。だから「青白い男」なんかでも、いわゆるロックじゃないですか。 ──そうですねぇ。 スガ: このアレンジも僕じゃぜったい出来ないんですよ。 ──だってスガさん、ロック嫌いですからね(笑)。 スガ: 嫌いなんですよ(笑)。だけど、曲自体が持ってる方向にロックがちょっとあると、みんなでワーッとロックに持ってってくれちゃうんですよね。そういう違いがあるんで、中身的には広がったというか、もう"別物"ぐらい違うところに着地しましたね。 ──だから自分の感性と力量じゃないものが入ってきて、それをスガシカオ名義で出すことへの抵抗っていうのはかなりあったと思って、制作に時間がかかったんだろうなと。 スガ: ん~、まぁそうですね。抵抗があったというよりは、過去の3作と比べてあからさまにレベルが落ちたとかって言われるのが、ぜったい悔しいじゃないですか! だから過去の3作と聴き比べてみても、ぜんぜん違うところで、"並んでるね""それ以上だね"って言われるものじゃないと出す意味ないから。そこに持って行くまでにすごい時間かかったんですね。 ──スガさんはアマチュアで大所帯のパンクバンドとかをやっていて、それはそれで楽しいものだったわけですよね? スガ: そうですね。 ──それがなぜ、自分、スガ シカオという名義でソロでやるときには、まずはマシーン(コンピュータ)で構築するっていう方法から入ったんですかね。 スガ: それは言葉ですね。 ──言葉? スガ: あのぉ、ものすごい独特の日本語の乗せ方をするんで。 ──符割も変ですしねぇ。 スガ: そう。そこの、リズムが僕のものじゃないとその乗り方はしないんですよ。だからそこをキッチリ、思った通りの符割にしておかないと思った歌詞にならなかったんです。 ──なるほど。乗っていかないんだ、言葉が。 スガ: そうそう。言葉がぜんぜん滑らないんですよ。一番最初はそれで生ドラムを諦めたんです。他人がやると、"そこで叩かれると言葉がこういう風に乗んないんだよ"っていうのが一番あったんで。それでまず辞めて、全部デジタルで。まぁそういう時代も、僕は終わってるんで。今はどんなものでもオールマイティに乗せることが出来るようになってるんで、これ(『4Flusher』)にも行けたんですけど。 ──そういうことになりますよね。 スガ: 当時はやっぱり、"こうじゃないと乗んないんだよ!"っていう。ほんのちょっとした跳ねとかじゃないとココに"っ"が入らない、とかそういう感じだったんですよ。 ──それはブラック・ミュージックから学んだことなんですか? スガ: というか、それは、’70年代からずっと日本語と洋楽ロックの融合っていうのはみんな試みてたことで、その自分なりの回答を今持ってないと、ミュージシャンとしてはもうぜんぜんオハナシにならないわけじゃないですか。だからそれを得るために、やっぱり、そういう方法を選んじゃってたんですね。 |









