夢と現実の狭間で

夢と現実の狭間で |
「何者も我々を止めることはできないという結論に達したんだ」 Ruff EndzのDante“Chi”Jordanはいらだった調子で語る。 「ボルティモアの都市部にはトラブルがいっぱいだ。まるで開拓時代の大西部のようにね。我々が一緒に育った連中が銃で撃たれている。そんな状況に対処しながら夢を追求しなければいけないのさ」 Ruff Endzのデビューアルバム『Love Crimes』(米Epic Records)が、最近のチャートからはすっかり姿を消してしまった、率直な歌詞を持つ、演壇を打ち叩き、屋根を持ち上げるようなソウルを基本にしていることは単なる偶然ではない。 ChiとパートナーのDavid“Davinch”Chanceはグループ名を自分たちの母校である荒廃したハイスクールの状況にちなんで命名した。そこで夢を負いながら日々の暮らしを生き抜くことは、ハリケーンシーズンのメキシコ湾よりもずっと厳しいのである。 ChiとDavinchは近所の知り合いではあったが、友情を育むようになったのは高校時代のことである。二人はJames Brown、Bobby Womack、Stevie Wonderを聴きながら音楽の趣味が共通していること、そして当時参加していた4人組グループの他のメンバーよりも成功への野心がずっと強いことに気付いたのであった。 「俺はいつでも教会にいるような環境で育った」とDavinchは生い立ちを語っている。 「父は説教師で、教会が家の居間にあったんだ。俺は10人兄弟の末っ子で、兄貴たちはだいたい何か楽器をやったし、みんな歌っていたから、音楽はいつも回りにあったよ」 Davinchが文字どおり玄関の目の前にあるストリートの日々の現実からかくまわれた生活を送れたわけではないが、パートナーのChiの成長期を形成した厳しい経験とは全く違った育ち方をしたのである。
「一年生は基本的に落第で、やりなおさなきゃいけなかった。我々は音楽のキャリアを追求したかったけど、まずは学業優先で卒業してから動きだすことに決めたのさ。二人とも卒業文集にはプロの歌手になるのが目標って書いたんだ」 学校を卒業したChiとDavinchはすぐに、ボルティモアの港湾エリアにある若者に人気の菓子屋Fudgery(もうひとつの新進グループDru Hillも働いていた)でのアルバイトを始めたが、その店は飛び入りコンテストやタレント発掘のショウを開催していた。 下積みのシンガーとしていくつかの口約束とウソのデビュー話を経験した後に、二人は音楽業界のベテランOji Pierceに認められるというチャンスをつかみ、彼の尽力でプロダクションとの契約にこぎつけ、1998年にはEpic Recordsの関心を射止めるに至ったのである。 Eddie F & Darren Lighty(Donell Jonesの「U Know What’s UP」やRuff Endzの影響力の強いファーストシングル「No More」を担当したチーム)やManuel Seal(Mariah Carey)、Dru HillのNokio、さらにはアトランタのNoontime Productionsなど幅広いプロデューサーと仕事をした二人は、自分たちの心情を赤裸々に綴った歌を数多く作るようになっていた(結局アルバムでは7曲を書くことになった)。 「アルバムが反応らしきものを得ているのは、あらゆる曲が本当の気持ちや痛みに根ざしているからだと思う」とChiは明言する。 「でっちあげの曲などひとつもない。「IApologize」という曲を例にとれば、ロマンティックな状況になるたびに、女の子は俺より前の別の男と経験した事態に影響されて振る舞うように思えたんだ。だから、この曲では女性が公平なチャンスを与えてくれるように俺がその男の代わりに過ちを謝罪しているというわけさ」 「「Missing You」はレコーディングで何カ月もアトランタにいて、ボルティモアのガールフレンドが恋しくなったときに書いたんだ」とChiは話を続けた。 「Brian Coxが曲のトラックを持ってきたとき、二人が歌にしたい気持ちをうまく反映していると思った。新人グループがアルバムでこんなに多くの曲を書けるなんて珍しいけど、チャンスを与えてもらったことに感謝しているよ。だって、これらの曲は二人の真実の姿をありのまま表現した作品だからね」 by Jeff Lorez |