夢と現実の狭間で
夢と現実の狭間で |
「何者も我々を止めることはできないという結論に達したんだ」 Ruff EndzのDante“Chi”Jordanはいらだった調子で語る。 「ボルティモアの都市部にはトラブルがいっぱいだ。まるで開拓時代の大西部のようにね。我々が一緒に育った連中が銃で撃たれている。そんな状況に対処しながら夢を追求しなければいけないのさ」 ChiとパートナーのDavid“Davinch”Chanceはグループ名を自分たちの母校である荒廃したハイスクールの状況にちなんで命名した。そこで夢を負いながら日々の暮らしを生き抜くことは、ハリケーンシーズンのメキシコ湾よりもずっと厳しいのである。 学校を卒業したChiとDavinchはすぐに、ボルティモアの港湾エリアにある若者に人気の菓子屋Fudgery(もうひとつの新進グループDru Hillも働いていた)でのアルバイトを始めたが、その店は飛び入りコンテストやタレント発掘のショウを開催していた。 下積みのシンガーとしていくつかの口約束とウソのデビュー話を経験した後に、二人は音楽業界のベテランOji Pierceに認められるというチャンスをつかみ、彼の尽力でプロダクションとの契約にこぎつけ、1998年にはEpic Recordsの関心を射止めるに至ったのである。 Eddie F & Darren Lighty(Donell Jonesの「U Know What's UP」やRuff Endzの影響力の強いファーストシングル「No More」を担当したチーム)やManuel Seal(Mariah Carey)、Dru HillのNokio、さらにはアトランタのNoontime Productionsなど幅広いプロデューサーと仕事をした二人は、自分たちの心情を赤裸々に綴った歌を数多く作るようになっていた(結局アルバムでは7曲を書くことになった)。 「でっちあげの曲などひとつもない。「IApologize」という曲を例にとれば、ロマンティックな状況になるたびに、女の子は俺より前の別の男と経験した事態に影響されて振る舞うように思えたんだ。だから、この曲では女性が公平なチャンスを与えてくれるように俺がその男の代わりに過ちを謝罪しているというわけさ」 「「Missing You」はレコーディングで何カ月もアトランタにいて、ボルティモアのガールフレンドが恋しくなったときに書いたんだ」とChiは話を続けた。 「Brian Coxが曲のトラックを持ってきたとき、二人が歌にしたい気持ちをうまく反映していると思った。新人グループがアルバムでこんなに多くの曲を書けるなんて珍しいけど、チャンスを与えてもらったことに感謝しているよ。だって、これらの曲は二人の真実の姿をありのまま表現した作品だからね」 by Jeff Lorez |