ワイクリフ・ジョンという人は様々な面で型破りな人物だ。
ラップし、歌を歌い、曲を作り、プロデュースもするというマルチ・タレントぶりも然り。そしてヒップホップ界では珍しく、彼の音楽体験はギターから始まった。
中米のハイチに生まれ、8歳の時に家族と共にアメリカへ移住。少年時代を過ごしたニューヨークやニュージャージーでは、周囲にドラッグや暴力が蔓延していた。そんな中で悪影響から彼の気を逸らそうと母親が買い与えたのがギターだった。そしてもうひとつ、ハイチ出身だけにレゲエを始めとするカリビアン音楽に親しんで育っている。従って彼のヒップホップは、これらふたつのルーツを踏まえた独自のスタイルに貫かれているのだ。
そんなワイクリフに従兄弟のプラーズ・ミシェルがグループ結成を持ちかける。紅一点のローリン・ヒルを加えてフージーズが誕生したのは'93年のこと。グループ名は“難民”を意味する“レフュジー”という言葉をもじったものだ。かくして男性ふたりのカリビアンな背景にローリンがゴスペルやR&Bの要素を重ね合わせ、男女の視点をも絡ませた独特のミクスチャー・サウンドを完成させてゆく。
そして'96年のセカンド・アルバム『ザ・スコア』で大ブレイク。世界で1700万枚というヒップホップ史上最大のヒットを記録する。
さらに翌年、ワイクリフは1枚目のソロ・アルバムを発表。『ザ・カーニヴァル』と名付けられたこの作品、『ザ・スコア』をさらに発展させた音楽的多様性を誇り、彼の飄々とした人柄とカリビアン・ルーツをより明確に打ち出した。続いてローリンとプラーズもそれぞれソロ・デビューを果たし、フージーズは活動を休止。ワイクリフはソロ・ツアーを続ける一方で、これまた従兄弟のジェリー・ワンダーとチームを組み、“レフュジー・キャンプ”名義でプロデューサー/ソングライターとしても活動の幅を拡げてゆく。最近では10週間近く全米ナンバーワンを独走したサンタナの「マリア、マリア」がお馴染みだろう。
そんなわけで『ザ・カーニバル』発表後も多忙だったワイクリフが、今年ようやく2作目の『エクレフティック~トゥー・サイズ・トゥ・ア・ブック』を完成させた。
「このアルバムのコンセプトは、オレがこれまでに音楽を通じて出会った様々な人々との関係から生まれたんだ。みんなが訊ねるんだよ、“いったい君は自分の音楽をどう説明するんだい?”とね。それはヒップホップでありストリートでありつつも、時にはR&Bでロックの要素も加わる。オレにもよく分からない。だから自分なりに言葉を造り上げたんだ、“エクレフティック”という言葉をね」
ワイクレフの愛称“Clef”と、“折衷的”を意味する言葉“eclectic”を組み合わせた“エクレフティック”。本人が考えただけあって絶妙な表現なのだが、実際に前作を上回る折衷主義を展開している。なにしろ今回はメアリー・J.ブライジからカントリー界の重鎮ケニー・ロジャースまでをフィーチャー。
かと思えばピンク・フロイドのカバーがあったりと、まさにワイクリフならではの世界を繰り広げている。そしてアルバムのサウンド面を表す言葉が“エクレフティック”なら、詞のテーマを示すのは“トゥー・サイズ・トゥ・ア・ブック”なる副題。物事には全てふたつの側面があるというのが彼の持論だ。
「ポジティヴな面とネガティヴな面を両方キッズたちに見せて、“さあ、ポジティヴなほうを選んでごらん”と言い聞かせるんだよ。オレたちはその善し悪しを裁いてはいけないと思うんだ。重要なのはいつも正直な姿勢で人々に接し、隠し立てをせずに情報を確実に伝えるということじゃないかな」
このようなユニークな視点に立って彼は犯罪や差別など社会問題を語り、ヒップホップ界を毒する商業主義的風潮にも批判の鉾先を向ける。ともすれば他のアーティストの反感を買いかねないが、ワイクリフは自らを“リスク・マン”と呼び、全く気に留めていない。
「オレは流れに逆らう人間なんだ。オレが言ってることも、誰かが語らなければならないヒップホップの一面なのさ」
確かにワイクリフは常にリスク承知で音楽に取り組んできた。しかしニューヨーク交響楽団と共演したりU2のボノとコラボレートしたりしつつも、軸足は常にヒップホップに置きつつ、結果的にヒップホップの境界線を途方も無く押し拡げたことも事実
「オレがシーンに残した功績を挙げるなら、大胆な多様性を持ち込んだことだな。トレンドには追従しないし。これまでのアルバムのサウンドは全て異なるからね」。
音楽を離れた部分でも、ワイクリフ・ジョン・ファンデーションというチャリティ団体を主宰し、恵まれない子供たちを対象にした様々な活動を行なう。自分もかつては貧しい難民だったという意識を誇らし気に掲げて、彼は自由奔放に音楽を作り続けているのだ。
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