ナイン・インチ・ネイルズを目撃すると沸いてくる“幾多の疑問”を考える

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ナイン・インチ・ネイルズを目撃すると沸いてくる
“幾多の疑問”を考える

Nine Inch NailsのFragility 2.0ツアーをニューヨークで目の当たりにして、私はいくつかの疑問が頭から離れなかった。

まず気になったのは、Trent Reznorとツアーを同行するスタッフには、ミュージシャンであれクルーであれ、疾病傷害保険が付いているのかということだ。

きっと給料はいいのだろう。

しかし、たいていの人間は、給料が高いだけでは、たえず身体に危害が及ぶおそれのある仕事に就こうとは思わないものだ。Nine Inch Nailsのスタッフ契約書には、ツアー期間中Reznor氏が法律の規定に左右されずスタッフおよびスタッフの所有物に危害を加えていいという条項があるにちがいない。そうでなければ、リーダーがマディソンスクエアガーデンで見せた傍若無人のコントが、なぜ問題にならないか説明がつかないのである。

ステージ上での彼の主たる武器は、ミネラルウォーターのペットボトルだった。Reznorは、2本のペットボトルをキーボードのCharlie Clouserに投げつけ、もう1本をギターのRobin Finckに張型として使用した。それからもう1本の中味を、さまざまな楽器を担当していたDanny Lohnerのキーボードにぶちまけて、その後の演奏に支障をもたらした。それでも、以前より良くなったのかもしれない。たぶん彼は、ガラスビンでも同じことをしていたのだ。

本当のことを言うと、今回のコンサートは、Nine Inch Nailsの基準では穏健なものだった。過去のツアーでは、Reznorは舞台上の機材を叩き割ったり思いついた順にバンドメンバーを殴ることをなんとも思っていなかった。

中年に近づくにつれて、彼の怒りは終息しつつあるのだろうか。あるいは、従来バックアップのミュージシャンが長続きしなかった原因は(Filterを結成したRichard Patrickもそのひとりだった)彼らが歯を折られるのを嫌がったこととなにかしら関係があるとReznorがやっと気づいたのだろうか。

いずれにしても、この日マディソンスクエアガーデンで負傷者は出なかったようだ。この日の損害は以下の通りである。
アンプとキーボード、それからマイクスタンドがいくつか破損。レスポールが2台、宙を飛んで床に墜落。ドラムキットの半分が、舞台の段上から落下。
これもまた保険に入っていることを願うのみである。

言うまでもなくReznorは彼の曲に危険な暴力のオーラを与えようとして破壊行動を行っているのだが、そのようすは実際には、サイレント映画のドタバタ喜劇に出て来る警官のように見えることのほうが多かった。

彼が舞台のあちこちで騒ぎを起こしているあいだ、ステージクルーがバンドメンバーのように舞台に出ずっぱりになっていた。彼らは、飾り気のない舞台上で演奏の邪魔にならないように移動しながら、絡まったケーブルをほどいたり、手渡しで楽器を避難させたり、落ちてきた機材を拾ったりと、着実に仕事をこなしていた。

幸い、Reznorは彼らの仕事を妨害しなかった。オープニングでReznorが窮地に陥ったときも、彼はステージクルーに救われた。バンドが1曲目の「Terrible Lie」の演奏を始めたとき、彼のマイクが故障していたのだ。声が聞こえたと思うとすぐに途切れて、なにを言っているか分からない。結局Reznorは歌うのをやめて、チケット完売で満員になったマディソンスクエアガーデンの観客に歌詞を歌わせた。そのとき勇敢なクルーが駆け出して来て、手際よくマイクケーブルを交換しトラブルを解消した。

このとき私のなかで、新たな疑問に火がついた:Trent Reznorのようにステージを動き回る歌手が、なぜワイアレスマイクを使わないのだろうか。おそらくそれは、普通のマイクのほうが、ぶつけたときに面白いからだろう。Reznorにとって、耐衝撃安定性とはそういうことである。

問題が解決して本当にコンサートが始まると、それは演出のしっかりした、盛り上がる、良質のアリーナ向けロックショーでもあった。音質は明瞭で申し分なく(…といっても、後方の席にいた友人によると、観客が鼻血を流して聴いていたそのあたりでは、音はもっと大きいほうがよかったらしい)、照明も素晴らしかった。

縦長の長方形のパネル3枚が不気味に回転していて、ときにそれがビデオスクリーンになっていた。Reznorの獰猛な歌声は快調で、バンドは攻めの演奏を楽しんでいた。なかでも「March Of The Pigs」や「Gave Up」のような激しい曲は、大いに迫力があった。

「Suck」が取り上げられていたのは嬉しい驚きだった。これはもともと、'90年にReznorがMartin Atkins率いるPigfaceと共作したときの曲である。

しかし、コンサートが進むにつれて、またしても重大な疑問が沸き起こってきた。…彼らはなぜ最新アルバムの曲をほとんど演奏しないのか。

『The Fragile』が2枚組であることを考えると、コンサートの曲目は新譜中心になると考えるのが常識だろう。しかし、そうではなかった。彼らが初めて新曲を演奏したのは、5曲目だった。そしてその後も、新曲を演奏することはあっても、“普通”の曲よりインストゥルーメンタルの曲(静かなピアノ曲「The Frail」やベースが壮大な「The Mark Has Been Made」、そしてNew Orderのような、よりアップテンポな「Complication」)やほぼインストラメンタルの曲(雰囲気のある「La Mer」。この曲にはほとんど歌詞がない)に偏っていた。

告白する。私は『The Fragile』を'99年のベストアルバムの1枚だと信じている音楽評論家のひとりである。そしてそれは、Reznorの芸術家的な発言に魅せられたからというより、アルバムの音楽面(独特のサウンドと卓越したアレンジ)が素晴らしいと思ったからである。

Reznorの曲作りの才能は、作詞家としての彼の才能をはるかに上回っていると私は考えている。歌詞については、彼は悪ガキのように“f--k”という4文字言葉をたくさん使えば曲が盛り上がると頑なに信じて、これまでやってきたのである。

言いたいことをちゃんと伝えたいのなら、彼はもうすこし本を読むべきだろう。しかし『The Fragile』の歌詞には、ところどころ彼の感情面での成長を窺わせる部分があった。そしてそれが、デビュー以来最も成熟して自信に満ちたサウンドと一緒になっていれば、私にとっては十分だった。

要するに、私は新曲を楽しみにしていたのに、あまり取り上げられなくて残念だったのである。

最も驚いた点は、この日バンドが『The Fragile』のなかの比較的分かりやすいコマーシャルな曲を一切無視したことである。

ラジオ用の1stシングル「We're In This Together」は、この日影も形もなかった。強力なシングル候補の「The Fragile」も「Into The Void」も「Please」も行方不明になっていた。曲名のとおり、“こわれもの”は無に帰してしまったのだろうか。

代わりに彼らが演奏したのは「The Wretched」や「The Great Below」(悪い曲ではないが、他の曲を差し置いて演奏する曲ではない)、そして束になった昔の曲だった。「Sin」や「Wish」や「Closer」や「Head Like A Hole」がダメだと言うつもりはないが、それなら私たちは以前にも聞いている。何回も。たしかに観客はそれらの曲を楽しんでいたが、数少ない『Fragile』の曲にたいする反応のほうがずっと盛り上がっていた。

そこでまた、問題が生じる。

…この日の曲目が昔の曲中心だったのは、観客が新譜をつまらないと思っているからなのか。そもそもTrent Reznorは、観客が退屈していたら気にするような男なのか。今後ツアーを進めるうちに彼は観客を優しく手なずけて、少しずつ新曲を増やす予定なのか。Reznor自身が、もう『The Fragile』に飽きたのか。それとも、彼はたんにヘソを曲げているだけなのか。

そして、1時間をわずかに越えて15曲の演奏を終えたNine Inch Nailsがステージを去ったとき、これまでのすべての問いを帳消しにする最後の疑問が生じた。それは、20年以上前にJohnny Rottenが提出した疑問である。

…おまえら、騙されてたと思ったことはないのか。

それでももちろんアンコールはあった。たいして長くはなかったが。

「The Day The World Went Away」が始まると、会場にはじわじわと厳粛な雰囲気が広がった。CDでは、この厳粛さがあと一歩のところで出ていない。この曲の冒頭では、ReznorとFinck、Lohnerの3人がギターで小さな輪を作り、曲が進むにつれて彼らは少しずつステージ全体に散らばって行った。

次の曲は、強烈な下劣さを歌った「Starf--kers, Inc.」で、Reznorは「おれの友だちのことだ」と言った。それは、かつてReznorが保護者を務め、後に激しいライバルとなったMarilyn Mansonのことである。だから、観客の驚きを想像していただきたい。この曲が終わる寸前に当の神々しいM氏が舞台に現れ、マイクをつかんで「F--k you」とReznorをせせら笑ったのである。しかし、嘲笑はただちに微笑に変わり、バンドはMansonの「The Beautiful People」を演奏しはじめた。いつもと同じ壮麗なメイクアップをしたMansonは(あの愛らしい目もいつものままだった)、ステージを跳び回り、叫び声を上げ、最後にかわいらしくReznorの肩を抱いた。どうやら2人は仲直りをしたらしい。それは、彼らにとっていいことである。ただそのことを、MansonのAlice Cooperもどきの小芝居抜きで私たちに知らせることはできなかったのか。

まあ、そう言っているのは私だけである。他の観客は気に入っていたようだ。実際、私の後ろの席にいた女の子たちがこの日いちばん大きい声でキャーキャー叫んでいたのは、Mansonが熱演しているときだったのである。彼女たちは2回目のアンコール曲「Hurt」も気に入っていたようだ。

たしかにそれは、コンサートの最後を飾るのにふさわしい曲だった。とくに、ドラマーのJerome Dillonにとっては(彼は、休憩できる時間帯では、つねに汗びっしょりのままドラムに倒れこんでいた。その彼が最後の曲では、容赦なく強くドラムを叩いていたのだ)。舞台を去るとき、Reznorは誇らしげに見えた。誇りに思って当然だった。アリーナいっぱいの観客にライターを掲げさせ、手拍子を取らせ、「嘘を言う椅子に座るときおれは王冠をかぶる」と歌わせるなんて本当にカッコいいじゃないか。

この日会場に遅れて来た人々が見逃したA Perfect Circleは、手堅い演奏を行なっていた。このバンドはToolのヴォーカリストMaynard James Keenanが結成したユニットで、Toolほど重厚ではないが、中東のメロディーを思わせる、低音の効いた扇情的なハードロックを聴かせていた。

長髪のKeenanは胸をはだけて登場。歌声は馬のいななきのような音を立てないEddie Vedderのようで、仕草は若きJoe Cockerのようだった。

彼らを見るのは初めてだったが、ステージの終わりに近づくにつれて大言壮語が多くなり、私は最後までついていけなかった(それは私だけではなかった。彼らを見に来ていた観客のなかにも、途中で寝ていた人が数名いた)。しかしKeenanのはいていた絞り染めのズボンはカッコよかった。

by Mac Randall

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