【インタビュー】10-FEET、シングル「helm'N bass」完成「何万字の意味を込めたひと言が誰一人に伝わらなかったとしても、僕は思いを込めて作る」

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■曲は心に響いたり刺さったりしないといけない
■それが音楽のやるべき一番重要なこと


──歌詞は詩的な表現がものすごく多いと思うんです。たとえば、“トカゲみたいな言葉たち”という歌詞は、トカゲは多様性のある生体だから、多様性ある言葉のことなのか。あるいは、トカゲのしっぽ切りのように、捕まえようとしても逃げてしまう言葉たちのことを指しているのかとか。また、“ピノキオが作ったピノキオみたいなもん”という歌詞は、ゼペットじいさんが作ったピノキオが魂の入っていない操り人形だとすれば、永遠に魂が入らないということを歌詞で言おうとしているのかとか。映画『THE FIRST SLAM DUNK』エンディング主題歌「第ゼロ感」も、聴き込むといろいろな発見があって。コーラスの回数を作品中に出てくるドリブルの回数に合わせてるんじゃないかとか。

TAKUMA:あっ、マジですか。それは知らなかった(笑)。

──歌詞を書いてるときのTAKUMAさんの苦悩や、納得いかないから最初からもう一回っていう努力とか、そういう普段は表立って見せないTAKUMAさんの姿を、“家政婦は見た”ばりに見てしまった気が、勝手にしてるんですよ。

TAKUMA:そんなふうに聴いたり読んだりしてもらえるのは、嬉しいです。僕はタイプ的に、すごく考えて考え抜いて曲を作って、歌詞も考えて考え抜いて書いているんですね。その作った過程と同じぐらい紐解いてもらえたり、スッキリしてもらえたり、ドキッとしてもらえたりとか、聴いてくれる人に同じように知ってもらえたら理想的やなって、そう思うタイプなんです。でもそんなふうになるわけがない。とっくの昔に、そう思っている部分もあるんですよ。これは全然ネガティヴな話じゃなくて。小学校のときに、なんとなく好きで歌っていた曲が、20代や30代や40代になってから、改めて歌詞をよく読んでみたら、“めちゃくちゃいいこと歌ってる!”って思ったり。そういうのってよくある話だと思うんですね。


──やっと自分が歌に追いついた、というか。

TAKUMA:聴いた瞬間に“めっちゃええ歌詞やん!”と思ってほしいのはやまやまなんですけど、そんなわけないし。“そうなりたいんだったら物書きになりなよ。小説を出しなよ”って話になってくるわけで。そういうことは、だいぶ昔、若いときから知っていたので。やっぱり、あくまでも音楽なんだと。

──はい。

TAKUMA:で、相変わらずめっちゃ苦悩して曲を書くけど、その過程とか、ほんまにそこで言いたいことや表現したかったことが伝わるのは、1%か2%…いや0%もざらなんだってことは分かっているんです。まずは、とにかく音楽が良かったり刺さったりしないといけない。つまり、僕が昔聴いたり歌ってた曲に対して、“今、思い返したらいい歌詞やな”って分かるのも、その曲を今も覚えてるぐらい自分に刺さっていたから、ここまで辿り着いてるわけで。まず曲というのは、音楽として心に響いたり刺さったりしないといけない。それが音楽のやるべき一番重要なことであり、それこそ音楽の力であり、音楽だからできることだと思うんです。やっぱり歌詞に感動したりとか、ずっと心に残っている曲が僕にもいっぱいあるんです。

──その人にとって、その曲が長生きします。

TAKUMA:たとえそれが、他の人にとってはただの記号やメッセージ性のない音に感じられたとしても、そのひとつひとつに思いを込めていないと、自分の思う音楽の完成形になっていかない。それでひとつひとつ込めているんです。

──わかります。

TAKUMA:“トカゲみたいな言葉たち”というのも、綿矢りささんの小説とかチバ(ユウスケ)さんの曲にも、トカゲみたいな生体とか色合いを感じさせる表現があって。人の暗部というか湿度の高い部分は、誰しも持っていると思うんですね。それを出す出さないは置いといて。もっと簡単に言ったら、人のいやらしい部分とか。


──そうだったんですね。

TAKUMA:ピノキオは、ゼペットじいさんが作った人形ですけど、心を持ってひとりの人物みたいになっていくわけですよね。それが“作ったピノキオ”で。“ピノキオが作ったピノキオ”は、人工知能としてのAIが出した答えやアイデアだったり、AIが作るAIの人間や景色だったり。そういう時代や世界のことも今は感じているので。『フェルマーの料理』の時代背景って、物語の中にはSNSとか出てこないですけど、ドンズバの現代なのかなと思ったんですよね。人の生の声以外も聞こえてくるような現代で、自他ともに気にしたり悩んだり、自信持ったりなくしたりしながら、それでも闘って、ひとつの情熱あるものに辿り着いたり、興味ある人に出会ったり。打ちのめされやすい環境がすごく多い現代の中で、頑張っているなって印象も『フェルマーの料理』の主人公にあったんです。そんな世界観や時代背景も、説明がましくなく、ジャン!って音楽で表現したかったんですよ。普段はこんなふうに歌詞の説明は一切しないんですね。このシングルの取材も幾つか受けましたけど、初めて話したことです。

──わかりました。

TAKUMA:なんとなく書いてるような歌詞も、意味合いとか背景やメッセージとか、わりと考えたり思いついたりしながら書いてたりします。でもそれは、伝わらなくてもいいと思ってます。投げやりな意味じゃなくてね。僕が何万字の意味を込めた一言があったとして、それが誰一人にさえ伝わらなかったとしても、僕は込めて作る。それがやるべきことなんちゃうかなと思ってるので、今はただただ、それをやってますね。

──全てがしっかり伝わらなかったとしても、なにかを感じ取ってくれたらという?

TAKUMA:込めていれば、なにかが。

──解釈も響き方も人それぞれだろうけど。

TAKUMA:そうですね。僕しか思いを知らないってことだらけですね、最近の歌詞に関しては。


──でも「helm'N bass」の歌詞はレクイエムですよね? イントロセクションはレゲエアレンジで、レゲエは精霊に祈りを捧げる意味合いを持つ音楽だったりもしますし。物理的に目の前から消え去っても、魂はずっとここに生き続けるんだっていうことが、歌詞にもイントロにも響いていると受け取ったんです。近しい存在のヒーローや友人が、2023年に別の世界に旅立ってしまったから、そういった感情がもたらした鎮魂歌なのかなと思ったんですが。

TAKUMA:そういう時代というか、世界というか、時間を僕らは生きてきたんで。最近のテーマは、今の僕たちというのが多いです。今の僕たちってものを、まずジャーンと鳴らしてそこからやな…みたいな。歌詞も音楽も。

KOUICHI:「helm'N bass」のイントロのレゲエアレンジも、“この長さ”とか“こんな感じ”っていうのも、最後に決まったんですよ。みんなで「どういうふうにしよう」って尺とかの話をしたのは覚えてます。最初のうち、レゲエパートはなかったよな?

NAOKI:この曲もイントロは後から作ったと思う。

KOUICHI:アウトロがレゲエっぽい感じやったんで、それをイントロにも持ってきていいんじゃないかってところから、レゲエパートに膨らんでいった感じかな。

──10-FEETは過去にレゲエ要素を採り入れた曲が幾つもありますけど、このベースラインのニュアンスは秀逸だと思いました。

NAOKI:曲全体の雰囲気というか、曲が持っている世界観が、今までにない感じだったから、その世界観に沿ってイメージしたベースラインを作っていった感じです。


──指弾きですか?

NAOKI:いや、ピックです。最初にTAKUMAのザックリしたデモ音源があって、そこにベースも打ち込んであったんですよ。それを参考に、というか“こういうイメージなんやな”ってのを身体に入れて。それを消化して自分の中から出てきたベースラインをちょっとずつ組み上げていった感じです。この曲を3人で合わせ始めたのは、今年4月か?

──ずいぶん最近ですね。

KOUICHI:ホヤホヤです。出来上がったばかりって感じです。

──冒頭でお話したように、ジャケットデザインには紙飛行機がコラージュされていますが、歌詞では“紙飛行機”ではなくて“kami飛行機”という表記なんですよね。“kami=神=ゴッド”ですか?

TAKUMA:はい。

──目の前からいなくなったかもしれないけど、神になったkami飛行機が、みんなをいつも見守っているという?…教えてくださいよ(笑)。

TAKUMA:ははは。いや、勝手にしゃべってください。それでいいんです(笑)。

──作り終えて、この歌詞には二人もグッとくるものが?

KOUICHI:歌い方とか、全てにおいて新しい感じがするな。ライブでどういう化け方するのかなって楽しみもあります。

NAOKI:歌いまわしとかも、今までにない感じで。そういう面で新しさもあり。でも「helm'N bass」は、ライブでまだ一度もやっていないんですよ。「gg燦然」も「Re方程式」も、実際にステージでやってみるまで分からなかった部分もあったんです。「helm'N bass」もライブでやってみて初めて分かることがきっとあると思うんで、そのときが楽しみではあります。

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