【インタビュー】the superlative degree本格始動、1st EP『導火』でシーンに完全帰還「“いつかまた”みたいなことはしない」

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the superlative degreeが6月2日、1st EP『導火』をCDリリースする。これに先駆けて5月21日より各種音楽サービスにて先行配信が順次スタートした。中心人物である橋都章人(Vo / ex. ALL I NEED〜HUSH〜acalli)は、2010年に音楽業界を一度引退したものの2023年4月、HUSH主催イベント<-cocoon841415516->で13年ぶりにステージ復帰を果たした。同公演はHUSHオリジナルメンバーでの20年ぶり復活というトピックも注目を集めた。

◆the superlative degree 画像

「どうせ戻ってきたのなら、自分らしい新しい音楽を書いて未来に残したい」──章人が新バンドのメンバーとして白羽の矢を立てたのがSHINGO (Dr / ex. JURASSIC)だ。ふたりのセンスと経験を重ね合わせたサウンドは、この時点ですでに未来の輝きを予感できる先鋭的なものであったという。そこに加わった元HUSHの誠一朗(G)と宏之(B)、YUJI (G / ex. acalli)がアンプリファイアーの役割を果たすがごとく、the superlative degreeに鋭さとパワーをもたらした。

そして完成した1st EP『導火』には全4曲を収録。攻撃的でノイジーなサウンドだけではなく、メロディアスな美しさを持ちながら、彼らがそこに詰め込んだセンスは、実績に裏付けられた普遍的であり最先端なものだ。“最上級”を意味するthe superlative degree結成前夜から1st EP『導火』制作に至るまで、章人とSHINGOにじっくりと語ってもらったロングインタビューをお届けしたい。


▲1st EP『導火』

   ◆   ◆   ◆

■自分に残されてる時間には限りがあって
■ここからの人生に対して後悔したくない


──新バンドthe superlative degreeが始動を発表したのは2023年末のことでしたが、このバンドについて語っていくうえではまず、“これまでの経緯”を振り返っていく必要があるように思います。というのも、フロントマンである章人さんは、2010年に一旦シーンから引退されていたわけですよね。

章人:実際、2023年までは完全に引退してました。まぁ、そういう決断をした14年前は身体にガタが来てたというのもあったし、音楽活動としてもソロプロジェクトが続いていたことで精神的に追いつめられたり、もっと言えばモチベーションが削がれるような状況もけっこうあったから、あれはいろいろなことが積み重なった結果でもあったんです。

──では、そこから章人さんが再び音楽活動を再開することになった切っ掛けとはどのようなものだったのでしょうか。

章人:やっぱり、一番大きかったのはhiroが亡くなったことでした(注:hiro=te'のギタリストであった故・黒田洋俊氏。2021年11月30日逝去)。俺が引退して社会人としての仕事をしてる時も連絡はずっと取り続けてて、お互いの誕生日にメッセージしたり、hiroからは「また呑みに行きましょうよ」って幾度となく声をかけてくれてたし、こっちからも「そうだな。いつか行こうな」ってなかば社交辞令的な返事を繰り返しているうちに、ある日hiroが死んでしまって。しかも、その事実を俺が知ったのは約2ヵ月後だったんですよ。共通の知人もたくさんいたはずなのに、誰も教えてくれなかった。そこで自分としてはかなり葛藤を感じたところがあって、もう“いつかまた”みたいなことはしないほうがいいって強く思ったんです。

──いつかではなく、今しかないと思われたのですね。

章人:正直なことを言えば、14年前に辞めた時もそうだったし、引退してた間も“音楽はやろうと思えばどんな形でもいつかはきっとできるだろう”と考えてたところはあったんですけどね。でも、きっちり線引きをしたい自分もいたから、意図的に音楽の世界から離れようとしてたんですが、hiroが亡くなったことを知った時は明確に“いつかじゃダメなんだ”っていう気持ちになりました。そこから、俺はもともと交友関係のあったバンドや、ミュージシャンたちのライヴにまた足を運ぶようになったんですよ。自分からずっと絶ってしまっていた関係を再構築していくために。みんなと会えるうちに会わなきゃ、っていう気持ちが凄くありました。引退直後から、いろんな方面から「戻ってきてほしい」という声はたくさんもらってましたしね。


▲章人(Vo)

──その後の具体的な動きとしては、2023年4月に横浜7th Avenueで開催されたHUSH主催イベント<-cocoon841415516->が実現し、3Daysが完売。章人さんは待望の現場復帰をされました。そして、2023年はそれ以降もHUSHとしてのライヴが何本かありましたね(注:HUSH=2002年1月から2004年9月にかけ、元ALL I NEEDの橋都章人と元Plastic Treeの大正谷隆が中心となり活動したバンド)。

章人:HUSHに関しては20年ぶりにオリジナルメンバーでの復活っていうことで、やれると想像すらしてなかったのでノスタルジーにひたれたところはありましたね。こんなに良い曲がたくさんあったんだなとあらためて思ったし、バンドとしてはもう二度と解散はしないっていうこともみんなにステージから伝えることが出来ました。ただ、俺としてはHUSHで新曲を書いて続けて行くというよりは、また別に新しいバンドでやりたかったんです。

──新しいバンドとは、すなわちthe superlative degreeのことですよね。ちなみに、メンバー構成としては章人さんを筆頭に、ギターの誠一朗さんとベースの宏之さんはHUSHのメンバーでもあります。傍目にはHUSHが母体となっているように見えますが、その解釈は合っていますか?

章人:いえ、そこは紆余曲折でこうなった、っていうことなんですよ。俺としてはHUSH色を強くしようとは思ってなかったし、一番最初に誘ったのはSHINGO (Dr)だったし、ベースもギターも多数候補がいた中から、どうしようか?と悩んでいる時に高瀬(宏之)が自分から「やる」って言ってくれたんで、そこはありがたかったですね。

──誠一朗さんについては?

章人:誠一朗とは30年くらいの付き合いで、あいつは凄く社交性の高い人だから、そういう能力も魅力で誘った感じかな(笑)。そして、もうひとりのギタリストのYUJIは俺がやってたソロプロジェクトのBEAUTY MANIACSとacalliにも参加してくれてたのと、誠一朗とはタイプが違うんで、けっこう引き出しを持ってるから、そこでのバランスも取れそうだと思って誘いました。

──その点、ドラマーのSHINGOさんは元JURASSICのメンバーで、過去に章人さんと活動されていたことはありません。つまり、the superlative degreeが始動するのにあたってはSHINGOさんが重要なキーパーソンであったことになりそうですよね。

章人:HUSHで久しぶりにライヴをやるって発表したあたりで、SHINGOから連絡が来るようになって、そこから月イチくらいで一緒に呑むようになったんですよ。で、気持ちワルイことにちょうど同じタイミングでふたりとも“新しいバンドをやりたい”と思ってて、話してるうちにそれがわかったんです(笑)。

SHINGO:ほんとにそんな感じでした。しばらく連絡もとってなかったし、携帯が壊れたせいで連絡先もわかんなくなってたんですけど、章人さんがまたライヴやるっていう話を知った時期に、章人さんのX (旧twitter)アカウントを見つけたんでDMを送って、そこから連絡をとったり、会って呑むようになって、しかもお互い新しいバンドをやろうと思ってることがわかったんです。


▲SHINGO (Dr)

──2023年10月19日に目黒ライブステーションにて行われた<JURASSIC 結成25周年記念 3Days Live>には、HUSHも初日にゲストとして出演していましたけれど。あの時点で、既にthe superlative degreeは水面下での動きを始めていましたものね。

SHINGO:JURASSICとしてもあの3Daysは久々のライヴだったし、おまけにあれは限定的な復活で、それが終ったのと同時にまた解散してますから(笑)。その次の動きとして、the superlative degreeを2023年末に始動させることは前から決まってました。

──そもそも、SHINGOさんと章人さんの親交は、いつから始まったことになるのですか?

章人:まだ俺がALL I NEEDをやってた頃ですね。あれって、JURASSICが上京したばっかの頃だったんじゃない?

SHINGO:いや、その頃に知り合っていたのは僕じゃなくてJURASSICのヴォーカルのYU+KIです。僕が章人さんと話すようになったのは、ALL I NEEDが解散してからでしたよ。HUSHが始まるかどうか、っていうくらいの時期だったと思います。

章人:そっか。まぁ、いずれにせよ20数年前の話ですよ(笑)。

──かれこれ四半世紀の時を経て、両者が共にバンドを組むようになったというのはなかなか感慨深い展開です。

章人:あらためて話してみると、SHINGOとはお互いの感じてることや考えてることがけっこう近かったんですよ。自分に残されてる時間には限りがあって、ここからの人生に対して後悔したくないっていう話なんかもしているうちに、どんどん“これはSHINGOとやったほうがいいな。やってみたいな”って思うようになりました。特に、ドラムとヴォーカルってバンドの要ですしね。そこが真っ先にちゃんと固まったら、そのあともきっとうまく進んでいくだろうって感じてたんですよ。

──ドラムとヴォーカルの関係性は、俗に“縦のライン”として重要視されることが多くあります。章人さんにとってのSHINGOさんは、まさに頼もしい相方なのですね。

章人:SHINGOって、音楽に対して異常なほど真面目なんですよ。キャリア的に言えば後輩ですけど、引退してた分、今は先輩でもあり。いろいろ見習わなきゃいけないところが凄くあるし、俺のほうが引っ張られる場面とか要素がたくさんあるんです。


──ALL I NEEDでも、HUSHでも、これまでのバンドでは圧倒的に章人さんが牽引する立場であったことを思うと、そうした新しいパワーバランスからはこれまでにないものが生まれてくる可能性を感じます。

章人:そこはほんとに凄く良い関係性だと思いますね。SHINGOはサポートドラマーとしてもたくさんの経験を積んできてて、各現場での自分の立ち位置っていうのもよく踏まえてるから、こうしてthe superlative degreeで一緒にやるってなってからも、“心得てるなぁ”って感じるところが多々あるんです。

──なんでも、SHINGOさんは中島卓偉さんのツアーサポートもされているそうですね。

SHINGO:はい、やらせてもらってます。でも、近年は何かとそういうサポートばっかりだったんで、やっぱり“バンドをやりたい!”っていう気持ちが大きくなってたのも事実なんですよ。とはいえ、一緒にやれそうなメンバーもなかなかいなくて、どうしようかな?と思ってた時にちょうど章人さんと再会できたんです。

──それは運命的な再会だったのかしもれませんね。

SHINGO:いやでも、最初はなかなか自分から「一緒にバンドやりたいです」とは言い出せませんでした(苦笑)。実は、バンドをやるってなる前に自分のバースデーイベントにゲストとして出てもらったことがあって、それのリハのためにスタジオに一緒入った時にはブランクを全く感じなかったことに凄く驚いたんですよね。過去に対バンしたことは何回もあったけど、一緒に音を出すのは初めてで、そのうえ章人さんはずっと引退されてたわけじゃないですか。でも、そんな風には全く思えなくて。“凄いなぁ。章人さんとバンドやれたらなぁ”とは思いつつも、自分が後輩っていうのもあるし、自分じゃまだまだ未熟だし無理だろうなとモゴモゴしてたら、あるとき章人さんから「一緒にやらないか」って言ってくれたんですよ。あれは凄く嬉しい一言でした。自分から告白するつもりだったのが、告白されたみたいな(笑)。

──まるで少女マンガのようです(笑)。

SHINGO:あはは。まぁ、僕も気付けばいい歳ですし。いつまでドラムを叩けるかわからないからこそ、ここからもっと悔いのないように音楽をやっていきたいと思ってたところだったんで、ちょっと運命的なものは感じましたね。

章人:さっき話に出た、SHINGOのバースデーのリハをやった時に「歌いやすかったですか?」って、いきなり終わった瞬間に訊かれたんですよ。全然お世辞とか抜きにほんとに歌いやすかったから、素直に「歌いやすかったよ」って答えたんですけど、この人はサポートをいろいろやってるからとか以上に、音楽に対する向き合い方だったり、その根底の部分にある人間性からして凄いものを持ってるんですよね。もちろんプレイヤーとして上手いっていうのも当然それはあるけど、そことは違う意味でもSHINGOはバンドをやる相手として理想だなって感じたんです。

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