【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話015「執筆ルールってなんなの?」
前回のコラム014「執筆ルール」がバサッとカットアウトな終わり方だったので、言葉足らずだった点に触れておかなくちゃと思った。エクスキューズのつもりはないけど、勘違いや思い違いがあったらイヤだなという単純な気持ちだ。
前回で触れた執筆ルールというのは、いわば自分の価値観をかたちにしてみたものだけれど、自分の考えや志のようなものに対して、世の中の動きはあまりに早い。つまりは、自分の考えや感覚が時代に付いて行けず、置いてけぼりを食らうという危機感は常に隣り合わせだ。言ってみれば自分だって、先人の教えを頂きながら「時代が違うんだよ」とマイルールにねじ伏せ、これが時代の正義なんだと息巻いてきたわけだから、Z世代に大きくひっくり返されるのも当然の摂理というものだ。
前回は制定したルールというものを具体例を上げて記したけれど、もちろんこれらは時代の推移によって形を変えてきたし、それはこれからもそうだろう。例えば「表記ルールを設ける意味」は、ひとえに「読みやすさを担保するため」なのだけど、一方通行だった旧メディア時代から、SNS時代となって全員が発信者になった今、BARKSというサイト内で表記ルールを遵守することの意味はほとんど消え失せている。記事は単発で拡散され、時には一部だけ切り取られ、あるいは自由に書き換えられながら、世の中に流れていく。誰もが自分の表記ルールで情報を発信し受け取り咀嚼する。意味が通りさえすれば、表記にこだわることはエネルギーの損失だ。表記の違いでニュアンスや丁寧さなどを演出できるのが日本語の素敵なところだけれど、求められていなければ意味はない。単に細かい表記にこだわるのはただの老害だ。
感覚の変化もある。「」内は『』を使うという日本語の鉄則が身体に染み付いていたから、「」内に「」が入るのは生理的に無理だったけど、いつしか平気で使うようにもなった。例えば「私のニューシングル「○○○」を聴いて下さい」という感じでね。文の一部が切り取られる時にも違和感が少ないし、そもそも前後の脈略に価値を見出してるわけではないと思うと、四角四面なルールに振り回されるのはナンセンスだ。
文末に「。」「、」を連打する表現にも寛容になった。「そうなんですね。。。」みたいなやつだ。日本語において句読点の連打を許容する文化なんて数十年前にはあり得なかったけど、SNS時代になってみると「、、、」は、躊躇とか困惑とか軽い動揺を表すのにちょうどいい。言葉は生きていて時代とともに常に変化していくとはいうけれど、テキスト入力文化の変化スピードは尋常じゃない。今やLINEでは「。」を入れるか入れないかに気を使う時代だから、もうルールなんてぶっ壊れている。そういやブログ全盛の時代は、改行の量でリズム感を演出していましたよねぇ。
BARKSも世代交代をして新陳代謝を上げていくと思うけど、先代が「!」を使うなと言ったから使わないとか言わず、使いたかったらガンガン使えばいい。「!」の数で感情が伝わるならば、それはそうした方が良い。それが時代だし、生きたメディアの取るべき歩み方だ。世代が変われば価値観も感覚も変わるのが道理で、世代間のギャップは思ったより大きい。双方で共有できる理解の幅は期待するほど大きくないだろう。それが進化というものだ。
さてここでアンケート。文末につける「(笑)」と「w」、どっちのほうがピンと来ますか?多数決で多い方を採用したいんだけど。双方向の時代だからこそ、皆さんの感性に寄り添うことが正義とも思ったりするわけです。
文◎BARKS 烏丸哲也
◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
この記事の関連情報
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話037「生成AIが生み出す音楽は、人間が作る音楽を超えるのか?」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話036「推し活してますか?」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話035「LuckyFes'25」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話034「動体聴力」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話033「ライブの真空パック」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話032「フェイクもファクトもありゃしない」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話031「音楽は、動植物のみならず微生物にも必要なのです」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話030「音楽リスニングに大事なのは、お作法だと思うのです」
【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話029「洋楽に邦題を付ける文化」