【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話014「執筆ルール」
BARKSを始める前は音楽専門誌の編集部に従事していたんだけど、雑誌というのは校正にものすごく時間と労力を傾ける。印刷され製本され流通され発売日には全国の書店に並ぶものなので、恥ずかしいものは作れないという自意識が強かったと思う。ミスは恥として徹底的な校正を行っていた。
そんな出版業界で揉まれたものだから、BARKSを始める際にも原稿執筆時のルールと心得を作り、編集部内で徹底させた。ルールというのは自分たちで制定した統一表記で、例えば漢字を使うか開くか、「ブ」なのか「ヴ」なのかみたいなところだ。省略の仕方とか「」と『』の使い分けとか、年月日の表記法とか半角全角の使い分けとか中黒の有無とか。まあでもこのあたりは決まりなので、みんなで守りましょうというだけなので、それ以上でもそれ以下でもない。
問題は心得だ。これはなかなか明文化しづらいもので、要は「手を抜かずにいい記事を作りましょう」ってことなんだけど、そんなスローガンのようなものを掲げたって形骸化するだけだから、いい記事を作るために意識すべきポイントなどを、具体的に示したりもした。特に日々受け取るリリースなどは様々な文体で書かれ内容もまちまちなので、どう内容を整理すれば読みやすいニュース記事にリライトできるか、ヒントや指南を上げ、その指針を示した。
「何を伝えたいとしているのかを汲み上げ、情報に優先度をつけて過分な情報は割愛する」とか、「まずは簡潔に結論を書こう」「簡潔・シンプル・ソリッドに」といったイロハを提示した。「文章に大事なのはリズムですよ」といったヒントも伝えたし、「タイトルは要約に非ず、読みたいと思うパワーワードを考えよう。ただしスキャンダリズムに走るべからず」といった具体的な助言を示したりもした。
ただやはり、こんな教科書のようなことを並べ立てたとて、誰もが心動かす記事を書けるようになるわけではない。何か足りない。
例えば音楽の場合、音符と休符で成り立っているのに、アマチュアに限って音を足しがちで休符がおざなりになったりする。音符にばかり目が行って休符にまで気遣いが行き届かない。原稿を書くのも同じだよなと思い、「こうしましょう」「こうすればいい」という足し算の発想ではなく「これはやっちゃいけない」「これはやめよう」「こういう表現はしない」というNGルールを明文化した。そしたら、BARKSの記事が平均的に一段向上した。
やって欲しくないことというのは、メディアとしての公式な意思ではなく一編集者個人の嗜好だよなとも思ったが、そこは編集長という権限を振りかざして「えいや」と制定してしまうことにした。例えばこんな内容だ。
●体言止めは可能な限り避ける。だ、である調で明言する。
体言止めを見ると「なぜそこで止めるの」とちょいイラッとする。最後まで言い切らない気持ち悪さと、断定的にモノを言わない無責任さが香るからだ。読み手に理解の労力を強いる点も許せない。最後の締めを入れようとすると「どういう言い方が適切かな」と、もうちょっとだけ労力が必要となる。めんどくせえと思ったら体言止めが便利だから、「そんな手抜きをして読み手に伝わると思っているのか?」と律することとした。体言止めにすることで余韻を残し、読み手の感情に幅をもたせる…そういう目的ならば、文末では有効かもね。
●常套句は使わない。
常套句も基本的にNGとした。もちろん適切であれば使ってもいいんだけど、実際は便利な言葉だから乱用されることばかり。文末の締めに使われる「ファンならずとも必見だ」とか「一時も目が離せない」とかを見ると、書き手に対して「思考停止してんな…」と感じてしまい信頼性が一発で吹き飛ぶ。それ以前の文章すらも台無しにしてしまうレッドカードだと私は思っている。
●安易・無責任な言葉もNG
ここは難しいところだけど、「待望の」という言葉も安易に使ってほしくない。本当に待望だったのかを考えると、軽々と使えない言葉だと思うわけです。出る出ると言ってなかなか出なかった作品に対して、堂々と使って欲しい単語なんだから。
「本物」という言葉も使い方が難しい。使いたい気持ちはよく分かるけど、使った時点で「偽物」の存在も肯定してしまう気がして、じゃあ偽物って誰なのよ?とひとりでダークサイドに落ちてしまう。そんなツッコミどころ満載の言葉、なかなか使えないですよね。
●!の乱用注意
BARKSでの記事化においては「!」は使うなと指示をしてきた。もちろんアーティストのオフィシャル発言やライター執筆文ではそのまま記載するんだけど、編集部が執筆する場合に限っては「!」の使用は基本NG。何故かって?「!」はひとつのアイコンでありアイキャッチであり、文章ではないから。その文章を強調したいのなら、文章自体が強い主張を持つように書き込むべきで、「!」をつければ強く伝わると思った時点で、それはインテリジェンスの欠如だと思うわけです。そんな志だと生きた文章は書けなくなる。まして「!!!」なんてもってのほかで、まるで「私は思考停止で文章を書きました」と言っているようなもの。実際のところ「!」をすべて削除して読み直してみるとよく分かる。文章が伝える力はびっくりするほどなーんにも変わらない。おまじないにもなってないのです。
そして、もっと抽象的で具体的な助言ができない志のようなものもある。例えば、アーティストのすばらしさを伝える時「かっこいい文章」を書きがち。「アーティストがカッコいい」ことを伝えることが「是」なので、むしろ文章はイモ臭くてかまわないのに、「この文章を書いている俺かっけー」になっていく。これはデザインにもありがちで、「アーティストがかっこよく映るデザイン」ではなく「かっこいいデザインにアーティストがハマっている」になりがち。これ、天と地ほど違うんだけどね。だってアーティストを差し替えても成立しちゃうんだもん。それじゃダメでしょ。
いい出したらきりがないので、今回はこのあたりで打ち止め。
文◎BARKS 烏丸哲也
◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ
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