【押し入れに眠るお宝楽器を再生させよう】第3回 アルトサックス編
押し入れに入れっぱなしになってホコリやサビだらけになった楽器。あんなに憧れて手に入れたのに、仕事や環境の変化でながく演奏から離れてしまい、残念な状態になった楽器。そんな楽器をもう一度演奏したいと思った時に遭遇するのが楽器の不具合。ケースをあけてみると、「サビている」「カビが生えている」「動かない」、そして当然のように「音が鳴らない」。そんな時にお世話になるのが、楽器店やメーカーよる修理・調整=リペア。プロのリペアマンが熟練の技で、楽器を再びちゃんと鳴るようにしてくれる。
とはいえ、いざリペアをお願いしようと思っても、料金や作業内容に不安を持つ人も多いはず。そんな不安を解消すべくスタートしたのが本企画。プロのリペアマンの作業場におじゃまして、リペアの工程を見せてもらう「押し入れに眠るお宝楽器を再生させよう」。クラリネット、トランペットに続く第3弾は「アルトサックス」だ。
▲リペアセンターがあるのは、ヤマハ銀座店4F管楽器・弦楽器・打楽器のフロアの奥。壁にはリペアに使用するさまざまなアイテムが、修理調整中のアイテムとともに並んでいる。
前回に引き続きお世話になったのは「ヤマハ銀座店」のリペアセンター。国内最大級の総合楽器店で、管楽器からバンド系の楽器、楽譜などを幅広く取り揃えるほか、コンサートホールやスタジオ、大人の音楽教室も併設した大型店の4階、管弦打楽器を取り扱うフロアの奥にある。管弦楽器リペアセンター主任の名郷根弘行さんに、リペアの工程を実演するとともに詳しく解説してもらった。
▲リペアの実演と解説をしてくれたのは、管弦楽器リペアセンター主任の名郷根弘行さん。取材の際は撮影の都合上、リペアルームとは別の部屋で作業をしてもらった。
今回ターゲットとなったアルトサックスは、リペアセンターに持ち込まれるサックスの中では最も多い。その次がテナーサックスで、ソプラノサックスやバリトンサックスはそれらに比べると少ないそうだ。
▲作業を行うアルトサックスは、リペアのために分解が済んだ状態で用意してもらった。主なパーツは、トーンホールを塞ぐタンポ(パッド)が付いたキイやレバー。1つのサックスを構成するパーツは約600に及ぶが、リペアの際には細部までは分解せず、30工程までの分解だ。
▲管体に空いているトーンホールは25個あり、すべて見える状態まで分解。10本の指で遠くのトーンホールも一度に押さえられるように付いているキイやレバーは外した状態。キイを支えるキイポストは付いたままだ。
まずは楽器の状態をチェック。前回までの楽器に比べると、さほど汚れているようには見えないが、「水あかのようなものがけっこう付いています。これは吹いた時の唾液だったり手垢ですね。あとはパッドの傷みがいくつかあります」と名郷根さんが状態を説明してくれた。
▲タンポ中央の色の濃い樹脂の周りにある黒ずんだシミのようなものが孔の跡。ここに汚れがたまっている。革やフェルトは経年劣化が避けられないので、定期的な調整が必要になる。
サックスの管体にあるトーンホールまたは音孔(おんこう)と呼ばれる孔(あな)を塞ぐのが「タンポ」(パッド)の役割。タンポが孔を塞ぐことで管の長さが変わり音程が決まる、とても重要なパーツだ。このタンポの表面に輪のようになっているのが孔の跡。その跡が付いたところに汚れがたまって黒くなっているという。
「タンポは中がフェルト、まわりが革で覆われています。使っているとどうしても傷んだり汚れてきたりするので、交換が必要な消耗品となります。交換の必要はなくても、フェルトや革は使っているうちに変化してくるので、定期的な調整が必要になってきますね。」
▲汚れ具合、へたり具合はパッドによって異なる。金属でできたキイにもホコリのようなものがこびりついているので、これらもしっかり落としていく。
──定期的というのはどれぐらい?
「目安としては半年ぐらい。手入れをきちんとされている方であれば1年に1回でも十分だと思います。ただ1年ぐらい使ってくるとパッドの状態やバランスなども変化してきますし、キイの間にオイルを差したりするのですが、そういったオイルも切れてきますので、1回分解してクリーニングしてオイルを差し直すという定期的なメンテナンスが必要になります。オイルが切れてくるとどうしても金属同士が擦れて削れてガタつきが出てしまいますので、そういった不具合を防ぐために定期的に分解してクリーニングしてオイルを差すという作業が必要になります。」
──それはプレーヤーの方は自分でやらない方がいいということですね。
「そうですね。分解するのも難しいですし、ご覧のようにキイもかなり多いので、素人の方ではなかなか難しいと思います。あとで調整しますが、ひとつひとつのパッドがきちんと穴に塞がるように合っているかどうかをチェックして、合った上でいくつかのパッドが一緒に閉まるところがあるので、それらのバランスの調整が必要になってきます。そういった細かいところを見てやっていきます。」
「楽器は組み立ててあると意外とわからないのですが、よく見るとこういうところに水垢が付いています。細かいところを分解すると汚れが比較的目立ちます。そういった水あかみたいな唾液の汚れなどは、お手入れグッズのラッカーポリッシュできれいにしていただければと思います。真鍮に透明なラッカーという塗装がしてあるものは、ラッカーポリッシュでかなりきれいになります。前回のトランペットのようなシルバーの楽器はシルバーポリッシュだったのですが、それとは塗装の仕方が変わってきます。今回のアルトサックスは、真鍮という金色っぽい金属に透明な“ラッカー”という塗料を塗っているんです。そういった楽器はラッカーポリッシュできれいになります。」
■水が溜まりやすいキイに注意
──汚れが一番わかるのはどのあたりですか。
「こういったパッドの傷みは交換していきたいですね。あとで組み立てたものを見ていただくんですが、常に閉まっているキイは水分が溜まりやすいので汚れが目立ちます。あとは、上の吹くところに近いところ。このあたりが傷みやすいです。」
▲通常は閉まっている孔は水垢がこびり付いているのがわかる。
▲ネック側のキイポスト付近もかなり汚れている。
▲こちらは比較用に用意してもらった組み立て済みのもの。演奏していない状態では孔がふさがれているのがわかる。
「一番下のLow Es(ロー・エス)キイ、Eフラットの音なんですけども、ここは比較的交換する頻度が高いですね。」と、説明しながらキイを押したり離したりすると、開閉するたびに音が鳴る。
▲調整がしっかりしていれば、キイを押してパッドが開閉するたびにポンポンと音が鳴る。
「一つずつきちっと閉まっていて、ある程度合っているとこういう“ポンポン”っていい音がします。それに対して、一つずつすき間が開いていたり調整が狂っていたり、『バランス』と言って一つ押す時に一緒に閉まるところがいくつかあるのですが、このバランスが崩れていると音が鳴らなかったりします。」
ここで説明のために、あえてバランスを崩してみることに。バランスをとるための「調節ネジ」を回すと、ポンポンという小気味良かった音が、スカスカとなんとも間の抜けた音になる。
▲バランスを調整するための「調節ネジ」。
再びネジを回して元に戻すと、先程までのポンポンという音になる。ネジ一つを回すだけではあるのだが、調整はなかなか難しそうだ。
■分解の手順をチェック
続いて分解の手順についていくつか見せてもらった。分解に使うドライバーは何種類かあり、ネジの大きさに合わせてドライバーを使い分ける。まずは芯金と呼ばれる棒状のネジを外していく。
▲分解の際はネジの大きさに合わせてドライバーを使い分ける。写真は棒状の芯金を外している様子。
▲芯金を外し、キイを取り出した状態。
▲一つひとつ外してパッドの状態やキイの状態を確認していく。
「芯金はちょっと細めのドライバーで抜くのですが、これとは違うネジもあります。ピポットスクリュー、日本語では鍵(ケン)ネジと言います。長いところは芯金だとたわみとか歪みが出ると動きが悪くなってしまうので、短いネジでそれぞれの両はじを押さえて止めているところが多いですね。比較的短いところ以外、長いところは鍵ネジで押さえています。」
▲長いパーツは短い鍵(ケン)ネジで止められている。分解の際はネジは同じところに戻すのが基本、なるべくポストに残すのが良い。ネジの大きさは共通なのだが、全部バラして一緒にしてしまうと組み直した時に動きがおかしくなってしまうことがあるそうだ。
▲こちらは鍵ネジのアップ。一般的なネジと形状が異なり先が尖っている。
次に見せてもらったのは「バネ」。サックスの管体には「ハリバネ」というバネが使われている。
「ハリバネを掛けることでキイが持ち上げられている状態になっています。これが外れるとキイがぷらんと下がってしまってキイが効かない、押してもパッドを開閉できなくなってしまいます。」
▲ハリバネがしっかり掛かっている状態。
▲こちらはハリバネが外れた状態。
▲5つ並んだ丸いキイ(指貝)の右端に注目。写真左がハリバネを外した状態、写真右がハリバネを正しく掛けた状態。キイが持ち上がっているのがわかる。
演奏していて外れることがないかと心配になったが、たまに洋服に引っかかって外れることがあるものの、比較的内側にあることと、バネ自体が強いこともあって、自然に外れることは少ない。
「ハリバネの反発する向きがあるのですが、この向きが違うと外れやすくなります。ですから調整の段階で外れにくい方向に引っかけることはします。U字管の下側のバネが体に触れてしまうことがあると思いますが、サックスの場合は外れてしまうということはないです。」
■組み立てに欠かせないキイオイル&リークライト&ヘラ
実際のリペアの順番とはちょっと前後してしまうが、ここで組み立ての手順も見せてもらった。キイを取り付ける際にはネジを差し込む部分に「キイオイル」を差していく。使うのは市販されているキイオイルの“ハードタイプ”と呼ばれるものだ。
▲キイオイルを差しながら組み立てていく。
「ただパイプの中に差すものなので、あまりご自身ではやらずに半年とか1年に1回、定期的にリペアにお持ちいただければと思います。プロが分解してしっかりクリーニングします。」
「また、新しいオイルを差す際は、古いオイルやグリスを取ってからやってください。汚れとして溜まっていってしまいます。なるべく分解してクリーニングしてから、新しいオイルを差す方が良いです。そのためにも調整に出していただいた方がいいですね。」
──錠一郎さんは二十何年吹いてなかったトランペットをメンテしてたんですかね(笑)。NHK朝ドラの「カムカムエヴリバディ」で、オダギリジョーさんが二十数年ぶりにトランペットを吹くシーンがあったんですが……。
「金管楽器など動く部品が多いものに関しては2、3年ぐらい経ってくると動きが悪くなってきたり、汚れで固まって動かなくなったりということはありますので、きちんとメンテナンスが必要になってきますね。」
ここで取り出したのが、これまでの取材では見られなかった「リークライト」という道具。LEDが長い紐状に連なったライトだ。
▲暗闇で光っているのがリークライト。写真では一本の光に見えるが、実際は小さなLEDが無数に並んでいる。これは市販品を改良して管楽器で使えるよう調整したものだ。
「特にサックスでは、このリークライトを楽器の中に入れてメンテナンスを行います。キイを軽く押さえた時に、2つの孔が一緒に閉まらなければならないのですが、一つは閉まっているのに、もう一つは開いていますよね。先程言ったバランスが全然合っていなんです。ということで、バランスの調整が必要になります。」
▲キイを押さえた時に閉じたパッドのすき間から、リークライトで照らされた管体の中の光が漏れてくるのを見ながらバランスをチェックする。
▲こちらはキイを離した状態。パッドの裏側にリークライトの光が反射しているのがわかる。
「バランスの調整をする際に、まず一つひとつのパッドが合っているかをチェックしなくてはいけません。たとえば今バランスが全然合っていないので、一つひとつのパッドが合っているかを見たいという時は、まずバランスの解除。2番管の後ろの調節ネジを緩めることによってバランスを解除できます。二番管後ろ中程の3カ所と、上は2カ所、ここはこの右手と左手のところのひとつずつのバランスをとるためのネジ。今緩めたので、すこしこちらが閉まるようになりました。」
▲調節ネジを緩めることでバランスを解除しながら調節していく。
▲ネジを調節したらパッドが閉まっているかをチェック。
「いまこちら側はパッドはほぼ合っている感じなので。あとはこちら側ですね、すごく細かいところですが、ちょっとだけすき間が開いています。これを一つずつ閉まるように調整をしていきます。一つずつのタンポが合っていなければ……(と言いつつネジを回し)、調節ネジを解除することによってひとつずつのパッドが合っているかチェックできるます。」
▲続いて別のネジを調節していく……。
▲ネジを回してキイを押してはリークライトの光を見ながらさらに調節を続ける。
「これがいま解除して、こっちが浮いている状態ですが、こっちを閉めると真ん中が浮きますよね。こういうところを一つずつ閉まるように調整していきます。その時に必要なのがいつも使っているバーナーです。パッドはクラリネットのリペアの際にご紹介したラックで接着されているのですが、温めることによってパッドが動きます。それによってすき間が開いているところを閉めて調整していくんですね。こういう感じで少し温めて……。」
▲バーナーでラックを温めてパッドを微妙に動かしながらすき間がなくなるようにしていく。
ここで取り出したのが2種類の道具。
▲自家製の「L字ヘラ」は4種類あるが、今回のアルトサックス調整に用意したのはこの3種類。さらに小さいものがあるという。
「まずこれは自家製ですが、『L字ヘラ』というサックスの調整の時に使うヘラです。パッドの大きさがいろいろあるので、それに合わせて4種類あります。あとは『メガネヘラ』と言われるヘラもいくつかあります。パッド中央のブースターに合わせて、パッドだけ触れるようにして調整していきます。」
▲「メガネヘラ」は4種類。1つのヘラで2つのサイズに対応する。
▲パッドの中央部の“ブースター”と呼ばれるプラスチックのパーツにぴったり合う位置にメガネヘラを置けば、パッドだけを動かすことができる。
パッドは外側が革製で、中にはフェルトが入っている。そして、表面中心部には円盤状のブースターと呼ばれるプラスチック製パーツが貼り付けられている。このブースターにぴったり合うメガネヘラを使うことで微妙な位置調整を行う。
▲キイを開閉しながらメガネヘラでパッドの位置を調整していく。
▲こちらはL字ヘラ。
「L字ヘラとメガネヘラ、2種類のヘラを使って、一つずつ合わせていきます。バランスを解除して一つずつ合わせたら、今度はバランスをとっていくという順番になります。」
「今、F#とFの連絡をとってバランスを合わせたところです。次はF#とEですが、それぞれのタンポがほぼ合っているのですが、F#が弱い感じなので後ろの調節ネジで合わせます……。これで一緒に閉まりました。」
▲F#とEのバランスを取り終えた状態。
「細かいことを言うと、このDに関してはここだけ押さえるという運指がないので、わざと浮かせておきます。DとF#のバランスをとってF#が強くなった場合、E~Fも連動してくるので、今度こっちが浮いてきてしまう可能性があるんです。Dだけの運指はないのでわざとここは解除しておいて、きちんと塞がるようにわざと開けておくという調整をします。上のキイも同じように、CとD、CとB♭、CとAという感じで右手と同じように後ろの調節ネジを使って一つずつ合わせた上でバランスをとっていくということですね。」
▲指が乗っているLow Esキイと、その下のLow Cは連動するキイはないので、それぞれ調整していく。
「Low Esは小指で押すのですが、力が入れにくくて押しづらいので軽くしてくださいという方がたまにいらっしゃいます。ある程度は軽くすることはできるんですが、ここは常に閉まっているキイです。軽くしてしまうと息圧で浮いてしまって音が鳴らなくなるので、ある程度は重くないとだめなんです。Low Cキイに関しては常に浮いているところなので多少軽くしても大丈夫です。」
▲複雑な作りのオクターブキーの動きや沈まないように貼ってあるコルクの状態も確認。
▲分解の際は、キイをぶつけたり引っ掛けたりするのを防ぐための「キイガード」もすべて外す。ちなみに低価格モデルは一体型。上位モデルは分割することで部品が多くなり接続する部分も増え吹いた時の吹奏感が増す。それにより重厚な音になる。
▲こちらはキイガードの裏側。管体に傷をつけないようバンパーフェルトが付いている。
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