【インタビュー】秦 基博、NHK朝ドラ『おちょやん』主題歌に込めた人生観
そっと心のスキ間に入り込み、こちらをあたたかい気持ちにさせてくれる歌。そのメロディは涙と笑いの両方の感情を呑み込んでいて、しかも底には強く生きることへのエネルギーが潜んでいる。これを管楽器のフレッシュな響きが優しく後押しをする。素晴らしい歌だと思う。
秦 基博のニューシングル「泣き笑いのエピソード」は、NHKの連続テレビ小説『おちょやん』の主題歌。あなたも、あるいはあなたの周りにも、このポップソングを毎朝耳にしている人がいることだろう。そしてこの歌を、言葉を、メロディを一日の糧にしている人が今たくさん増えているところに違いない。
あらためて感じるのは、こうした「泣き」と「笑い」のどちらとも唄う秦のリアルなあり方だ。翻れば、「鱗(うろこ)」も「朝が来る前に」も、「アイ」も「Girl」も、「ひまわりの約束」も「70億のピース」も、そして昨年、映画の主題歌に起用された「在る」も、彼の歌はつねに相反する心情や感覚を一緒に綴ってきた。楽しいことと悲しいこと。出会いと別れ。うれしさと切なさ。ポジティヴとネガティヴ。「泣き笑いのエピソード」は、それが『おちょやん』というドラマのストーリーと鮮やかな化学反応を起こし、さらに普遍的な表現へと昇華された名曲である。
BARKSで約半年ぶりとなる今回のインタビューでは、この歌とそのMVなどの制作プロセスを主軸に据えながら、今年でデビューから15周年を迎える秦の現在について聞いた。話をしながらあらためて感じたのだが、彼は人柄も、さらには音楽自体も、何かを過剰に盛ったり、大げさに表現するようなところがない。ひとつひとつを誠実に、階段を一歩ずつ昇るようにここまで歩いてきたシンガーソングライター。その姿勢は、これだけ情報過多の時代においては稀有ですらある。そしてこのまっすぐなあり方こそがこの人の、そしてその歌の最大の魅力であると再認識できた取材でもあった。
◆ ◆ ◆
■一日の始まりに寄り添う音
──とても素晴らしい曲で、我が家でも毎朝心をあたたかくさせてもらっています。
秦 基博:どうもありがとうございます。
──作ったご本人としては、この歌が毎朝テレビで流れているのを聴くのは、どんな感じなんですか?
秦:初回の放送は、心持ちとしてはドラマが始まるのを正座して待つくらい、楽しみにしてました(笑)。で、オープニングが終わったら思わず拍手したくなるぐらい、うれしかったですね。そこからはわりと自然に、朝ドラのオープニングとして聴いてる感じになってきてますけれど。
──ちょっと客観的に聴けるようになってきましたか。
秦:そうですね、ある意味なじんできたというか。ストーリーが進んでいって、曲がまたどんなふうに聴こえてくるのかな?とは思いますけど。これだけ長い期間曲がかかり続けるのは初の経験なので。そこで聴こえ方が変わるのかどうなのかをまさに体験中、という感じです。
──いざオンエアしてるのを聴いた感じは、イメージ通りだと思いました?
秦:うん、そうですね。朝に、一日の始まりに寄り添う音というか、そこで鳴る音というイメージをしながら作っていたので、そういう意味ではイメージ通りというか。自分の中では合ってるかなと思ってます。
──そうですか。ではこの曲の制作過程について聞きたいんですけど、今回のオファーがあったのはいつぐらいで、それはどんな内容でしたか。
秦:オファーがあったのは2019年の夏あたりでした。具体的に話が動き出したのは、その年の終わり頃だったかな。秋口ぐらいにドラマの制作スタッフの方々との打ち合わせがあって、そこで何をテーマにドラマを作ろうとしているかとか、何を伝えようとしているかということをていねいに説明していただいて。そこでモデルになった浪花千栄子さんという方の生涯だったりを説明してくださいました。あと、脚本ですね。当時できていた分の脚本をいただいて、それで作り出した感じでした。具体的に「こういう曲を」みたいなのはなくて。だからそういう説明と、この脚本からイメージする曲を書いてください、ということでしたね。
──その時に伝えられたドラマの印象はどんなものでした?
秦:大きくは、もちろん『おちょやん』がどういうドラマになるかということでしたけど、自分がポイントだと思ってるのは、主人公がどんなふうに人生を過ごしていくのかということで。ドラマでは、主人公はすごく貧しい家庭で、しかも母親がいないとか、ツラい境遇から始まるじゃないですか。その人が最終的には喜劇女優を目指していくわけなんですよね。自分の痛みや悲しみをエネルギーに、ポジティヴな方向に変えて、最終的には人を笑わせるところまで行く。僕が一番すごいなと思ったところは、その振り幅なんです。だから、このタイトルで言うと「泣き」の部分……涙を流したくなるようなツラいこと、それを笑いに変えていく振り幅。これは僕らの毎日にもあるものだと思ったんです。
──ああ、ドラマの話だけでなく、一般の人々の生活にも?
秦:はい。「泣き」だけじゃないし、「笑い」だけじゃないし、それが入り混じって自分たちの人生というものが進んでいってるんじゃないかっていうことですね。『おちょやん』の千代の場合はそういうものを極端に経験したと思うんですけど、そこが僕らとリンクするのかなという気がした。自分の心が一番動いたポイントはそこだったし、それは僕にもある少なからずある部分なんじゃないかな、という気がしたので。そういう部分が曲になっていきましたね。
──はい。みんな生きている中で、どうしても泣いてしまうようなことはあるし、でも笑って過ごせる時ももちろんあるし。
秦:うん。で、千代の場合は、そうしてすごくマイナスなものをプラスに転換できる強さがすごくあるなと思ったんです。
──では、そのイメージから、具体的にはどんなふうに曲を作っていったんですか。
秦:まず冒頭でしたね。歌詞にオレンジとブルーというカラーが出てくるんですけど、まさにその2つの相反する感情を、たぶん(自分は)表そうとしたんだと思うんです。まあ具体的に、そういうふうに理詰めで考えたわけじゃなくて、<オレンジのクレヨンで>という言葉が出てきて。で、曲を書き始めて、<涙色したブルー>というフレーズがバッと出てきて……という感じでしたね。
──メロディがある程度できている状態で、そうした歌詞が出てきたんですか?
秦:うーん、はっきりと覚えてないですけど、なんとなく同時な感じでした。同時というか、わりとすぐにその世界を綴ることができたというか。
──その時点でどんな曲調にしようというアイディアがあったんですか? 曲そのものに対しては具体的なオファーがなかったという話でしたが。
秦:どことなく「軽快な曲がいいかな」とは思っていました。いわゆるバラードとか、ミディアム・バラードとかじゃなくて、リズムがある程度あるものというか。ドラマの持つ、ある意味、軽快さというか……ドラマ自体ではツラいこととか悲しいことが起こるんですけど、そういう部分がどこかこう、軽妙に描かれているように思ったんです。実際はけっこう大変なことでも、あまり暗くはならないように描いている。それを受け取って、曲自体は、それこそしんみりするようなものじゃないのかな、とは思いましたね。それでこういう曲調にしました。ただ、その中でも、いわゆる「泣き」のポイントというか、「心に染みるところ、ちゃんと響く、届くものを作りたいな」とも思っていたので、冒頭、静かなローズ・ピアノと歌という世界で始めました。そこから最終的に曲のダイナミクスを作っていくようなイメージでしたね。
──なるほど。そうした中でオレンジでありブルーであることの両方を表現したということですね。
秦:そうですね。その意味では、曲の中に「静」と「動」が入り混じっているというか。
秦:悩んだのは上モノでしたね。リズムの感じとか、アコギとローズ・ピアノみたいな世界は最初の段階でイメージが決まっていたんですけど、そこからより装飾していくのに何を使うのかは考えました。そこでいろいろ試して、その中で出てきたのが木管楽器と、あとはコーラスですね。自分の声と木管のハーモニーがこの楽曲に一番合うなと思って。この曲も『コペルニクス』(2019年リリースの最新アルバム)同様、トオミ(ヨウ)さんと共同アレンジなのですが、トオミさんと相談しながら作っていった感じです。
──そうですね、管楽器はすごく新鮮に感じました。その過程で先ほどからの歌詞も作っていったんですか?
秦:そうですね、そこから作っていって。最終的に話の落としどころをどうするかというストーリーも、いろいろ悩みましたね。締め切りギリギリまで、いろんなパターンを考えてて、でもしっくり来なくて……。でも<泣き笑いのエピソードを>という帰結を思いついて、やっと曲として筋が通った感じがしました。で、さらにそこからまた粘って、サビの頭のフレーズにどういう言葉がふさわしいのかは、けっこういくつも考えましたね。このサビの<笑顔をあきらめたくないよ>という言葉自体は前向きに聴こえると思うんですけど、笑顔をあきらめそうになっているということがその裏側に見えてくるし。そういう裏返しみたいなものが曲の中にいっぱいあるほうが味わい深いものになるんじゃないかな、というのはあったので。そのへんは考えましたね。その不思議なバランスというか、「明るいんだけどちょっと泣けるよな」という世界を作っていくにあたっては。
──そうだったんですね。この歌ってとても軽やかに唄われているけれども、ドラマを反映してか、言葉自体はド根性的というか、かなり強烈なものが入ってますよね? <転んでも ただでは起きない>とか<弱音ははかない>とか。
秦:うん、それこそ明るいだけの曲でもないし、しんみりする曲でもない。明るいけど、なんだか泣ける……そんなふうに入り混じってる感じがこの曲のイメージでしたし。で、自分はそういう曲を作りたいとも思うんですよね。どっちかだけが入っているというよりは。いろんなものが混ざっているということがリアルだと思うんですよね。
──はい。だからこの曲のタイトルを知って、次に曲を聴いた時に、秦くんがこれまでやってきたこととちゃんとつながっているとすごく思いました。あと、この曲を幅広い年代の人やいろんな視聴者層の方が聴くことはやっぱり意識しました?
秦:そうですね、いろんな人を置き去りにするサウンド感は違うのかな、とは思いました。ある意味『コペルニクス』でやってた、打ち込みでちょっとゴリッとしたものはあんまり合わないかなとは思っていたので。そうじゃないところで自分なりの新しいサウンドをどう作るか?というのはあって、それが木管とかコーラスワークというほうに向いたんだと思います。これは僕もあまりやったことがない音の作り方だったので、自分にとっては新鮮でした。ただエレキギターが入ってないとか、相変わらず踏襲してる部分もあったりで、いろいろ混ざり合ってる感じがしますね。
──ええ、『コペルニクス』とは違う文脈で作られた曲だというのはわかります。
秦:うん。だから、いわゆるポップスとして、真正面から行った感じはあります。
秦:レコーディングをしたのは年の初めだったと思います。とくにテレビのオープニングサイズに関しては、わりと早い段階でできていて。そこから二番以降は締め切りがもうちょっとあとだったので、とくに歌詞にはもうちょっと時間をかけました。(コロナ禍の)自粛期間もはさんでるので、時間としてはありましたからね。
──そうなんですね。もっともドラマの放送開始も2ヵ月遅れになってしまったので、11月末でしたからね。
秦:そう、だからドラマの開始が延期になったこともあったので、「泣き笑いのエピソード」はみなさんに届くまでにけっこう時間がかかったなという印象はあります。そのぶんオープニングで初めて聴いた時は、すごくうれしかったですね。
──なるほど、わかりました。で、先ほどオレンジやブルーの話が出ているように、アートワークも自然とそうしたものになっていったということですね。
秦:そうですね。それこそ、ジャケットの1枚で泣き笑いという2つの感情をどうやって表そうか?ということを相談しながら進めていきました。
▲秦 基博/「泣き笑いのエピソード」
──今回の秦くんのアーティスト写真には、ほっぺたにキズがついてますね。
秦:これは歌詞に<かさぶた>が出てくるというところからデザイナーさんが提案してくださって。だから「どこにかさぶたがあったらいいかな?」とか、意外と検証しましたね。「痛々しくならないように」とか(笑)。あとクレヨンの具合とか、そういうのもいろいろと話し合いました。
──それからこの曲のミュージックビデオがとても開放感があるんですが、今回は藤代雄一朗さんが監督をされていますね。秦くん自身はどんなものにしようと思っていたんですか?
秦:これは映像の色味というか、明るさみたいなものに自分のイメージがありました。ちょっと青っぽいものとかじゃなくて、明るい色味にしたいな、と……これぐらい、あいまいな伝え方しかできないレベルのものなんですけど(笑)。それでスタッフのみんなが映像を見せてくれて、その中で藤代さんが手がけた作品を見た時に、自分のイメージしていた色味を感じたので、お願いしました。藤代さんとは今回初めてお仕事をしましたね。で、なるべくカラフルにしたいという思いはありましたし、明るく、と。それに今回は楽器も多様に入ってるので、そういったものが入ってるミュージックビデオにしたいということはお伝えしました。
──ということは、秦くんの意見もかなり反映されてるんですね。
秦:まあ、そうとも言えるのかな。ふだん、毎回そうなんですけど、どういう映像イメージがあるかというのはお伝えして、その上で監督がどういうプランを立ててくださるか、ですね。今回もさっきのようなことを言って、「じゃあこういうのはどうですか?」という案をいくつか作ってくださった中からこのビデオが出来上がった感じです。
──屋外で録るとか、イラストを組み合わせるとかも、監督の発案ですか?
秦:そうですね、ロケ地とかもまさにそうですし。映像にカラフルな色が踊ったり、クレヨンの絵が出てきたりというのは、最初の段階ではそこまでアイディアとしてはなかったので。たぶん撮っていく間に、監督の中でそういうふうになっていったんだと思います。すごくいいなと思いました。色合いもきれいで、美術もカラフルなものが揃って。
──イメージを膨らませる映像になってますよね。ロケ地はどこなんですか?
秦:あれは千葉の方ですね、僕は連れて行かれるままに行きましたけど(笑)。大学の保養所みたいな、すごくいいところでした。
──ビデオにはミュージシャンのみなさんも出演してますね。先ほどのトオミ ヨウさんとドラムの玉田豊夢さん、ベースの須藤優さんが。
秦:はい、レコーディングメンバーです。せっかく参加してもらったわけだし、お三方は雰囲気があるので。見た目もミュージシャン然としていてカッコいいですからね(笑)。
◆インタビュー(2)へ
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