【インタビュー】NAYUTAH「自分の声が好きになって、自分の歌をみんなに聞いてもらいたいなと素直に思えるようになってきた」
2018年のちょうどこの季節、本誌に初めて登場した謎多きシンガーのNAYUTAH。ソウル・シンガー兼パーカッショニストの砂川正和を父に持ち、母はダンサーにして舞踏民俗学者の柳田知子──3歳で舞台デビュー。DJ KAWASAKIをはじめ、沖野修也、MURO、DJ JIN、RYUHEI THE MANなどクラブ界の名だたる重鎮たちを虜にした彼女。2020年12月に発売となる、記念すべきデビュー・アルバム『NAYUTAH』は、豪華作家陣に囲まれ、コロナ禍に完全リモートで制作された、話題作となりそうだ。
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■初めての経験で大変だっただけ勉強になったし
■これからにすごくつながると思う
──このコロナ禍はどんな生活を?
NAYUTAH 母がダンススクールを経営していて、そこの事務仕事がメインであまり外に出なくていい生活をしてました。緊急事態宣言のころはまだアルバムの制作もシングルの制作もしていなくて、人に会わずに引きこもりのような生活をしていて(笑)、スタジオを借りて歌う練習をするくらいで、ボイストレーニングだけオンラインでやって……そんな中、6月から制作にむけて動き出して、「君を見つけて」から後の新曲は、すべて自分でレコーディングして編集したんです。やっぱりコロナが感染ると仕事ができないので、9月くらいまでは少人数でご飯に行くことも避けて、ホントにコミュ障になるくらい人と会う生活を避けてましたね。でも逆に自分で音楽制作できる状況ではあったので、すごくありがたい面もありました。普通の状況だったらどうなってるか分からないけど、苦しいときも楽しいときも音楽制作に集中して向き合って、学びになった時間でした。
──実際、コロナの中でアルバムを作ったわけですね?
NAYUTAH 「君を見つけて」がリリースされた後は、デモがすでにあるもの、歌詞があるもの、まだないものがあって、6〜7月から徐々に歌詞が送られてくるようになって。スタジオも1日2〜3時間、最初はちょっと様子見で練習し始めて。だから普通のレンタルスタジオに入って自分の機材で録音してそれを家で編集して繋げてKAWASAKIさんに送って、ここちょっとニュアンスが違うとかアドバイスをもらって修正して……と完全リモート作業で制作しました。
──そもそもアルバムを作ろうとなったのはコロナ前ですか、後ですか?
NAYUTAH もともと1枚目のEP「GIRL」、2枚目のEP「黒のタートルネック」を出すころは、なんとなくアルバムまでできればいいね、という話は出てたんです。ただ明確な設定はなく。その後3枚目「君を見つけて」のリリースが決定した段階で、このままアルバムまでいくよ、と。本来ならもう少し早い段階から制作できたと思うんですけど……コロナ禍にどうなるんだろうと思ってたところにアルバム作るよとなったので。それが6〜7月くらいかな。
──なぜこの時期にリリースを? プロモーションもしにくい時期だと思いますが。
DJ KAWASAKI(『NAYUTAH』プロデューサー) アルバムをリリースする理由にコロナは関係ないかなと……。1枚目、2枚目、3枚目とシングルを出して、NAYUTAHの成長具合に自然に沿った形なんです。特別なプロモーションは考えずに作ってドンドン先に進んでいく、その方が待っているよりいいと思いました。僕もNAYUTAHも自粛期間中は外での仕事がないし、リモートでできることも多かったので……そういう意味では逆に時間があって作り込めましたね。制作には集中できて、このタイミングがよかった。
RYUHEI THE MAN(『NAYUTAH』プロモーター) 昨日(11月3日)、3枚目のシングルが出たんですが、あまりそこから間を空けずに、この勢いで年内に出したかった。今回のシングルがアルバムに向けての最終加速になった感じはしますね。
DJ KAWASAKI 名前が忘れられない前に露出したかったのはあります。NAYUTAH自身、緊張感をそのまま継続してもらいたかったのもあるし、それでみんなで決めた締め切りが年内。来年になるとまたマーケットの状況も変わってくるかなとも思って。
──ちなみに沖野修也作詞、DJ KAWASAKI作曲/プロデュースと、ある意味やりやすい面々だと思いますが、今作でチャレンジした部分はどこでしょうか?
NAYUTAH 大きなところでいうとレコーディングスタジオやTHE ROOMで録っていたころは、隣にKAWASAKIさんがいて、沖野さんがいらして歌詞のアドバイスをくださったり、ボーカルディレクターの多和田えみさんに来ていただいたり……そういうのができた。でも今はそれができない状況になって完全にひとりでスタジオに入って、自分で作り上げていかないといけない。なおかつDTMにすごく精通しているわけではないので、Garage BandからLogicに移行して勉強したり、そういうのを含め、今までやったことがないことが全部ダーっと来て、自分ひとりでレコーディングして編集して繋げるっていうのもデモのレベルではなくて本ちゃんでその音源が使われるレベルにするためにどれくらいノイズを消すのかとか……。
──そこまで自分でやられたんですね。
NAYUTAH そうですね。音源を切るときにブレスを切りすぎても不自然だし、つなぎでどうしてもブレスがかかっちゃうけど、使いたいからどうしたいいかとか、エミさんに相談したりして、とにかくボーカルトラックを完成させてKAWASAKIさんに送る、そういう作業をしてました。そこで、リモートの難しいところは……まず私が編集した音源がKAWASAKIさんに行って、チェックが入ります。KAWASAKさんのOKが出たら沖野さんに聞いていただく。まずその時間がかかります。その時間、私はまた別の作業をしているんですが、先に送った音源がまた戻ってくるわけ。そしてまた前の音源の修正をしなくてはいけない……前の音源のいいところ。悪いところを思い出して作業を再開しなくてはいけない。その“タイムラグ感”がすごくキツかったですね。
だからといって明後日までに仕上げないといけないけど、スタジオ取れるかな、とか。そういうもろもろの作業が溜まってきて、最後の方は眠れずに朝まで作業して、みたいな。終わったらから達成感がありますけど、やってるときは完全にメンヘラでした(笑)。自分で曲やメロディを作って作り上げる大変さも分かりますけど、私の場合はすごくいい脚本家と、総監督と、いろんな方のプロデュースの舞台に立って、そこでどう演じるか……オーバーに演じてもダメだし、素を出しすぎても味気ないし、いい意味での癖みたいなものを残す、それがすごく難しくて……。自分はキレイに歌いすぎてしまったり、自分で聞いてて歪がない歌い方をしてしまうんです。それって旨味がないんです。言葉を語るときはダラダラ語られると聞き飽きちゃう。感情が溢れてるときはこんな強く歌わないよねとか、そういう部分に向きあって歌ってました。毎回小説を読みながら歌っているかのように、その歌詞を読み込んで。
──もしかするとそばにKAWASAKIさんや多和田さんがいるよりも、逆に自由じゃなかった?
NAYUTAH KAWASAKIさんや多和田さんは、私のいい部分を引き出そうといつもアドバイスをしてくださるんです。自分だけだと、自分のいいところも悪いところも分からなくなってくる。
──客観的に見られなくなる?
NAYUTAH そうなんです。でも3〜4日歌い込んでも全然いいテイクが録れない日が続いて、不思議なことにある日突然、「あっ、いまのいいじゃん!」と自分でいいと思えるトラックが録れる。そのテイクに「いいよ」と返事をもらったときは「ここなのか!」と。
──そこで気付く?
NAYUTAH そこで気付く(笑)。自分がいいと思ったトラックは、第三者から見ても制作側からも聞き手からも、いいところなんだと。そうしてピタッとハマったときは嬉しい。
──他の曲でも同じような歌い方のとき?
NAYUTAH 自分の声の良さっていうのが緊張感があったり、身体が硬ってたりすると、声の良い厚みが出ないときがあって。
──リラックスしてる方がいい?
NAYUTAH リラックスしてる方がいいんだけど、だからといってリラックスしすぎると今度はピッチが定まらない。なので、うまい具合に今まで2年くらい、いろいろアドバイスをいただいてる部分もあるし、自分で気付いている部分もある。それらを微調整してうまいこと合わさったときっていうのが大体いいものになるんです。だけど曲によっては、例えばバラードとかテンポが早めのものによっては、全然違うニュアンスになるので……裏声が多めでもOKなものもあるし、ハリやキレが必要なときもあるし。毎回ハマるわけではないんです。歌い手さんはみんなそうだと思いますが曲によって変わるので、正解は常にない(笑)。
デビュー当時はまず、声が出るか出ないか、声量の問題があったわけですが、今度はそこを越えて、言葉の切れ味とか語尾の空気感とか、エモーショナルに聞こえるように歌うにはとか、そういう細かい部分が重要なんですが、自分でレコーディングするとまたそれも変わってくる。
──自分の声を改めて聞くと。
NAYUTAH そういうのを自分で精査するという作業ができたのが、初めての経験で大変だっただけ、勉強になったし、これからにすごくつながるなって思いました。
■今は徐々に自分の声が好きになって、自分の歌を
■みんなに聞いてもらいたいなと素直に思える
──デビュー当時から少し歌い方が変わりました?
NAYUTAH 少しだけ楽にはなった。最初のころは何が何だか分からない状態で、何が正解なのか、どこが正解なのか、あるあるあると探している(笑)。正解を求めるでもでもないし、あったとしてもひとつじゃないし、でもそういう考えに至らなくて。正解っていう“宝”を探しに行ってるんだけど宝がないから、どうしもようもなく手持ち無沙汰。自分に自信ができるわけでも声が出るわけでもない。単にパニックの状態。だからいま前の作品を聞くと、「ああ、すごい頑張ってるなぁ」って声の出し方をしてると思います(笑)。
──今は、こっちの道に宝がなかったらこっちにある、あった!みたいな感じ?
NAYUTAH そうですね。宝はあったけど、思ったり小さい、じゃあでかい宝を探しに次の道に行くかと。ミュージシャンもそうだと思うんですが、そういうことを一生やり続けるんだと思うんです。それに慣れてくると、やり方が見えてくるし、与えられた課題にどう対応するか分かってくる。そういうところにやっと立てた。KAWASAKIさん、RYUHEIさんとも話したんですが、本当の意味での始まりはアルバムが出てから。それまでは拾われて人間になるまで、育てられて、ようやく人間になって歌わせてもらってる。今は徐々に自分の声が好きになって、自分の歌をみんなに聞いてもらいたいなと素直に思えるようになってきた。
常に同じように歌えるように、ライブではよりエモーショナルに聞こえるように、積み重ねだと思います。ただここに到達できたのは大きい。しかも2020年に合わせてアルバムの準備をしていたたくさんのアーティストがいたり、コンサートがすべて無くなったり……そんな中、私はアルバムを出すことができた。それってすごいことなんだって思います。メジャーレーベルとか大きい事務所ではないし、関わる人ひとりひとりの方の責任も思いし、作業量も多いし、少数精鋭でここまでたどり着けたのは、運がいいなって思います。
──今はそれどころじゃないよ、リリースはヤメよう、という可能性もありますよね。
NAYUTAH ホントにそうだと思う。特にいま自分でアレンジまでやられる方が増えてる。そういう方はそこまで制作費をかけなくてもその人がやって、最後の締めをプロデューサーやディレクターがやって……くらいの規模感だと進んでたかもしれないけれど。私が出せたのは皆さんの“愛”ですよね。私、こんなに愛されてたんだーって思います(笑)。
──コロナ禍で逆によかったですね、それが分かって。
NAYIUTA 気づきもありましたね。このコロナ禍でたくさんの人のお仕事が大変だったり、健康面でも不安があったり、そういう状況下でこれだけクリエイティブなことをひとりひとり違う場所にいながら作業して、最終的にひとつの大きい形になって、レコード/CDにもなる。それが、みんなが耐えている、この“ダウンタイム”に、ちょっとでも力になればいいなって気持ちで向き合っていたんです。その戦いの成果が出ればいいなと思います。
──参加しているミュージシャンもうれしいでしょうね? ライブ仕事が止まっていたけど、こうやって形になって。
NAYUTAH 達成感がじわじわじわじわと、2週間前ですかね、OKが出たので。思い出すと自分でも感極まって(泣)。自分との戦いで、そこが耐えられるのかどうか、自分でも分からなかった。それにどこまでいいものができるかも分からなかったし……ありがたいなと思いつつも。
──制作に関していろいろな要因がありましたからね。テクニカルなことはもちろん、外に出られない、ライブができない、人に会えないストレス。
NAYUTAH メンタルのヘルスを保つのが難しかったですね。大変でした……なんで涙が出てくるんだろう(笑)?
■いろんな場面で共感したり、鼓舞されたり
■そういう作品になっている
──ところでアルバム制作に関して、テーマやコンセプトはあったんですか?
NAYUTAH やってくる楽曲のひとつひとつに向き合って、そのときそのときのストーリーをいっぺんいっぺん読んでいるという状態が続いて……今やっと全部そろった状態。それをつなげて読めるようになったわけですが、実はアルバムを完成系の曲順で聞いてないんです。ただ沖野さんともたくさんお話をさせていただいて、歌詞のバックグラウンドを聞いたりして……作品の9割は私がその歌詞を読み込んで、自分の感覚で理解してそれをどう伝えるか、という作業をしていたのですが、今回「虹」というバラード──最後に作業していた曲で最も苦労した曲は直球ストレートのバラードで、今までとは違う意味でのいろんな挑戦もあり、なおかつ歌詞は沖野さん自身の実体験をもとに書かれた作品です。
その「虹」の表現方法を悩んでいるときに、フト連絡くださって、実はこういう実体験で書いた曲なんだよっていうの教えてくださって、私がこう理解してた部分ってそういう情景の下にあるんだっていうのがわかるだけで、歌うときのイメージやどこに向けて歌うのかっていうのが広がって、すごく歌いやすくなったんです。
──自分が当初思い描いていた、全く違う方に広がる感じですか? それとも大体想像通りに広がる感じ?
NAYUTAH Aメロはなんとなく予想したものに似てた。Bメロは予想外のところから、あっ、そういうことだったんだという感じ。そんな中、私が気付かなかったのはLBGTQQ。そこなんだ!と。自分の身近に社会で戦い続けている友人がいること、そして私自身、社会的にマイノリティに分類される経験やバックグラウンドがあります。でも今まで表立って歌にしたりダンスにしたりすることはなかった。自分が歌詞を書いたわけではないけれど、自分がそのストーリーの登場人物になる感覚がより顕著だった。余白を残しつつ、そのストーリーの中に自分を置けることが、歌うことにとってすごく大事なんです。沖野さん、私のテレパシーを感じ取ったのかな、さすが、と(笑)。
このインタビューのお話になったときに、沖野さんにもし何か私が伝えておくべきアルバムの全体の流れとかがあったらと。そしたらひとつひとつの曲名の横にサブタイトルが書かれたメモをいただいたんですね。アルバムを通して言えるのが、ひとりの人間が今の社会で経験する抑圧や社会に対する不満・不安に対して、情熱を傾ける力が違うじゃないですか? でもそれと同時に、自分自身の人生においてのノスタルジー・過去の経験だったり、ほんとに青春であったり、もっと身近でみんながひとりひとり経験しているようなことについても語っている……今の社会の中で生きている人間であれば心を揺さぶられるストーリーに出来上がっている。
──オムニバスじゃなくて、アルバムがひとつの本?
NAYUTAH アルバムを通して、何か共感してもらえるんじゃないか。もちろん音楽的に考えてもすごく自分の気持ちを揺さぶって持ち上げてくれるところと、自分の悲しみに浸りたいときにそっと寄り添ってくれるようなメロディーとか……それはKAWASAKIさんが手腕を発揮してくれたところでもあり。いろんな場面で共感したり、鼓舞されたり、そういう作品になっていると思います。
■今は癒されてほしい
■という気持ちの方が強い
──デビューから2年で、どんな点が進化したと思いますか?
NAYUTAH 神経が図太くなりました(笑)。それってすごい大事で、もっと図太くなりたい。同世代で身近にお話しできる人があまりいないし、特にこのコロナ禍でより機会がない。唯一シンガーで相談できるのが多和田えみさんと話していると、自分だけじゃないんだなと。歌うことを生業としている人間がいろんな状況下で歌うという表現いかに大変か……終わりはないというのが2人の共通認識。終わりはないし正解もなければ、たどり着けたって最後に思えるかもどうかもわからないけど、やってる。でもその旅をいかに楽しめるか。アップダウンがあっても、そのダウンを耐えた後のアップの部分で、何を得られるか。それが大事。
デビュー当時は人前に立って、人が喜んでくれたらうれしい。今は癒されてほしいという気持ちの方が強い。アンビエントやヒーリングミュージックというわけではなくて、この曲を聞くと急に踊り出したくなるんだ、急に鼻歌を歌いたくなるんだ、散歩中に聞いたけどいいんだ……今はサブスクでランダムに音楽を聞いてる時代じゃないですか? そんな中で、NAYUTAHのこの曲を聴くのが気持ちいいと思ってもらえる……また将来その曲に戻ってきてもらえるのが目標。それを目指して生きてる。曲のうまみ、美味しいところをもっと作りたいという欲も出てきたし、それに向けての努力……そういう面でデビュー当時とは、自分の中では話が違う、認識も違うし、練習ってただ歌うことではなく、聞き手にどう伝わるかをより明確に考えるようになりました。その思考や意識の変化だけで歌って全然変わってくるんです。こうして、やっとNAYUTAHというアーティストの像(かたち)ができて、歌いやすくもなったし、歌がよりエンジョイして目標を持って歌えている。歌に詰まらなくなってきましたね。
──詰まる?
NAYUTAH デビュー当時は“ウッ”となってヘタしたら声がでなくなるんだじゃないかと。
──どう歌えばいいか分からない?
NAYUTAH 分からない。単純にテクニカル面で慣れてない部分もあるし、どう思われているかだけを考えすぎたり、どう思って貰わなきゃいけないんだろうとか、求められているレベルがこのへんだけど、今はそのレベルにいけない……そう思ったときにウッとなる(笑)。
──頭の中が先走ってる感じですね?
NAYUTAH そう。そんな簡単に物事は進まないけど、そういうときってアセるし、歌えなくなるんです。テクニカルなことですけど、ボイストレーニングをするときに──特にアメリカ式のボイストレーニングは、どんなアーティストでも、熟練した人でも延々やらなきゃいけないんです。なんでかというと、一ヶ月歌わないだけで、磨き上げてきたものが全部なくなるタイプの人もいるし、声帯が正常な状態で歌う、よりその人が表現したいものを鮮やかに色付けるためにはテクニカリーな部分でこれがちゃんと使えるともっと自由に歌える。そういう意味でボイストレーニングをしなくてはいけない。それにボイストレーニング自体も年々進化していて、私も昔とは全く違うトレーナーに教わってるんですが、声って精神面に直にくる。プロで何十年も歌っている方でもある日突然声が出なくなったり、発声障害になったり……。
──精神的なきっかけで?
NAYUTAH そうなんです。だれしもがなることだし、歌がうまいヘタ、声量が出る出ない、表面的に評価される部分でだれもが経験する。それはプレッシャーや緊張という形で、だれもが当たる壁であり、何年経っても経験すること。それを乗り越えるために自分の声を出せるように、声帯を正常に保つために、地道な訓練をしなくてはいけないんです。デビューしたときはそんなことも知らなくて。今はそうだよな、そういうこともあるからリラックスして歌ったほうがいいし、運動やストレッチをしたり、いろんなことをしつつ、ようやく自分で自分を責めずに、できるようになってきた。それが大きい。だからもっと舞台に立ちたいなって思えるようになってきたんです。デビューのときはただただ何か人を楽しませたいという気持ちはあったんですけど、どこまで自分ができるかなという不安の方が大きかった。
──自分の力量が分かってない。
NAYUITA 分かってないし、本当に自分ができるのだろうか、自分でそこまでの可能性なんてあるのだろうか、自問自答し続けたので、それが徐々に変わってきて、最終的にいい意味で鈍感力つけないとやっていけないんだなと(笑)。時間がかかると思いますが、それをやり遂げたいなっていう気持ちが強くなってきた。今回のアルバムを制作したことで、自分で自分の可能性とか自分の存在意義に、より自信が持てた気がします。
──行けそうだな、と?
NAYUTAH またコケたりすると思うけど、今回これを越えたんだから立ち上がれるだろうと。
──今、アルバムを出します。はい出ましたという人は少ないと思います。とりあえず一曲目は配信で様子を見て……。NAYUTAHさんはそうじゃないクルーに囲まれてますよね。
NAYUTAH 配信もiTunesをしてるくらいで。よくあるのはアルバムからシングルをエディットして出すパターンですが、今回はいろんな意味で逆なんですよね(笑)。新しいやり方。
──よく出せてるなと(笑)。
NAYUTAH ホントに。
──以前お話しを伺ったときに「記憶に残るアーティストになりたい」とおっしゃってましたが、その目標に向かってます? よね?
NAYUTAH 思います。何かしらその人の記憶に残って、その記憶が鮮明であれんばうれしいし、鮮明でいられるように……月日がたっても忘れられないっていうことがいかに大事かっていうところで。またリリースしたり、ライブしたりを経て、例えば納豆が好きでも毎日納豆を食べれば飽きますよね。今の人たちの音楽の聴き方は流行が早いけど、その人が3年後に振り返ってまた聴いている曲が2〜3曲はあると思うんです……その中に入りたいと思います。そういう音楽でありたい。
──5年後に久々にNAYUTAHのアルバムでも聴くか、あれは2020年だったなと。
NAYUTAH そういえばオリンピックがなくなった年だったねーと(笑)。そうやって思い出すきっかけにしてもらいたい。パワープレイでたくさん聴いてもらえるのももちんうれしいですけど、自分の青春の記憶にもあるんですけど、パワープレイしたものは忘れていて、なぜか10年ぶりに聴いたのに歌えるとか。不思議なもので有名じゃない曲に限ってそういうものが必ずある。それが音楽の不思議なところでもあります。残り香というか、人生のおいていろんなことを思い出すきっかけとなるというか……そういうものになれるのが芸術であり、音楽のよさであり……。そういう考えになりました。
──大人になりました(笑)。
NAYUTAH なりました(笑)。
『NAYUTAH』
AT HOME SOUND AHS42 2,500円+税
■収録曲
01 : INTRO
02 : KEEP IT UP
03 : GIRL
04 : 君を見つけて
05 : 君のポラロイド
06 : 見知らぬ街
07:黒のタートルネッ
08:何もかも
09: STANDUP
10:桜
11:虹
※CDとLPでは収録内容が異なります。
◆NAYUTAH オフィシャルサイト(Extra Freedom)
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