【インタビュー #4】徳永暁人、doa15周年と不屈の音楽ライフ「僕は最後尾からスタートした」

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■僕はいつでも裏方ができるんですよ
■それがdoaのディレクションに活かされている

──とはいえ、大学を卒業した1993年3月、ビーイングに所属してアレンジャーやコンポーザーとして活躍し始めますね。

徳永:大学3年生の終わりくらいだったかな。バンドとソロの両方でいろんなオーディションを受けて落ちまくっている中で、雑誌にT-BOLAN所属事務所のデモテープオーディションがあったので、応募してみたんです。そうしたら、「最終選考会に来ませんか?」と。ベースを持っていったら「ベースシストは必要ないんだけど……」と言われつつ(笑)、「君はどんなことをやりたいの?」と聞かれ、「ベースも弾けるけど、本当は作曲家になりたいんです」と答えたんですね。それから事務所の方とやり取りしたり、いくつか仕事をいただけるようになったんです。

──作曲の仕事ですか?

徳永:といっても、最初は自分が望んでいたのとは違っていましたけどね。僕は歌ものの作家をやりたかったんですけど、デモテープを持っていくと、「全然ダメだね。まず曲が良くない」と言われ、「その次に歌がヘタ」だと(笑)。もう箸にも棒にもかからなかった。何十曲も持っていったけど、ずっとそういう感じだったんですよ。

▲doa

──でも、諦めなかった。

徳永:そういうことを繰り返しながら、ソロアーティストのミュージックビデオのバックメンバー要員として声を掛けてもらったのが、その事務所との最初の仕事です。大学卒業後の2年くらいはそんな感じだったんですけど、中谷美紀さんの楽曲アレンジ(「好きになりすぎていた」)の仕事が成功してから、評価していただけるようになって。アレンジャーになる気はなかったんですけど、「音楽で食えるならなんでもやります」っていう気持ちだったので、それ以降もアレンジとかディレクター、コーラスの仕事も任せていただけるようになって。でも、完全に裏方ですよね。別にそれが嫌ではなかったけど。

──投げ出さなくて良かったですね。そういう時期を経て、自分が望む方向に変わっていったわけですから。

徳永:ディレクターをしていた頃はモヤモヤもあったけど、そこはやっぱり高校時代の自分に戻るんですよ。勉強をやめた代わりに、音楽に関わる仕事ならなんでもやりたいと思っていた、あの頃に。そういう気持ちで仕事をしていく中で、アレンジャーとしてB'zさんの制作に呼ばれたんです。アレンジ音源では打ち込みとか仮ベースを僕が弾いていたんですけど、「それ、そのまま使おう」ということになって。しかも、「ベーシストとして一緒にツアーまわってみる?」という話までいただいて。まさか、そこまで話が広がるとは思っていなかったし。

──与えられた仕事に対して、常に全力で取り組んだからこそですよね。

徳永:いや、周りのみなさんのおかげです。ただ、“どんな仕事でもやらせてください”という気持ちは、今でもあまり変わっていないですね。僕はいつでも裏方ができるんですよ、なんの抵抗もなく。それがdoaのディレクションに活かされていると思います。

▲ベストアルバム第1弾『doa Best Selection “ROCK COAST”』

──たしかに、裏方としてのスキルと、その楽しさを知っている徳永さんがメンバーにいることは、doaの大きなアドバンテージです。

徳永:でも僕は逆に、裏方仕事に一切興味がないアーティストの輝きに憧れがあるし、そういう人ってカッコいいなと思いますけどね。doaの吉本君も大田さんもそうで、彼らは20代で表舞台に立った人なんですよ。だから、音楽とかライブに対するスタンスが僕と違う。いい意味で2人はスターなんですよ。僕はどっちかというと、みんなの背中を見て“こうすればもっと良くなる”と考える──つまりプロデューサー目線なんですよね。それこそが、3人の関係性がうまくいっている要因のひとつでもあるのかなと思います。

──それに、ずっと裏方をしていた人は表舞台が似合わないことがありますが、徳永さんは舞台映えしますよね。裏方の徳永さんを知っていた人は、そこに驚いたんじゃないでしょうか。

徳永:僕のことをあまり知らない人は“根っからのロッカー”という第一印象を受けることが多いみたいで。いまだによく言われますよ、全然裏方っぽくないよねと(笑)。20代で表舞台に立てなかったことは、自分のコンプレックスになっているんです、いい意味で。doaでデビューしたのが32歳ですから。それでも全然いけるっていう思いがあって、今でもそれが自分の原動力です。

──表舞台に立ちたいと思いつつ裏方をしている若いミュージシャンはいっぱいいると思うんですね。そういう人の希望の星になっていると思います。

徳永:もしそうなら嬉しいし、裏方でがんばっている若いミュージシャンには「諦めるな」と伝えたい。自分のところにきた仕事はなんでもやったほうがいいし、全力で取り組めば必ず得られるものがあって、それはいずれ自分の財産になる。心が折れそうになることもあるかもしれないけど、粘り強くがんばってほしいです。

──先ほどお話があったB'zには1997年から、「Calling」「Liar! Liar!」「SURVIVE」「ultra soul」などの楽曲制作に共同編曲やプログラミング、ベースとして参加、1998年から2007年までのツアーにはベーシストとして出演しています。さらに1997年に楽曲「永遠」の制作を担当して以降、ZARDへの作曲や編曲で参加したほか、2001年からは倉木麻衣さんをはじめとするGIZA系アーティストへの楽曲提供を開始していて、現在も徳永さんの楽曲はさまざまなアーティストに提供されています。

徳永:B'zさんのサポートを経験したことから、さらにいろいろな仕事に広がっていったんですね。本当に感謝しかないです。

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