【インタビュー】erica、告白や失恋、片思いなどをテーマにした「告うた」でリスナーの心を癒す
告白や失恋、片思いなどをテーマにした楽曲=「告うた」をテーマに様々な楽曲を世に送り出しているシンガーソングライター・erica。彼女の代表曲であり、YouTubeにアップされている「あなたへ贈る歌」は2,900万回に届く勢いで再生されていて、Mix ChannelなどSNSでも大人気となっているアーティストだ。そんな彼女が、ニューアルバム「告うた3~あなたへ贈る歌2~」をリリース。曲作りにおける真摯なポリシーから豪快すぎる子供時代のエピソードまで、興味深い話を聞くことができた。
■0のときは一歩も動かないけど
■スイッチが入って100になるとすごいんです
――2014年にリリースされた「あなたへ贈る歌」は、YouTubeでの再生回数が2800万回を突破。現在も1日平均2万回ほど再生されているそうですね。
erica:そうみたいなんですよね(笑)。なんだか不思議な感覚です。
――というと?
erica:私はもともと山梨の山の奥のほうから上京してきて、路上ライブをしていたんです。当初は生きることや夢、自然がテーマで、こういう「告白」のようなテーマでは歌っていなかったんです。ところが1曲だけ告白ソングを作ったところ、たくさんの反響があったんですよ。ブログのコメント欄に“私も同じです、私も今悩んでいます”ってすごく書き込みがあって。当時は自分に出来ることはなんでもやろうと思っていたので、1日30件くらいブログの返事を返していたんですが、“自分はシンガーソングライターで曲を作れるのに、なんで文章で返してるんだ?”と思い、これは曲で返そうと。それで最初に作ったのが「あなたへ贈る歌」だったんです。お手紙をくれたたった一人の女の子のために、リリースも決まっていない中、自分で動画を作って、まだこんなにポピュラーではなかったYouTubeにアップしたんですよ。それがいつの間にかどんどん広まって、今の数字になったんです。
――すごくシンプルな出発点だったんですね。
erica:今だったらTwitterなんかで拡散されていくのかもしれないけど、当時はまだそこまでではなかったですからね。一人が友達に伝えて、またその友達にって感じの積み重ね。他にもいろんなお返事返しの曲を作ってきましたけど、知らないうちにこうなっていたっていうのが正直なところなんです(笑)。当事者なんだけど、仕掛けたわけではないので不思議な感覚なんですよ。コメント欄が賑わっているってことも、結構時間が経って気づいたくらいですから。
――それが今やericaさんの代表曲となったわけですが、お返事返しとして曲を作り始めた時、どんなことを大事にされましたか?
erica:私は、自分が経験してないことや共感できないことは曲にできないんです。もちろん“こうなればいいな”っていう妄想はしますけどね。友達同士でもそうだと思うけど、“わかる、わかる”って共感できる感じって大事。だから、一緒に作ってるっていう感覚を大事にしています。
――コメントやお手紙をくれた方と。
erica:はい。これまでもそうだけど、ファンというよりも友達のような距離感で接してきたんです。だから曲を作る時も、親友と“そうだよね”“こうだよね”“とりあえず明日待ち伏せしてみる?”って作戦立てながら、一緒に泣いたり笑ったりしてる感覚なんです。友達に悩みを相談されたら電話をかける人もいると思うし、メールを送る人もいると思うけど、私はたまたまそれが歌だったっていう感じ。こういう曲をたくさん作ってると、恋愛をいっぱいしてきた“恋愛マスター”だと思われることも多いけど、全然そうじゃないんです(笑)。
――皆さんのおかげなんですね(笑)。でも曲で返してくれるって、すごく嬉しいことだと思います。
erica:そう言ってもらえるから、また作りたくなっちゃうんですよね。私、曲を作るのがすごく早いんですよ。映画を観終わってしばらく時間が経っちゃったら同じ気持ちで泣いたり笑ったりできないように、その時の感覚とか感情をすぐ形にしたいなって思うから。あとは、飽き性だからっていうのもあるかな(笑)。
――かなりはっきりした性格ですか?
erica:もう、0か100かって感じです(笑)。家に帰ると完全に0で、一歩も動かなくていいようにして過ごすけど、スイッチが入って100になるとすごいんですよ。性格っていうか、生き方もそうですね。恋愛も0か100だし(笑)。物心ついた時からそういう感じでした。
――子供の頃はどんな感じだったんですか?
erica:育ったのが本当にど田舎で、コンビニまで歩いて1時間かかるようなところだったんです。だからやることといえば、カブトムシを育てるとか、イノシシを捕まえるとか、そういう感じだったんです(笑)。
――すでにエピソードの破壊力が100なんですけど(笑)。
erica:(笑)。カブトムシもただ捕まえて楽しむとかじゃなく、ガチで100匹くらい孵化させて。小学3年生くらいだったかなぁ。みんながゲーセンにハマるような感覚で、私はカブトムシにとことんハマっていたんです。
――そこまで振り切った性格だと、決まり切った学校の勉強とか、そういうのは楽しめませんよね。
erica:そうなんです(笑)。でもハマればイケるんで、音楽と体育の成績はピカイチでしたね。全校のマラソン大会なんかは常に1位。楽しいことはぶっちぎりで1位だけど、その他のことはもう全然。ここでも0か100でした。
――音楽の才能はその時から開花してたんですね。
erica:才能というか、声のデカさですよね(笑)。みんなで合唱とかする時も、私、ソロパートがあったんです。声が大きすぎて、どのパートを歌っていても私の声しか聴こえなくなっちゃうから、私は私のパートがあったんです。だから、自分は歌で重宝されてるんだ、歌が上手いんだって勘違いしちゃったんですよね。
――でももともと歌うことや音楽自体は好きだったんですか。
erica:好きでした。とにかく何もやることがない田舎だったし、テレビもあまり映らないからいつもラジオを聴いていたんです。いい曲だなと思ったらカセットテープに録音して、好きな曲シリーズを作って、それを耳コピしてピアノで弾いて。ピアノは3歳からやっていたんですが、そういうことも私にとっては遊びのひとつだったんですよね。
――耳コピで弾けるようなその音楽の才能は、ご家族のどなたかからのギフトですか?
erica:うちは両親が共働きで忙しかったので、祖父母に育ててもらったんですね。家にいても、車の中でも、いつも演歌が流れていたので自然と一緒に歌ってたんです。だから、今もたまにコブシがまわっちゃうんですよ(笑)。レコーディングの時は、いかにフラットにするかをプロデューサーにディレクションされています。でもそう考えると、モノマネに近い感じで歌ってたんでしょうね。
――やっぱり耳がいいんですよ。
erica:“耳は”いいかも。
――(笑)。ちなみに、具体的にはどうやってこの音楽の道に入ったんですか?
erica:高校卒業してすぐ、置き手紙をして家出しました。歌手になりたいのにボイストレーニングを受けるようなところもないし、どこに行くにも時間はかかるし、両親は音楽の道に進むことを反対していたので。でも、その置き手紙の文字が読めなかったみたいで、姉経由で「ワープロで打ち直してもう一度送れ」と(笑)。当時ハマっていたギャル文字で書いてたから、読めなかったんですよね(笑)。
――そんなことが(笑)。その後は順調に?
erica:いえ。バイトしながらボイトレには行っていましたけど、やっぱりまだ10代だったので、オーディションなどに関しても親の承諾が必要だったんですよ。それで20歳になるのを待って、20歳になった瞬間に山のようなデモテープを送りに行きました。翌朝集荷に来た郵便局の人がびっくりするくらい、ポストをパンパンにしましたよ。しかもポスト2ヶ所(笑)。そうやって送った私のデモテープを聴いて、最初に声をかけていただいたのが今のプロデューサーなんです。
――思いが届いたわけですね。
erica:でもそこから数年は全然ダメでした。だけどその後、山梨のあの実家でも映るようなニュース番組のタイアップをいただいたんです。あれだけ反対していた両親もコロッと態度が変わって、近所に言いふらしたりしていましたからね。
――それだけ嬉しかったっていうことですよ。
erica:やっぱり形になって初めて、納得してもらえたんでしょうね。今はすごく応援してくれています。ワンマンライブをやると、親戚みんなを乗せたマイクロバスでやってきますからね(笑)。今、やまなし大使や北杜市ふるさと親善大使もやらせてもらっていますけど、そうやってわかりやすい何かがあると人にも説明できるから、ご近所とかでも話をしちゃうんでしょうね。
――その感覚は、YouTubeという誰でも気軽に見聞きできるツールを軸に、ericaさんの楽曲を口コミで広めてくれたファンの皆さんの心理と似ているかもしれませんね。
erica:本当にそうだと思います。ただ、あの映像は歌詞だけで私の顔が写っていないから、当時あの歌をショッピングモールとかで歌っていると、カバーしてると思われていたんですよ。でもやっと今、みんなの中で私の顔と名前と歌がイコールになってきたんだなっていうことを実感してます。
――こうして「あなたへ贈る歌」の続編が作れるくらいにまでなったわけですからね。
erica:本当に嬉しいです。私はスタートも遅かったし、音楽知識もなかったので悔しい思いもたくさんしてきたんですね。お返事返しもそうですけど、自分が動かないと周りも動かない。事務所に入っても誰かが売ってくれるわけじゃない。自分で動いて結果を出さないと、周りは動かないんだって気づいたのも遅かったんです。だから1週間に1曲はアップするとか、路上ライブでは1日40枚CDを売るとか、絶対にやるって決めてやっていました。あの時はすごく辛かったけど、全部今に繋がってるんだなって思います。田舎で育ったことも、東京に出てきて辛かったことも、ありがたいことだったなって今やっと素直に言えますね。
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