【レポート】NAZWA! in ベトナム・ホーチミン「まるで80年代〜90年代の勢いづく日本の景色を見ているかのようだ」
ベトナム・ホーチミン市──。昼間は、バイクに乗る通勤者と学生の波で、道路は、砂埃と湿度の強い灼熱で息つく暇もない。信号は辛うじて機能するが、歩行者は自分で自分の身を守らなければ道を渡れない。クラクションは夜まで鳴り響き、市場や商店の軒先には人々が集まり物情騒然、アーケード街は碁盤の目のようにところ狭く個人商店が立ち並ぶ。
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しかし、学生のアルバイトが500円のTシャツを売るわずか5m先には、数10万円のドレスを展開するブランド店が所狭しと軒を連ねる。まさに高度経済成長期、格差社会、建設ラッシュ、公害、ナイトライフの活気。日本がアジアの“カルチャー先進国”のひとつとして成長期を迎えていた時代に、既に経験してきた全てが今、東南アジア、そしてホーチミンに時代の波となって押し寄せているのである。
今年でCOLDFEETの結成から20周年を迎えたWatusiと、ロンドン・デリー・カリフォルニアと、幼少期から海外で過ごし、国内外の音楽シーンとも所縁の深いDJでマルチメディア・クリエイターのNaz Chrisによって結成されたDJデュオ“NAZWA!”が、今まさに時代を駆け抜け、移りゆく東南アジアのツアー敢行を決めたのは、3月に旅したインドネシア・ジャカルタでの<JAVA JAZZ FESTIVAL>〜ジャカルタの音楽シーンでDJの旅をしている最中のことだった。大都市ジャカルタもまさに、東南アジアにおける高度経済成長の波に乗り、日本国内を遥かにしのぐ規模の大型ナイトクラブがオープンラッシュを迎え、いまや東京のナイトクラブ・シーンにも迫り・追い越す活気を見せ続けている。
いったい今、東南アジア諸国のナイトクラブシーン、音楽シーンでは何が起こっているのだろうか?
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──国内シーンはもちろん、90年代から長きに渡り、海外ツアーを行ってきたWatusiさんは今、日本国内と東南アジアの音楽シーンの時代のクロスオーバーをどう分析しますか?
Watusi 東南アジアのどの国に行っても在住している日本人は口を揃えてこう言うよね。「日本を出てこない人達に今の日本は全く見えていない」。それくらい今の東南アジアの経済事情やそこに大きく後押しされているカルチャー/エンターテイメントの今の姿が彼らには見えていないと思う。
国力が一気に強まり、若者も多く、インターネットによりあらかじめ世界と繋がっているこの時代、例えば音楽というエンターテイメントに集まる経済から活気までが桁違いに巨大な東南アジアに間違いなく日本はおいていかれています。そこに気づき繋がっていこうとする日本人達の動きも点でしかないのが現状で、今後も太く強く繋がったりする事は難しそうで……正直勝てる要素なんて見えません。
──嘗ての日本を見るような東南アジアのエンターテイメント・シーンにおける現在の活気はいつまで続き、これからどうなっていくと思いますか?
Watusi まずは現実的な労働(演奏/DJ)=対価という今のステップから、やはり著作権確立をも含めた市場経済の広がりとパワーの骨幹作り、次に如何にして演者を外貨を稼ぐアイコンとして育て各国で勝ち取っていくかというノウハウの蓄積によるシステムの凌ぎ合いがより巨大化/先鋭化されていくことは間違いないでしょう。
英語圏ということもあり外貨=ドル・ユーロを最初から想定した上でのシンガーからDJまでへの海外活動を見据えての教育方針や活動ステップの細部の構築など学ぶことばかりです。また音楽においては世界的な原盤ビジネス崩壊以降に育って来た歴史的にもユニークなパワーなので今後25年、東南アジアが確実に面白いシーンを作っていくと思っています。
──ジャカルタやホーチミンなどの東南アジアで、日本人を含む外国人移住者が、ナイトクラブやラウンジを経営し活動の拠点を移す動きがあるが、彼らの動きと目的とは?
Watusi まずは単純に日本にいては先が見えないという不安/不信感が大きいと思います。同じ緩く楽しくやっていくのならその先に何かが見えそうだったり、予想もしていない出会いや流れが待ち受けていそうな場所、そんな磁場に惹かれ今の東南アジアに移り住むことはよく分かります。住んでみると同様の思いの日本人や、地元の連中ともすぐに繋がるし、またどんなに日本や日本人が多くの東南アジア諸国に好かれているのかなども分かり、まずは足場を固め次に今の日本では成し得ない、それこそ70年代の東京の若者達が焦がれた自分発信の繋がりやシーンの構築をリアルに楽しみたいんじゃないかと思っています。
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