【インタビュー】石山竜市 (ex.Lastier)、「二度とステージに立つことはない」
イベント<Earliest Memories 2017>が8月11日、TSUTAYA O-WESTにてwyse、JURASSIC、CARESS、LAID、ILLUMINAを迎えて開催される。このイベントに友情出演というカタチで参加発表されたのが、元Lastierのヴォーカリスト石山竜市だ。
◆石山竜市 (ex.Lastier) 画像
石山竜市は2017年9月17日、新潟Live Hall GOLDEN PIGS RED STAGEで行われるイベント<UNKNOWN LUCK FES 2017>にセッションバンドRKMRとして出演することも決定しており、この2公演のゲスト出演を最後に「二度とステージに立つことはない」と宣言している。だからこそ彼はこのステージで、Lastier時代の代表曲「SKY」と「WILL」を歌うことも表明した。
現在、造型師(原型師)として活動している彼が、ステージと決別する理由と決意、そしてラストステージについて語ったインタビューをお届けしたい。
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■やり切った感のみが心を支配して
■結果、呪縛から開放された
──なぜ音楽活動を辞め、地元・新潟市に戻って造型師としての活動を?
竜市:一番の理由は造型師としての仕事環境を整えるためで。今後、すべての情熱と人生を造型師に注ぐと決めるまでにも、実はいろいろありました。ただ、今でも音楽活動を辞めたわけではありません。その理由は後々話しますが、音楽活動は続けるけど、ステージに立って歌うことは今回の2本のライヴが最後。これを終えたら二度とありません。いや、今回の話を受けなかったら、ステージに立つこともなかった。そのことを公に発表していなかったし、公表する理由もなかったので口に出さなかっただけで、自分はもう造型師としての活動に専念しているんです。
──でも、公表する理由が生まれた?
竜市:そうしたほうがいいと思った、と言ったほうが正しいですね。その前に、なぜ僕が新潟へ戻ったのか、この話からさせてください。実はメジャーデビューを控えながらも空中分解してしまった幻のバンドがありました。僕がリーダーとなり、これが最後のバンドとして情熱を注ぎ込んだHELTER×SKELTERです。第一線級の名だたる方々と一緒に組んだバンドで、当時のHELTER×SKELTERは<サマーソニック>への出演や、赤坂BLITZと川崎クラブチッタのワンマン公演開催も決めていましたが、いろんな大人の事情からフェードアウトせざるを得なくなった。形にはならなかったんです。
──なるほど。
竜市:ただ、バンドとしてはデモ音源のレコーディングを行なって、理想とするメンバーと表現したい音楽をしっかり形に出来た。だからなんでしょうね、始動することなくHELTER×SKELTERは活動を止めてしまいましたが、自分の中ではやり切った感がすごくあって。
──燃え尽きたという感覚?
竜市:それまでは、“自分には音楽しかない”という気持ちを強く持っていたせいか、何かがあっても先へ進むための新たな情熱が必ず生まれたんですが、HELTER×SKELTERを終えたとき、次への情熱が芽生えることがなかった。それが、ステージを降りようと決めた一番の理由です。もう7年前のことですね。
──では、造型師を志すきっかけは?
竜市:小さい頃から絵を描くのが好きだったし、プラモデルを作るのも好きで。実はバンド活動をしていたときも描いた絵をLastierのファンクラブ会報に載せていたし、フィギュアなどの造型は表に出してないだけで、趣味としてずっと続けていました。フィギュア作りは特に大好きで、Lastier時代からドラムのRyoと秋葉原に足を運んではフェギュアを見て回ったり、材料を買い揃えてコツコツ作ることを楽しんでいたんです。ただ、当時はそれを表に出して言うことが決してカッコよくはなかったから、隠れキリシタンのようにずっと伏せ続けいただけで。本格的に造型師の仕事をしたいと思ったのは、もう二度とステージには上がらないと決めてからでしたけど、実はLastierを辞めて以降、ソロも含めた音楽活動を続けていく中で3年間ほど造型師としての仕事も始めていたんです。
──音楽と併行して?
竜市:いわゆる二足のわらじとして音楽と造型を行なってきた中で、HELTER×SKELTERの活動が消滅して。ステージに立つ情熱も同じように消えたからこそ、両輪の片方であった造型師の仕事に自然と専念したくなり、その活動を100%にしたわけです。僕自身、ライヴ以上にレコーディングを行う工程のほうが楽しいということもあり、表に出るよりも裏方仕事のほうが性格に合っていたんでしょうね。
──両輪という言葉がありましたが、竜市さんにしてみれば、音楽も造型も当たり前に重要なもの?
竜市:そうです。昔から両方とも好きなこと。だからこそ、音楽だって完全に辞めたわけではないんです。ただ、HELTER×SKELTERが無くなったことが一つの節目と言いますか。挫折感と言うのかな? 自分の想いがすべて届く世界じゃないことは、その経験を通して肌ですごく感じました。
──“自分の想いが届く世界じゃない”とは?
竜市:変な話ですが、HELTER×SKELTERが動き出した頃って、レコード会社もすぐに決まったし、とんでもない金額がバックで動く話が出てきたり。ワクワクと同時に、自分たちでは抱えきれないほど規模が膨らんでいくことに対して、正直不安もあったんです。その辺でメンバー間の気持ちにズレが生まれたことが大きかったんだと思います。メンバーひとりひとりが個性に溢れ、リーダーの僕自身も我が強くてこうと思ったら意志を曲げたくない。だから、意志疎通の面でも納得のいくところまでお互いがぶつかったんです。デビューを待たずに活動が終了したのはいろんな事情が重なったとはいえ、挫折感も味わったし、ただ僕自身はそこで納得できたんです。
──ネガティヴな感情ではなく、決着がついたという?
竜市:HELTER×SKELTERを終えたとき、生まれて初めて変な心の呪縛から開放されたんですよね。僕自身、音楽を始めたときからずっと全力でしたし、音楽の道を失くすことが怖かったからこそ、頑なに“絶対に後退はしない、進むしかないんだ”と自分の感情をコントロールしていたと思うんです。ところが、やり切った感のみが心を支配して、結果、開放された。
──それで、もう一つの道へ舵を切った?
竜市:そうです。音楽活動を続けながら夢中になっていた造型の仕事が、次第に依頼も増えて、いつしかそれで収入も得るようになっていました。音楽だけで食べていくには難しい状況に陥ってたという事情もありましたし。ここからは造型師の話になりますが、僕が新潟へ戻った一番大きな理由が自分のアトリエが欲しかったからなんですよ。
──それは、都内ではできないことなんでしょうか?
竜市:もちろん、都内のマンション内でも出来ることですけど、スプレーを使う塗装に関しては、いくら塗装ブースを作り、塗料が外に飛び散らないようにしても、どうしても匂いだけは外に漏れ出てしまうんですね。しかもその匂いには有害物質が含まれているので、そうそう外へ解き放てるものではない。一方でそれを部屋に溜め込むと、今度は自分がシンナー中毒になってしまう。僕自身の性格なんでしょうね、人に迷惑をかけるくらいなら……と思ったんです。それもあって、改めて一つの岐路へ立ったとき、“自分は何を一番やりたいんだろう!? 小さい頃から大好きな造型師だ”という結論を見い出した。それで本格的なアトリエを求めて、新潟の実家へ戻ったわけなんです。
──東京から離れるという行為自体にも意味があったんでしょうね。
竜市:なにより制作へ没頭出来るんです。田舎だと土地が広く、隣近所とも距離が離れているし、マンションのように隣り合わせじゃないから、より伸び伸びとした環境が得られる。経験を重ねるごと造型師としての仕事も増えたし、その作業へ熱中することが本当に楽しかった。
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