【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.77 「# Manchester Strong(1)」

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初めて暮らすイギリスの街はマンチェスターと決めていた。それは初の海外生活にまったく英語を話せないで臨むという自分の力量と状態からみると、首都ロンドンへいきなり乗り込むには少し臆病であったし、音楽が好きならやっぱりマンチェスターでしょ的な考えもあったので、マンチェスターにある学校への入学に一切の迷いはなかった。しかし現実は想像を絶した。

渡英初日からマンチェスターという街は私に試練を与えてきた。全体的に言うと、イギリスでの留学生活1年目は思い描いていたよりも数十段辛口で、マンチェスターも、私が選んだ学校も、ホストファミリーも、そのほとんどが私に辛く当たってきたのだ。

ギョーカイで得た労働対価を10年かけて貯金し、家族や親戚、友人にも暖かく送り出され、19の時に訪れた憧れのロンドン旅行の時に決心したイギリス暮らしをようやく叶えられると意気揚々に乗り込んだ初日、マンチェスター空港に降り立った私に、来るはずの迎えが来なかった。


念願のUKライフ初日からのトラブルは避けたかったので、学校が提供する空港送迎を数万円払って申し込んでいた。しかし、空港には誰もいない。緊急時用として渡されていた電話番号にかけても繋がらないし、早朝過ぎたためにインフォメーション・カウンターにも担当者は不在。結局、数時間後に他の生徒を迎えに来た同学校手配のバスを自力で探し当て、運転手に必死に説明してホストの家へ運んでもらった。さらにホストファミリーは不在で、ペンキ塗りのおっちゃんが非常にクセの強い言葉で話しかけてきたが、まったく理解できずに途方に暮れた。

日本にも支店を構え、世界で手広く展開していた学校を信用して選んだが、それがとんだ大間違いだった。それから、安価な航空チケットを使ったため、日本からマンチェスターに辿りつくまでに3度トランジットし、成田を出てから3日目を迎えようとした。体力の限界は超えていて、苦行としか思えなかったし、それ以降は基本的に直行便しか買っていない。

もしも英語を話せていたら、または海外慣れしていたならば、ホストファミリーへ電話して事情を説明するとか、バスやタクシーを使って自力で向かうという勇ましいこともできただろう。しかし、それが出来ていたら英語を学びに学校なんか入るか、ボケ。ちきしょう、絶対話せるようになってやる。これが私の最初に抱いたマンチェスターでの感情だ。今振り返ってみると、あの時の激しい怒りと悔しさは、まさに荒れ果てたロックな街・マンチェスターにうってつけだったように思える。

こうして浮かれ気分から一変、初日から手荒いイギリス流の洗礼を受けたことで、英語習得への欲望は到着早々たった数時間で生まれた燃えたぎる闘争心によって完全にフル充填されたのだった。<②に続く>

文・写真=早乙女‘dorami’ゆうこ
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