【ライブレポート】<VISUAL JAPAN SUMMIT 2016>3日目中編「胸を張ってヴィジュアル系をやってると言える」

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続いてのアクトは、SUMMIT STAGEの二番手となる清春。広いステージにはこれといったセットもなく、電球の灯るスタンドと、飲み物の置かれたテーブル、そして椅子が並んでいるだけ。アコースティック・ギターを弾く三代堅、エレクトリック・ギターの中村佳嗣を両サイドに配しながら、「お元気ですか?」と客席に告げた清春もまた、アコースティックを抱えている。そして、何の前置きもなく彼が掻き鳴らし始めたのは「忘却の空」。いきなりの名曲炸裂に、オーディエンスはどよめきにも近い歓声をあげる。

それにしても尋常じゃないのは、清春の歌の力だ。単に上手いだけの歌ではなく、“すごい歌”なのだ。しかもイベントの規模に合わせてバンド編成でラウドな攻め方をするのではなく、敢えて昨今のソロ・ライヴと同様の必要最少人員でこの日のステージに臨むことを選んだ彼。それはもちろん、バンド然とした音圧以上に説得力のあるものを持っているという自信があるからこその判断であったはずだが、実際、余分な音とぶつかることなく聴こえてくるその歌声は、とてつもなく豊かな響きを伴っていて、ダイレクトに耳と心に届いてきた。

全4曲のコンパクトなプログラムのなかで演出要素があったとすれば、清春自身が吐き出す紫煙ぐらいのもの。そうしたライヴのあり方自体が、なんだか後輩世代に向けての無言のメッセージでもあるように感じられたし、バンドという活動形態に過剰なこだわりや幻想を抱いてこなかった清春ならではの意地のようなものが垣間見えたようにも思えた。また、蛇足を承知で言えば、彼とsadsで活動してきた坂下丈朋がひとつ前の時間枠にTHE SLUT BANKSの一員としてステージに登場していたという巡りあわせについても、単なる偶然とはいえ興味深さをおぼえた。長く活動を続けてきた者同士が同じ音楽シーンに居合わせていると、こうした偶然もごく自然に起こり得るのだ。


そんな清春の圧倒的なステージの直後という出演順だっただけに、DIAURAは幾分のやりにくさを感じていたかもしれない。幕が閉ざされた状態でのサウンド・チェックの途中にVISUAL STAGEから聞こえてきた「気合い入れてかかってこい!」というyo-ka(Vo)の叫びは、彼が自分たち自身に向けたものだったのかもしれない。その気合いが強過ぎたのか、開幕早々に発せられた彼のMCは声が濁って聞き取ることができなかったが、いざ演奏が始まってみたときに感じさせられたのは、このバンドの進化の幅の大きさだった。僕自身、彼らのライヴからは3年近く遠ざかっていたのだが、当時から持ち合わせていた勢いや大胆さはそのままに、今の彼らは風格と呼んでもいいものすら身に着けている。

オープニングに据えられた「胎動」が着地点に至ると、「さあ、声聞かせてくれ。それが全員の声? もっとちょうだい」と火に油を注ぐyo-ka。続く「赤い虚像」のクロージングで発せられた「俺たちがDIAURAだ!」というシンプルな言葉にも、その直後に「せっかくだから覚えて欲しい」と言いながら行なわれたメンバー紹介、さらには彼らが自分たちなりに愛を込めてファンを“愚民”と呼んでいることを説明するくだりからも、未知のオーディエンスの記憶に自分たちの存在を刻み込みたいという強い欲求が感じられた。「お前たちのマスター(=支配者)は誰だ?」という問いかけに、ファンが「yo-ka!」と声を合わせて応えるという展開に導かれたクロージング・チューン、「MASTER」を演奏し終えると、わずか4曲という短いプログラムは終了。もっと観てみたい、と思えた。つまり彼らの勝ちだった、ということになるだろう。

次にJAPAN STAGEに登場したのは、Mumiy Troll。これはあくまで英語表記であり、ロシアはウラジオストクを拠点とするこのバンドの正式名称は Мумий Тролльと表記され、ムミー・トローリと読む。1984年に結成されたというこのバンドは、ロシアの音楽シーンについては疎い筆者には“名前だけは見たことがある”という程度の認識しかなくほぼ未知の存在だったが、ロシアでは全国的な人気を誇り、過去には函館でライヴを行なったこともあるのだという。また、旧ソ連当局から“最も危険なバンド”と認識され、妨害工作を受けたこともあるのだとか。

しかし、「ハロー、ミンナ、ゲンキ?」という日本語での挨拶から始まった彼らのライヴは、そうしたプロフィールから連想される過激で危険な匂いとは結び付きにくいもの。ただ、少々ねじれたエレクトロ・ポップの楽しげな響きや漫画的センス、ほのぼのとした歌声の裏側に、皮肉めいた影が感じられたのも確かだし、なかには顔を黒布で隠しているメンバーもいたりして、どこかミステリアスな印象も。そこで「ツギノキョクハ、ニホンゴデウタイマス」などと言いながら実際にぎこちない日本語詞で歌いだすといった場面もあり、興奮するというよりは良い意味での脱力感をおぼえさせられもしたが、緊張感に支配されたステージが多く続くなかで、ある種の清涼剤的な緩和の時間にもなっていた。



午後2時45分、SUMMIT STAGEの三番手として登場したのはMUCCだ。暗い空に雲が流れる映像を背景にしながら聴こえてきたのは、「睡蓮」のイントロ。ミヤ(G)の叫びに続いて、逹瑯(Vo)の咆哮が音の壁を突き破る。音響もきわめて良好で、ラウドかつバランス良く構築されたバンド・サウンドと、白光を基調としたモダンなライティングも調和がとれている。まさにヘッドライナーのたたずまいだ。

続く「ENDER ENDER」で場内はさらなる一体感に包まれ、「KILLER」でいっそうの熱を帯びていく。そして前半の3曲を終えたところで逹瑯が発した「胸を張ってヴィジュアル系をやってると言えるこのステージに立たせてくれた、YOSHIKIさんに感謝します」という言葉が印象的だった。その前に彼は、「いつからヴィジュアル系がカッコ悪くなったんだろう、と最近よく考えていた」とも口にしていた。が、この3日間は、それに対してどうしようもなく憧れていた頃の衝動に溢れている、とも。この言葉はMUCCの他のメンバーたちのみならず、(すべて、とは言わないが)他の出演者たちの気持ちをも代弁していたのではないかという気がする。

後半にはスケール感のある「ハイデ」や、観客を全員その場に座らせたうえでジャンプさせるという定番の趣向を含む「蘭鋳」が配され、場内の熱気はまさに火に油を注がれたかのように上昇の一途をたどっていく。そして最後に炸裂したのは、今現在のMUCCを代表するキラー・チューンのひとつというべき「TONIGHT」。しかもこの曲の途中、いつの間にかステージの下手側にL'Arc~en~CielのKenが現れていて、まるで最初からそこにいたかのように自然なたたずまいでギターを奏で、後輩たちの熱演に花を添えていた。彼らの演奏終了後、転換の間に僕はツイッターに「MUCCは本当に、ここぞという場面で抜群の強さを発揮するバンドになった。これまでに観てきた彼らのライヴのなかでもベストのひとつに数えられるステージだったと思う」などと書き込んでいる。実際、それがその瞬間における僕自身の素直な気持ちだった。そして、いよいよVJS最終日は、終盤へと近付いていく。

取材・文◎増田勇一
写真:VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 Powered by Rakuten

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