【インタビュー前編】デヴィッド・カヴァーデイル「リッチー・ブラックモアと絆を取り戻したんだ」

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──『ザ・パープル・アルバム』プロジェクトがどのように始まったか教えて下さい。

デヴィッド・カヴァーデイル:2012年、ジョン・ロードの代理人から、ジョンが癌を患っていると聞いたんだ。ジョンは回復したら、ぜひ第3期ディープ・パープルを復活させたいと話していた。だが残念なことに、彼が回復することはなかった(2012年7月16日死去)。この時期、妻シンディの兄弟、そして私のおばも相次いで世を去ったんだ。我々皆にとって試練の時だった。この辛い試練から我々は何を学ぶべきか?…と考えたとき、気付いたのは、精神的な重荷を下ろすべきだということだった。もう私は若くないし、残された時間は限られている。それで過去にわだかまりのあった人々に連絡を取ることにしたんだ。数人に連絡したうちの一人がリッチー・ブラックモアだった。

──『ザ・パープル・アルバム』のオリジナル・ライナー・ノーツによると、この作品は当初“ブラックモア/カヴァーデイル”プロジェクトとして構想されていたそうですが…。

デヴィッド・カヴァーデイル:ジョンが亡くなったことは、私にひとつのきっかけを与えたんだ。私とリッチーの間には、不必要な悪意の応酬があった。でも、何十年も前の遺恨を残すことは不必要だ。それで共通の知人を介して、キャンディス・ナイト(リッチーの奥方でブラックモアズ・ナイトのシンガー)のメールアドレスを教えてもらったんだ。彼女に丁重なメールを送って、ジョン・ロードへの追悼の意と、リッチーと連絡を取りたい旨を伝えた。最初の返事は「あんた誰?どうやってこのメールアドレスを手に入れたの?」というものだった(笑)。それで私は、自分が本物のデヴィッド・カヴァーデイルであると説明したんだ。関係者に連絡すれば、私がニセモノではないとわかるってね。それからリッチーとはメールや電話で連絡を取るようになって、絆を取り戻したんだ。彼はホワイトスネイクの成功を祝福してくれたし、私もロック界の巨人である彼には敬意を持っている。ただ、リッチーはアメリカ東部、私は西部に住んでいて、それにホワイトスネイクは2013年の<イヤー・オブ・ザ・スネイク>ワールド・ツアーで忙しかったんで、直接対面して話し合ってはいない。彼と再会するのは、これからの楽しみにしているよ。
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