【インタビュー】SUGIZO×藤原いくろう対談 『SYMPHONIC LUNA SEA -REBOOT-』から解かれる普遍的メロディ
さいたまスーパーアリーナと横浜アリーナで行なわれる年末アリーナ公演も完売。25周年のアニヴァーサリーイヤーを駆け抜けるLUNA SEA公認のシンフォニック・カバーアルバム『SYMPHONIC LUN ASEA -REBOOT-』が、日本コロムビアからリリースされた。オーケストラアレンジと東京フィルハーモニー交響楽団の指揮を手がけているのはLUNA SEAのシングル「THE ONE-crash to create-」とアルバム『A WILL』でストリングスアレンジを手がけている藤原いくろう氏。今回は藤原氏、SUGIZOのスペシャル対談をお届けする。クラシックをルーツに持ち、藤原氏と親交が深いSUGIZOがもともとLUNA SEAで具現化したかったヴィジョンとは。そして、「LUNA SEAは多旋律音楽なんです」と語る藤原氏が思うLUNA SEAとは──?
ふたりの共通項を探りながら、収録曲を紐解いていく内に見えてきたものは、他の追従を許さなかった秘伝のバンドアンサンブルであり、普遍的なメロディだった。お互いの育った環境からディズニー音楽にまで話が及んだレアな1万字インタビュー。
◆共通言語とか共有できる感覚がものすごく多い
──LUNA SEAの楽曲を藤原いくろうさんがオーケストラアレンジした『SYMPHONIC LUNA SEA -REBOOT-』はメンバー公認としては初のシンフォニック•カバーアルバムなんですよね。
SUGIZO: 90年代に2枚(『SYMPHONIC LUNA SEA』、『SYMPHONIC LUNA SEAⅡ』)発売されていましたが、公認としては初かもしれませんね。
――今回の監修はLUNA SEAなんですか?
SUGIZO:監修は全部、今回のディレクターである日本コロムビアの横田さんにお任せしています。制作には僕らはタッチしてないんです。
藤原:うん、タッチしてくれなかった(笑)。
SUGIZO:いや、ツアー中だったし、タッチしたらたぶん1年ぐらいかかりますからね(笑)。逆にすべてお任せしたほうが良かった。
――関わっていたら、2014年には出なかったかもしれない(笑)。
SUGIZO:可能性は十分、考えられます(笑)。
――藤原さんはLUNA SEA、REBOOT後の初のシングルCD「THE ONE-crash to create-」やアルバム『A WILL』のストリングスアレンジも手がけていらっしゃいますが、もともとの出会いというのは?
SUGIZO:舞台のサウンドトラック『眠狂四郎無頼控』(2010年/SUGIZOが音楽を手がける)が最初ですか?
藤原:そうですね。音楽制作に関わって。LUNA SEAより先に出会ってましたね。
――ちなみに、当時のお互いの第一印象というのは?
藤原:SUGIZOさんは音楽に対する知識も深いし、造詣も深いしこだわりもすごくあるので、最初から今に至るまでずっと同じ印象ですね(笑)。一緒にやる時は息が抜けないというか。いい意味でね(笑)。いい緊張感を持って音楽をできるなっていうのがあります。細部にまで気が付いてくださるのでやり甲斐があるし、細かいオーダーもきたりするので、おもしろいやり取りが毎回できるんですよね。
――SUGIZOさんはクラシックがルーツのロックミュージシャンですが、藤原さんから見た彼の魅力、ある意味特殊なところは?
藤原:やっぱり生まれ育った環境も含めて、彼の流れてる血の中にアカデミックなものがあるんですよね。意識しなくてもそういうところがほとばしり出ているんですよ。楽曲だったり、ギターの演奏のフレーズだったりに。
SUGIZO:藤原さんは基本はクラシック畑に根を置いてる方なんですが、持っている感覚やフィーリングはロックミュージシャンと非常に近い印象ですね。僕はクラシックが根底に流れていて、ロック側からオーケストラミュージックにアクセスをしてるんです。同じような流れの逆パターンが藤原さんで、クラシックミュージックに根を置きながらロック側にアクセスをしている。だから共通言語とか共有できる感覚がものすごく多くて。たぶん音楽の話で飲んでも三日三晩止まらないみたいな感じですよ。まあ3日間飲んだことはないですけど(笑)。
藤原:(笑)。
SUGIZO:だからロック側とクラシック側なんですけど、お互いすごく近い感覚で音楽に携わってる。最初にお会いした時から金髪ですし、ロックミュージシャンよりも過激みたいな(笑)。
◆音楽の話がほとんど。一緒にコンサートも行きました
――(笑)藤原さんはいろいろなミュージシャンや歌手の方と仕事されていると思いますが、最初はクラシックから入って――。
藤原:もちろん小さい時からずっとやっていて、学生時代にはバンドもやったり。
SUGIZO:バンドの時はキーボーディストですか?
藤原:キーボードです。あと、実は叔母がジャズ歌手だったりしたので、ジャズも聴いていました。母親はクラシックをやっていたんですけど、(エルヴィス)プレスリーの大ファンだったりもしたので。
SUGIZO:いいな。僕の家にはまったくロックはなかったですよ。
藤原:家は逆にロックも流れていて(笑)。
SUGIZO:母親はかろうじてビートルズを知ってるぐらいですからね。父親はロックに関しては「こんなもの野蛮だ」って。ただトランペッターだから、マイルス(・デイヴィス)とかブラウニー(クリフォード•ブラウン)のレコードはあったな。マイルスのジャケットは小さい頃から見てた。
藤原:そういう意味ではほんとにパラレルな感じでおもしろいですよ。ただ彼も小さいときからずっとクラシックの勉強をやってきていますからね。
SUGIZO:僕は嫌々やらされていたから、あまり身になってなかったんですよね。どちらかというと恐怖心から習っていたので。
藤原:クラシックの先生は怖いですからね(笑)。
SUGIZO:自分がやる意義を見出せないまま、やめてしまったんですよね。今思うと残念だな。
――でも、後にそのルーツが活かされたわけですよね。
SUGIZO:自分ではわからないですね。中途半端としか思えないので。
藤原:いや、そんなことは決してないと思いますよ。
――おふたりが仕事の合間に話すのは音楽の話ばかりですか?
藤原:音楽の話がほとんどですかね。一緒にコンサートも行きましたしね。
SUGIZO:そうですね。
藤原:『ラ・フォル・ジュルネ』に行ったりとか。
SUGIZO:話している内に藤原さんの奥様がチェリストで、たまたまうちの母親の大学の後輩だったことが判明したりして。
藤原:そうなんですよ。高校も大学も後輩で。
SUGIZO:ルーツが近いのもあって、家族ぐるみで親しくなりましたね。
◆インタビュー(2)へ
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