【Kawaii girl Japan/インタビュー(後編)】“ガールズバンドあるある”も。SHOW-YA・寺田恵子×Silent Siren、世代を超えたガールズバンド対談

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ガールズバンドの先駆け的存在であるSHOW-YA。男社会であるバンドシーンの中で、引けを取らない絶対的な存在感を印象づけた彼女たちは、当時はもちろん、現在もロックシーンのトップに君臨する。ヘヴィな音と、圧倒的なスキルを誇る寺田恵子のボーカル力は、今もブレることなく、生き続けているのだ。

◆SHOW-YA×Silent Siren 写真

一方、2010年に結成したSilent Sirenは、それぞれの経緯でファッション雑誌の読者モデルとなった、すぅ(Vo & G)、あいにゃん(B)、ゆかるん(Key)、ひなんちゅ(Dr)の4人から成るガールズバンド。“静かな警告”という意味を持つというバンド名は、ガーリーでサイレントな楽曲もあれば、サイレンを響きわたらせるようなロックな楽曲もある彼女たちの音楽性も現している。SHOW-YAのデビュー時には、まだ生まれていなかったというSilent Sirenの4人。ガールズバンドという接点から、様々な方向に広がったガールズトークの後編をお届けします。

  ◆  ◆  ◆


ゆかるん:SHOW-YAとして、寺田恵子さん個人として、大きなターニングポイントってありました?

寺田:そんなのありありだよぉ!だって、私、27歳のときに1回SHOW-YA辞めてるからね。17歳でSHOW-YAに入って、21歳でデビューして、27歳で脱退したの。大きな喧嘩があったかと言われると、ん~、どうかな?今思えば、逆にコミュニュケーションが足りなかったと思う。相談する相手も居なくて、自分の中で解決しようと思って、どんどん自分を追い込んでいっちゃって、そこで1つのキーワードが自分の中で浮かんできて、そこを突き詰めていったら、それが脱退だったんだよ。

すぅ:どれくらい悩まれたんですか?

寺田:1年半悩んだかな。ほとんど寝てないね。1日2時間くらいしか眠れなくてね。自分でも、起きてるか寝てるか解らないくらいの状態の中、ツアーとかまわってたから。辛かったよ。その頃は、毎日毎日ライヴやってたし、東京に戻ってきたらレコーディングとかあったし、常に追われている状態で。そのうち、自分の中で、このままでいいのかな?って思うようになっちゃって。27歳でSHOW-YAを辞めたときは、もう音楽自体を辞めてしまおうって思ってたの。実家に帰って、家事手伝いしながら履歴書書いて。

Silent Siren:へぇ~………。

寺田:半年間は、テレビから流れてくる音楽すら聴けないくらい音楽が嫌いになってた。でも、履歴書を書いてても、大学卒業した後がSHOW-YAだから、それをどうしても書けなくて………。そんな時間を過ごしていたときに、友達に誘われてカラオケに行ったのね。そしたら、そこで友達にSHOW-YAの曲を入れられたの。“止めて!絶対に歌わないからね!”って拒絶してたら、友達が、“私が歌いたいんだもん!”って歌っていて、途中で、“やっぱダメだ!声出ないよ~。ここ解らない!”ってマイクを渡されたの。それで歌ってみたら、すごく気持ちよくて、涙止まらなくなっちゃって。そこで30曲以上歌ったの。やっぱり自分は歌が好きなんだな……って痛感して家に戻ったら、本当に運命を感じたんだけど、プロダクションの人から電話があって、この業界に戻って来いって言われたの。自分は外に出なくていいから、女の子バンドのプロデュースをしてくれないかって。今はこうして何でも教えてあげたいって思えてるけど、そのときは、どうしてもそんな気持ちになれなかったの。こんなにも苦労して身に付けてきたものを、ただで教えるなんて出来ない!って変な意地があってね。それなら自分が歌う!っていうんで、またこの世界に戻ったの。それが29歳の頃かな。


すぅ:そうだったんですね……。

あいにゃん:いろいろ経験されてるんですね。

寺田:でも、こうして変わりなく続けていられるのも、やっぱりメンバーのおかげかなって思う。私が抜けてから、2人ボーカルが入っているし、1998年に一度解散しているけど、SHOW-YAというバンドはこうして今も続いているからね。でも、最初に歌の世界にもう一度戻ったときは、もうハードロックは出来ないと思ったの。SHOW-YAがハードロックバンドだからね。また私がハードロックをやるのは違うかなって。だったらSHOW-YAを辞める必要はなかった訳だから。一番大きな力が加わって動いている最中に、脱退という形で私がそれをぶっ壊してしまった訳だから、今は本当にその責任を重く感じているし、尻拭いはちゃんとしないとなって思ってる。

―― SHOW-YAは、2005年に寺田さんを中心に再結成されたんですよね? 再結成を決意されたきっかけって何だったんですか?

寺田:阪神淡路大震災。チャリティコンサートがしたくて、メンバーに話したの。でも、そのときは既に新しいボーカリストが居たし、それは出来ないってメンバーに断られて。1日だけでもいいからってお願いしたんだけど、今のメンバーとチャリティーとして動くからって、どうしても受け入れてもらえなかったの。そこから再結成までに5年かかった。SHOW-YAが解散してしまったときから、自分の中で、絶対に20周年目に再結成しよう!って決めて、2000年にメンバーに声をかけてね。

ひなんちゅ:寺田さんは、自分の後に入ったボーカルの方に、嫉妬とかなかったんですか?

寺田:ううん、嫉妬なんてしなかったよ。いろいろと本人からも相談を受けていたし、メンバーからもいろいろと相談を受けていたしね。全然、嫉妬はなかったよ。

ゆかるん:私も途中から加入したメンバーだったりするので、なんか、すごいなって思います。心が広いなって。やっぱりどうしても前に居たメンバーに遠慮しちゃう気持ちも最初はあったりしたので。

寺田:なかなか難しかったりするよね。

―― 2000年に再結成の話しを持ちかけられて、実際再結成に至ったのは2005年だったのはどうしてなんですか?

寺田:メンバーが嫌だって言ったの。恵子は信用出来ないって言われて。そりゃそうだよね、一番バンドが大事なときに脱退してるんだから。だから、5年かけてみんなの信用度を取り返したというかね。5年かけてメンバーを説得して、やっと2005年に再結成出来たの。

あいにゃん:5年かかったんですね!

寺田:そう。5年かかった。でも、どうしてもこの5人でもう一回夢を見たいなって思ったんだよね。

ひなんちゅ:素敵ですね。


寺田:うん。それを叶えてくれたメンバーに感謝だよね。またね、SHOW-YAって結婚してるメンバーが1人しかいないの。だから集まりやすいっていうのもあるんだよね。それにその結婚してる子の旦那さんがすごくいい人で、リハーサルだとかなんとかで集まってても、何も文句言わない人なの!誕生日の日だったりしたときも、何も言わないでいてくれたから、みんなでおめでとうのメッセージを贈ったりしたしね(笑)。本当にいい旦那さんだと思う。感謝しなくちゃね、私たちも。

ゆかるん:すごくいい旦那さんですね!

寺田:そうなの。結婚して旦那さんとか子供とか持っちゃうと、なかなかバンドを続けられなくなっちゃうからね。

すぅ:私たち、同じタイミングで子供作ろうね!って話してるんです!

ゆかるん:それはいっつも話してるよね。

寺田:あはははは。解る!一緒のタイミングで結婚して、一緒のタイミングで子供産もうってでしょ?それ、私たちも昔言ってたよ!だって、同じタイミングじゃないと活動が止まっちゃうからね!

Silent Siren:そうなんです!

あいにゃん:計算して、このくらいに子供産もう!とか(笑)。

寺田:うんうん、してたしてた(笑)。

ひなんちゅ:同じですね!

寺田:SCANDALのメンバーも言ってたよ(笑)。

すぅ:あははは。それって、ガールズバンドあるあるですね(笑)。

ゆかるん:そうだね(笑)。女の子バンドならではの話しだもんね。

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