【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第3回「仙台青葉城(宮城県) 卓偉が行った事ある回数、軽く50回以上」
東北一を誇る伊達政宗の城である。何を隠そう、私の先祖中島家は歴史を辿ると伊達藩の家来である。
私の曾が何回付くかわからない爺様は伊達政宗の書記であった事がわかっている。なので中島家の一番古い先祖の墓は仙台にある。80年代NHKで「伊達政宗」が放送された時、ちゃんと中島の爺様が時代劇の中で登場した。この時のキャストは今考えると相当なオールスターキャストだった。主役、政宗役に渡辺謙。妻役に桜田淳子。父親役に北大路欣也。母親役に岩下志麻。それをブラウン管の外で見ていたパンクロッカーになる予定の中島卓偉。考えられない顔ぶれだ。こちらは今DVDで再発されているので興味がある方は是非。残念ながらブラウン管の外で見てた中島卓偉は登場しないという。なんとも切ない再発だ。
築城は1601年。政宗は徳川幕府に築城申請をする際、築城場所の候補をいくつか提出。本命は今の仙台市内に平城を築く予定でいたが、1つ目に今の青葉山(八木山)を伝えてしまったところ徳川幕府は、当時は家康が生きていたのでおそらく家康は、「いいんじゃない?うんうん、この山に城築いちゃいなよ、うんうん、だって1番目にこの場所を指定してくるってことはさ、ここに建てたいんでしょ?いいんじゃない、うんうん、YOU、仙台に城建てちゃいなよ」という事で政宗は後に引けず、仕方なく現在の場所に築城を開始。造る場所を妥協した城ではあるが、仙台城、素晴らしい城なのである。
伊達家代々少しずつ城の縄張りを広げて行っており、石垣を初め、屋敷、お堀、時代に合わせてデザインも含め進化を遂げていた事が平成の発掘調査、本丸石垣の修復で明らかになっている。現在の仙台城は城内をアスファルトの道が通り、地震の被害もありその凄さを垣間見る事は正直難しい。一番分かりやすく当時のでかさ、建造物の多さを汁、いや、知るには仙台博物館にある仙台城模型を見てもらう事をお勧めする。
今、東北大学がある場所が城の二の丸であり、博物館が三の丸、広瀬川を外堀とする。復元されている脇櫓の横が大手門跡である。この大手門は凄かった。豊臣秀吉が朝鮮出兵の為に建てた肥前名護屋城(佐賀県)の大手門を移したと伝えられているが、私が思うにそれには語弊があり、移したのではなく肥前名護屋城の大手門を見た政宗が模した大手門だと思う。佐賀県から移すのはさすがに無理であろう。この門の素晴らしさ、壮大さは戦前に脇櫓とともに国宝に指定までされたが、残念ながら第二次世界大戦のアメリカ軍の仙台空襲により消失。昭和30年代に脇櫓を外観復元。大手門は古写真もちゃんと残っているので復元可能だと思うのだが。
本丸跡には政宗の銅像と神社とお土産売り場になっているが、ここには4騎の3重櫓が存在した。仙台市内を見渡すに一番近い角にあった艮櫓が天守扱いだったと思われる。天守台は創ったが天守は建てられなかった。それは何故かと言うと、当時徳川幕府が天下統一をし、日本中の武将達はこの時代に城の築城をこぞって始めたが、でかでかと天守を建ててしまうと幕府に目を付けられ、「おめえよ~、誰の許可を得てこんなでけえ天守勃起させてんだよ~おめえ調子にノってっから領地没収な」ってなわけで自分の領地を取られてしまう噂が広がり幕府に遠慮して天守を建てなかった武将はたくさんいる。政宗も遠慮した分、4騎もの3重櫓を建てたのかもしれない。
仙台城の魅力としてかかせない本丸の石垣の高さは圧巻だ。大手門跡の正面左側の石垣も美しい。デビューして2年目八木山にあるTBC東北放送でラジオのパーソナリティーをやらせてもらった時、タクシーの運転手に必ず「仙台城の大手門方面から八木山登ってTBC本社までお願いします」と言っていた。
広瀬川を渡り城内を登って行く道程は最高だ。城マニアは石垣を見ているだけでご飯三杯いける。マニアの注目すべき点は本丸詰め門跡から(現在は鳥居があります)右手の西門跡までの石垣の素晴らしさだ。この場所は整備されておらず立ち入り禁止なってしまっている。だが車だとその石垣を縁取りながら走る事が出来るのである。是非この場所を整備してほしい。木や茂みがもじゃもじゃに生えそろってしまい、まるでジョン・ボンジョヴィの胸毛のようになっているのだ。この茂みにいつまでもBAD MEDICINEを飲ませるわけにはいかんのだ。
初めて訪れたのは小学4年生だったが、その時もすでに本丸石垣が膨らんでしまっており当時から修復をするという情報があった。毎週TBCに通ってた頃は平成の石垣大修復で、まだか?まだか?と楽しみにしていたが、完成した時はあまりにも嬉しくてツアー中やキャンペーン中の朝、早起きしてホテルから仙台城までジョギングをしていた。おかげで行った回数が軽く50回を超えるわけである。
現在は震災の影響で立ち入り禁止なってしまっている場所も多い。だが、だからと言って観光しないのは寂し過ぎる。本丸から見渡せる仙台市内の景色は最高だ。政宗銅像の前での記念撮影も鉄板だ。政宗のカブトを見てほしい、あの月形のエンブレムがナイキのマークの元になっている事は意外と誰も知らない。知的に見せる為に度が入ってない眼鏡をかけていた伊達藩。そこから伊達眼鏡と呼ぶようになったのだ。
そもそも伊達政宗は服のセンスが素晴らしかった。秀吉が朝鮮出兵を行った時、全国から大名行列で集まって来た武士達の中で一番お洒落で派手だったのが伊達藩だったと言われている。というのは政宗としては「っていうかよ、なんでわざわざ佐賀まで行って戦しなきゃいけねえんだよ、めんどくせえんだよ。だけどよ、自分の家来をこんな戦で死なせるわけにはいかねえから、派手好きな秀吉の事だ、派手でセンスいい鎧や服で行けば戦させずに、おお、政宗よう来た、いい鎧じゃの、それで戦しては汚れてしまうであろう。わしのそばにおればよい、はっはっは~~~!!!って絶対言うはずだべ」この目論みは見事的中し、政宗は一人も家来を死なす事なく仙台に戻って来れたという。
何はともあれ仙台博物館に足を運ぶ事をお勧めする。その模型を見たら私のロマンが伝わる事請け合いである。その後に城に登り、想像を膨らますのが城マニアの一番の楽しみ方なのである。そんでまた博物館戻って模型観て浸るのである。
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