LOUDNESS二井原実インタビュー[前編]「ハイトーンはしんどいですよ。でも、やっぱり僕の良さはそこにあると思うから」

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二井原:そうですね。あと今回は、高崎君が曲を出してくるときに、各曲に仮タイトルをあらかじめ付けてきて。それが「TRACK1」とか「TRACK2」みたいなものではなく、本人のイメージとして、その曲のテーマめいた言葉になっていて、「これにちなんだ歌詞を書いてみてくれ」というリクエストがあったりもしたんです。実際、アルバム表題曲になった「KING OF PAIN」なんかはそうですね。他にもそういうのがいくつかあって。

――お題目ありき、みたいな。

二井原:うん。「これがタイトルだから、あとはよろしく」みたいな。僕はもう、「ギャー!」という感じですよ(笑)。ある意味そこについてだけは“縛り”があったと言えるかもしれない。ちょっとチャレンジな部分もありましたよ、サビでその言葉を連呼すればいいというものでもないから。たとえば彼が仮タイトルとして持ってきた英語の言いまわしが意味的に伝わりにくかったりする場合もあったんで、ネイティヴの作詞家と一緒に打ち合わせをしながら、それをわかりやすい表現に変えていったり。ただ、言葉の解釈自体については、高崎君は僕に委ねてくれたんで。その点では自由でした。たとえば「KING OF PAIN」にしても「頭痛の種」みたいな意味合いにもなるはずだけど、そもそも高崎君が言いたかったのは「痛みの極致」みたいなことだったようだし。

――なるほど。しかし実際、“HELL”とか“DEATH”といった言葉が、ここまで歌詞のなかで目立つことというのは、過去にはなかった気がします。

二井原:ですよね。ここまでわかりやすくこの種の言葉が出てきたのは、今回が初めてじゃないかな。やっぱりそこは、樋口(宗孝)さんの死というものがあったことと無関係ではないと思う。当然のようにあれ以降、“人の一生”とか“あの世”のこととか、そういった人間の目に見えない世界というものについて考えさせられることが多くなったし。

――それを作品には反映させずにおくという選択も可能なはずですけど、むしろ敢えて正面から向き合ったというわけですね?

二井原:やっぱり避けて通れない話ですからね。僕らくらいの年代になると、やっぱりミュージシャン仲間のなかでも毎年のように誰かが亡くなっていたりするし、“死”というものが過去に比べてずっと身近なものになっているわけですよ。年々その傾向が強くなってくる。だから自分のことも考えるし、これから先のことも考えるし、「自分が明日、亡くなったらどうなるか?」みたいなことも、軽い気持ちじゃなく真剣に考えるようになっている今日この頃なんで。逆に、そういうことを正面切ってテーマにするというのも、悪くないかなと思ったし。

――それが現在の自分たちにとって、リアリティのあるテーマでもある。

二井原:ええ、そういうことです。10代とか20代のバンドがこういったテーマでやろうとすると、ちょっとおとぎ話のような世界になってしまわざるを得ないだろうけども、僕らの世代になると普段からこういうことを考えているわけじゃないですか。“死”に限らず、たとえば仕事とかで岐路に立たされることというのも多くなってくるわけで。だから、なかには“地獄”とか“悪魔”について歌うことはリアリティに欠けると言う人たちもいるだろうけど、僕はそうは思わない。確かロニー・ジェイムズ・ディオは「ファンタジーとして書いている」というようなことを言っていたと思うんですけど、もちろんそれも方法論としてはアリだし、もっとリアルにそれを扱うこともアリだと思う。今回のこのアルバムのように。ただ、ずっとこれからもそればかり歌っていくというわけではないけど(笑)。

――ところで、ここ最近の活動ぶりについて考えると、やっぱり『CLASSIC LOUDNESS』のライヴというのがとても大きな意味を持っていた気がするんですよ。実際、今ではDVDでも観られるわけですが、あの一連のライヴを経て、改めて気付かされたことというのも多々あるんじゃないですか?

二井原:たくさんありましよ。なにしろもうすぐ30周年を迎えるバンドですからね。そのうち僕が実際にいたのは、トータル18年間ぐらいということになるのかな。その歴史の長さ、重さというものについては、『CLASSIC LOUDNESS』のライヴで20数年ぶりにやる曲と向き合ったときなんかにはすごく感じられたし。ただ、当時20歳かそこらの子供が作った曲ではあるわけだけど、それを50歳近くなってからやってみても、あんまり違和感をおぼえなかったんですよね。そこで曲の強さというものを感じたし、単純に「なんてたくさん曲があるんだ!」というのもあったし。ファンのなかにもいろんな嗜好があるはずで、それぞれの時代のファンというのがいるはずだと思うんです。初期が好きだったという人もいれば、僕がいなかった時代に思い入れがあるという人もいる。しかも『CLASSIC LOUDNESS』を観に来てくれる人たちのなかには、今のLOUDNESSしか知らない世代の子たちもいるわけですよ。リアルタイムでLOUDNESSの変遷を知らない新世代たちが。そういう子たちに「今から25年も前、僕が生まれた頃にすでにこんなことをやっていたのか!」みたいなことを言われたりするんです。そういった手紙やメールをもらうとね、自分でも「すごいな!」と思ってしまう(笑)。

――まさにそれは『CLASSIC LOUDNESS』をやって良かった、と実感できる瞬間ですよね。しかし正直なところ、昔の曲ばかりを演奏するライヴを実践するということについては、ある程度、抵抗もあったんではないかと察するんですが。

二井原:どうだろう? それはさほどなかった気がしますね。というか、なにしろこれだけたくさんアルバムがあるわけで、全部の時代を網羅しようとすると、毎晩4時間くらいは演奏しないとならなくなるじゃないですか(笑)。そういう意味では「今回は敢えてこの時期の曲だけをやります」的なコンサートのあり方というのにも必然性があるというか。もちろん「新譜中心のライヴは、それとは別にやりますよ」という前提で。そこで結果的に自分でも特定のモードに集中することができるし。ま、僕自身はいろんな時代の曲が混ざってもさほど大変ではないけど、ギタリストとかの場合はチューニングの問題とかもありますからね。あと、個人的には、昔の曲のほうが歌いやすいというのもあるんです。正直な話。レギュラー・チューニングの曲主体で作られた最新作はともかく、近年のダウン・チューニングでヘヴィな感じの曲たちよりは、80年代の曲のほうが僕の歌のレンジには合っているみたいですね。

――普通は年々、高音域が辛くなってくるはずなのに。

二井原:いや、もちろん僕もしんどいですよ(笑)。でも、僕の良さというのは、やっぱりそこにあるのかなと思うから。それが『CLASSIC LOUDNESS』をやった結果、改めて気付かされた重要なことのひとつでもあるし。同じように高崎君のなかにも、昔のレギュラー・チューニングの曲を集中的にやりながら、「これもこれでアリやな」というのがあったんじゃないのかな。ある種の原点回帰みたいなものがね。

文/撮影●増田勇一

【樋口宗孝 追悼ライヴ】<EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2010>
2010年11月14日(日)
@東京渋谷 C.C.LEMON HALL
OPEN 17:00 / START 17:30
出演:LOUDNESS、他
◆LOUDNESSオフィシャルサイト
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