川嶋あい、命をかけて歌う

ポスト
8月20日。この日が、川嶋あいにとって特別な日であることを私は知らなかった。彼女の生い立ちは、断片的には見聞きしていたが積極的に調べることはなく、今回のコンサートも友人に誘われて出掛けたというもの。正直、知らない曲ばかりだったら?という不安もあった。

しかし、その思いは一瞬で消えることになる。8月20日、それは彼女の養母の命日であり、毎年この日に彼女は渋谷でコンサートを行なってきた。そして2010年、渋谷を飛び出し渋谷C.C.Lemonホールの約2倍の5000席以上ある国際フォーラムAのステージに立った。正直、広い会場に対する不安もあったという。しかし彼女は「命をかけて歌う」と言い切った。

ステージ後ろに彼女からのメッセージが映し出され、コンサートは始まる。そしてカセットデッキを持って現れ、「オリビアを聴きながら」を歌った。そして、その後路上時代を思い出すように、パネルを台車に乗せて運び弾き語り。今回のライブは彼女の路上時代からの歴史を綴るスタイルなのかもしれない。I WiSHの「明日への扉」も披露。

彼女の歌手になるという決意は、3歳で母親と出会ったときから始まったという。歌手になるためにレッスンをうけ、中学生のときに演歌歌手としてデビューをした。母と一緒にキャバレーや飲み屋をまわり、手売りでCDを売ったこともあるという。そんな過去も語った。しかし演歌歌手としては、まったく売れなかった。その後、高校生になり上京。路上で歌い始める。そこでスタッフと出逢い今の彼女が始まる。あの頃の渋谷。多くのストリートミュージシャンが歌っていた。私も彼らを見て、彼らを応援し手伝ったこともある。しかし、すべてがデビューできるわけではない。何名かはデビューをしたが、別の道を選んだ人もいる。

そんなミュージシャンを目指して渋谷で歌っていた一人の男性。彼には渋谷で彼女と言葉を交わしたというエピソードがあった。それが、メッセージとして流れる。彼は、7年間歌ったが別の道を歩くことになった。彼女のことはずっと気になっていたという。だが、ずっとコンサートには来れなかった。しかし、今日初めて国際フォーラムに来ていると。新しい道で新しい生き方を見つけ、今やっと彼女のコンサートを見ることができるというメッセージだった。ここで、もう涙が止まらなかった。私が、関わってきたミュージシャン志望の多くの人たち。今どうしているのだろう? デビュー直前まで行きながら、断念せざるを得なかった人もいる。また、デビューはゴールでなく、デビューしながらも、別の道を選んだ人もいる。みんな、東京に夢をかけていた。

東京は、夢がある街。だけど、厳しい街。「3年後の都会で…」という歌を彼女が歌う。音楽という夢を追って東京に来た、しかし、結果を出せず、別の道を選ぶと決めた人の歌。3年という時間は、多くの人が区切りとして決める時間。私もそうだった。作詞家を目指し上京したとき「3年でデビューできなかったら帰ろう」そう思っていた。東京は、キラキラしすぎて、抱えてきた夢をすり替えてしまう罠がある。それが罠でなく、新しい道であればいいが、そうじゃないことも多い。何のために東京に来たのか? そんな自問自答は今も続いている。

しんみりとなった会場を、一気の盛り上げるというエンターテインメント力も彼女は持ち合わせいた。「あばれたい?」の言葉、全員を立たせて川嶋ジャンプの練習と腰を振る振り付け。さっきまでの彼女とは違う顔で、ここを今夜一番熱い場所にしようと盛り上げる。おそらく、関係者として参加していた多くの人たちも、彼女のパワーに引っぱられて、立ち上がり踊っていたに違いない。

涙したと思ったら、思いっきり踊る。なんて気持ちがいいんだろう。そして、アンコール。彼女へのサプライズがあった。入場時に渡された「カケラ」の歌詞カード。これを客席から彼女へプレゼントするというもの。客席のどこかから歌声が聞こえてきたら、みなさんも歌ってください、と書かれた紙。実際にいつか会場はひとつになり、歌い始めていた。

また、アンコールでは、彼女は12年間に渡る母親との思い出を語った。彼女の成功を見ることなく、旅立ってしまった母への思い。「ありがとう」を伝えていないという彼女のなかの後悔に似た思い。その思いを込めた歌を歌う。

コンサートを見て、こんなに泣いたのは初めてだった。自分と重なる部分、自分が見てきた人と重なる部分。おそらく、会場の多くの人が涙していたと思う。それぞれがそれぞれの想い出の引き出しを開き、そこに触れた瞬間なのだろう。

そして、思った。音楽は、半端な覚悟でやるものじゃない!ということ。24歳にして、多くのものを見て体験してきた彼女の言葉には、リアルな重みがあった。それは、本を読んだり、話を聞いたりして、身に付くものではない。経験がすべてだ。

夢を抱えて東京に出てきた同じ一人の女として、彼女から大きな力をもらった。

◆川嶋あいオフィシャルサイト

[寄稿] 伊藤 緑:http://www.midoriito.jp/
この記事をポスト

この記事の関連情報