増田勇一のライヴ&取材日記:2008年10月総集編(2)

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前回、ライヴ&取材日記:2008年10月総集編(1)をアップしたのが11月3日のこと。「この続きはまた明日にでも」とか原稿を締めておきながら、かれこれ2週間以上が経過してしまったわけだが、つまりはそれ以降、ずっと締め切り地獄が続いていたということ。しかもその2週間のうち半分ほどはニューヨークに滞在していた。察しのいい読者は、僕が何のためにそこにいたのかがわかるはずだが、まずはその現地レポートをお届けする前に《10月》を駆け足で終わらせておこうと思う。

【10月12日】
渋谷クラブクアトロにてJのライヴ。『2008 3MONTH of HEAT~TRIAL RIDE~』と銘打たれた3ヵ月連続公演の初日。例によって暑くて熱かった。終演後、帰路に就こうとすると、見知らぬファンの方から「増田さん、今日は北海道じゃないんですか? 札幌公演のレポートを読めると思って楽しみにしていたのに」と困惑顔で声をかけられる。札幌公演というのは、ちょうどこの夜に行なわれていたDIR EN GREYのZEPP SAPPORO公演のこと。いやー、もちろん観たいのはやまやまなのだが、残念ながら僕にはカラダがひとつしかない。もはやテレポーテーションでも身につけるしかないんだろうか。実はこれと同じことを数日後にふたたび痛感させられることになるのだが。

【10月14日】
旧知の米国人エンジニア、アレン・アイザックス氏と食事。昔話と仕事の話が半々。彼はイングヴェイ・マルムスティーンが世に出る切っ掛けとなったバンドともいうべきスティーラーに、当時、ごく間近なところで関わっていた人物。というか同バンドのフロントマンだったロン・キールと非常に近い関係にある人なのだが、僕がアレンと知り合ったのは、やはり彼と近い関係にあったライオンというバンドを介してのことだった。ライオンは、言うまでもなく現ホワイトスネイクのダグ・アルドリッチ(g)が籍を置いていたバンド。で、同バンドと知り合ったのは、僕が『BURRN!』編集部に在籍していた当時のこと。もっと正確に言うと、1986年、なかなか日本に来てくれないキッスを観るために渡米した際(シビレをきらした日本のキッスFCがツアー観戦ツアーを組んだので、そこに自腹で同行させてもらい、取材まで行なってしまった)、ちょうどロサンゼルスでの空き日に彼らの取材ができることになったからだった。なんとも不思議な縁。まさかそれから20年以上を経て、下北沢の居酒屋でアレンとそんな昔話に花を咲かせることになろうとは思ってもみなかったが。

【10月15日、16日】
両日とも15時間以上の原稿書き。そのため観たかったライヴを断念。だれか“テープおこし機”と“いまどきのミュージシャン用語対応ソフト”を開発してくれませんか?

【10月17日】
夕刻、都内某ホテルにてスリップノットとDIR EN GREYの対談取材。前者からはコリィとジェイムズの“ストーン・サワー組”が、後者からは薫とDieが参加。このときの模様はすでにMTV JAPANでも放映済みだが、映像にはなっていない別枠取材分が、現在発売中の『WHAT’s IN?』誌にたっぷりと掲載されているので、是非ご覧いただきたい。ちなみにこの日、スリップノットは前夜の仙台公演を終えて東京入りしたばかりで、翌日には『LOUDPARK 08』出演を控えているという状態。彼らは基本的に、ツアー中は“ライヴ当日の空き時間”にしか取材に対応しないのだが、DIR EN GREY側とのスケジュールが噛み合うのがこの日しかないと知ると「その日しか彼らと会えないのであれば、喜んでそれに応じる」と快諾してくれたのだった。

対談そのものは、ちょっと文字にはできないようなことも含みつつ、かなりの爆笑モードで展開されることになったが、コリィの“笑える話で流れを作りつつ、最後にはちゃんといい話に着地する”という巧みな話術には唸らされるものがあった。内容的にも、他では読むことができないものになったと自負しているので、繰り返しになるが、『WHAT’s IN?』誌の最新号をチェックして欲しいところだ。

【10月18日】
この日はカラダが3つ必要だった。詳しく説明しているとキリがないので事実関係だけ書き連ねておくと、まずは午前中のうちから『LOUDPARK 08』観戦のため、さいたまスーパーアリーナへ。最初のビールを呑んだのは11時頃だっただろうか。そして念願だったメシュガーのライヴを観終えたところで泣く泣く会場を後にして、新木場STUDIO COASTに向かい、DIR EN GREYの追加公演を堪能。終演後は打ち上げを途中まで楽しみ、さらに深夜には新宿に向かい、J主催による彼のFC会員限定イベントにゲストDJとして参加。というか、あれはDJなんかじゃなくて単なる酔っ払いだったと思う。当然ながら帰宅した頃にはすでに朝で、記憶もところどころが欠落していた。やっぱり酒は控えよう、と一瞬思ったが、翌日、自分を取り戻すためには“迎え酒”が必要だった。

【10月19日】
『LOUDPARK 08』の2日目。この日はライヴよりもバックステージでの取材がメイン。まずは自分の子供でもおかしくないブラック・タイドのインタビュー。まだ15歳というガブリエル君の若さにもめまいがしたが、ツアー・マネージャーを務める彼の父親が自分よりも若いことを知ったときには気が遠くなった。が、そんな僕を救ってくれたのは、同年代のダフ・マッケイガンとの再会。まるで父兄参観日から同窓会になだれ込むかのような展開だったが、双方のインタビューはどちらも12月2日発売の『PLAYER』誌に掲載予定なので、お楽しみに。

【10月20日】
カラダが足りない状況はこの日も続いた。まずは正午から六本木のハードロックカフェで行なわれたモトリー・クルーの記者会見に出席。メンバーたちが質疑応答に対してあまり積極的な態度じゃないことは雰囲気的に明らかだったが、トミー・リーのサービス精神に救われたという感じ。それにしても日本の記者の皆さんは消極的過ぎ。なんと質問のために挙手したのは僕を含めて2人だけ。メモをとるわけでもなく携帯で写真を撮ることに必死な人たちがいたりする事実には呆れるしかなかった。これじゃあバンド側もやる気を失うというものだ。

その後は、やはり『LOUDPARK 08』に出演していたオール・エンズの取材を行ない(こちらも前述の2組と同様、次号の『PLAYER』誌に掲載)、夜は渋谷クラブクアトロにてダフ・マッケイガン率いるローデッドのライヴ。正直、動員面ではキビしいものがあったが、文句なく素晴らしいライヴだった。会場にはニッキー・シックスが、そしてダフとは縁の深い日本の“放火魔”が姿を見せていた。

【10月21日、22日】
打ち合わせ数本。そして必死の原稿書き。

【10月23日】
日本武道館にてデフ・レパードとホワイトスネイクのライヴをじっくりと堪能。どちらのライヴも理屈抜きに楽しめた。なにしろ“歌える曲”しか出てこないのだから。しかしデフ・レパードがこの夜のセット・リストに組み込んだデヴィッド・エセックスのカヴァー、「ロック・オン」は、ちょっと選曲ミスだったかも。確かにエセックスは、イギリスでは20曲以上ものトップ30ヒットを持つポップ・スターだし、この曲はアメリカでもヒットしたけども、日本の音楽ファンにはそれほど愛着深いものではないはず。同じ『YEAH!』(2006年に発表されたカヴァー集)から披露してくれるんであれば、T.レックスの「20thセンチュリー・ボーイ」にすべきだったかも。ま、本音を言えば僕自身はスウィートかモット・ザ・フープルを聴きたかったけども。

【10月24日】
午後、都内某所にてインタビュー取材1件。夜は恵比寿のリキッドルームにてlynch.のライヴ。とても濃密で満足度の高いライヴだったが、本人たちに言わせればツアー初日なりのカタさとか問題もあった模様。しかし今の日本にあってはなかなか稀有な存在だと思うし、彼らの“これから”には注目したい。

【10月26日】
さいたまスーパーアリーナにて、モトリー・クルーとラウドネスを観る。両者には80年代、アメリカでの共演歴があったりもする。この日はいわゆる“仕事”ではなく、メモをとる必要もない状況にあったので、純粋に楽しませてもらった。終演後は“ご近所の巨匠”こと、The DUST’N’BONEZの戸城憲夫先生らとともに地味に電車で都内に戻り、暴飲暴食。ちなみにダスボンの2年ぶりのニュー・アルバム、『COCKSUCKER BLUES』(12月3日発売)は、かなりの名盤なので期待していて欲しい。この作品に関してはまた機会を改めて、メンバーたちの肉声とともに。

【10月27日】
夜、某所にてメリーの取材。今回はガラのパーソナル・インタビュー。前の打ち合わせが長引いたとかで珍しく遅刻してきた彼だが、話の内容はめちゃめちゃ濃かった。こちらのインタビューは現在発売中の『FOOL’S MATE』別冊、『FOOL’S MATE EXPRESS VOL.4』に掲載されているのでチェックしてみて欲しい。わざわざガラ自身が後日、「あの日のインタビューでは本当に自分が今、思ってることを全部言えた」とメールを送ってきたほどだったりもするので。

【10月28日、29日】
打ち合わせ数本と、飽きるほどの原稿書き。両日とも、観たかったライヴに行けず。

【10月30日】
清春@C.C.Lemon Hall。この夜、ステージ上から何が報告されたかは、すでに皆さんもご存知のはず。この日、ついに40回目の誕生日を迎えた清春だが、“日本の40代”の常識も、確実に変わりつつある。とりあえず「40代へようこそ」という気分で、打ち上げにも参加させてもらった。また、蛇足ながらこの公演は、僕にとって2008年度の116本目のライヴだった。

【10月31日】
全米ツアーに向けて出発直前のDIR EN GREYと対面。取材と、打合せを。その後は、某雑誌の編集者の送別会へと向かい、またまた深酒。こうして10月は終わっていった。もしかして僕は、毎年、ライヴの本数と同じくらい呑んでいるのかも。

増田勇一
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