Diggy-MO’、言葉より多くを語る美麗なバラード「Arcadia」特集
コノヤロー、バカヤローとか言ってるけどさ(笑)。
でも俺的には、ユーザーをみんな抱きしめてるんだよね。
生活の、音楽に携わってる密着度というのは変わらない。ただ、クリエイティヴィティにおいて考えることが違うという感じかな。楽曲的なバリエーションというのは、グループでやってると、どうしても持ちきれない部分というのが多いから。いろんなバリエーションをやっているようでいて、やっぱりどこかで、必ず打ち込みの軸を考えたりとか、そういうことがあるから。
SOUL’d OUTのときには“まとめる”という方向を俺は考えていたので。家族でいうと、母親的な方向だったと思う。奇をてらわずに、正直に言うと。母性のほうが強いかもしれない、グループのときは。
そういうふうには見えてないだろうけど(笑)。ウワーっ!ってやり散らかしてる感じなんだろうけど。グループに対しては母性って感じかな。ソロは、その母性がリスナーのほうにより向けられる気がする。
そうそう。グループの場合は3人いるから、ユーザーへのサービスというか…言い方がわかんないけど、そのへんは二人に任せるという感じで。俺はとにかくこのチームをなんとかする、そっちのほうが重要で。悪いけどユーザーは二の次だって、何かのインタビューで言ったことがあるんだけど。
そうなんだけどね(笑)。
のほうが、結局リスナーに対してもつながるだろうなと思ってるからね。グループのほうに自分の母的な思いを向けていれば、自然とリスナーともコミニュケーションをとりやすくなるだろうなっていう。
うん。やっと、ちゃんと言えるようになりましたね。7年を経て(笑)。でもここまでやんなきゃ、言っちゃいけないような気がするしさ。そんなこと。
やってるやってる。
キリがないよね。やりたいこともそうだし、キリがないって感じ。
取材・文●宮本英夫










