30年の時を経て蘇った、伝説のライヴとは?

2005.08.22 10:50

Share





















1975年。静岡県掛川市にあるつま恋に5万人の観衆を集めてオールナイトで行なわれた

伝説の野外コンサート<吉田拓郎・かぐや姫
コンサート イン つま恋>。

日本の野外フェスの元祖と言えるこのライヴの模様は、

当時ドキュメンタリー映画として公開され、映像の一部はビデオ作品としてリリースもされたが、

ライヴ映像を含め、舞台裏での出演者たちのやりとりなど、

その全てが収められたマスター・テープは行方不明となり、

伝説は封印せざるを得なくなっていた…。

しかし2005年のはじめ、イベントの主催者であったユイ音楽工房(現・ユイミュージック)の

倉庫から偶然にもそのテープが発見された!

30年の時を経て、DVD作品としてリリースされた本作に収録されている映像は、

’70年代の世相やフォークソング文化までをも映し出した、

日本音楽史の重要なひとコマなのだ。








































【吉田拓郎】



近年では音楽バラエティー番組でKinki Kidsと共演し、驚かされるほどの少年性を見せてくれていた拓郎さん。彼が注目を集め始めたのが、’60年代後半の広島フォーク村時代で、ディランズ・チルドレン(社会的メッセージを持ったシンガー・ソングライター)の代表格とも言われていた。「イメージの詩」をはじめとした初期作品には、大人たちが作ったルールや“右へならえ”的な既存の概念に一石を投じる活動への閉塞感や、行き場を失い始めた若者の心情が、叫びとなって表現され、若者のオピニオン的存在となっていた。今で言うと、ミスチルの桜井クンのような存在だったと言っていいかもしれない。’73年には「結婚しようよ」「旅の宿」で大ブレイクしメジャーに進出。’70年代後半は「襟裳岬」(森進一)「アン・ドウ・トロワ」(キャンディーズ)などの提供楽曲もヒットし、お茶の間でも人気となった。

【かぐや姫】



今年(’05年)の夏、戦後60年の広島原爆記念日を前に、南こうせつ、山田パンダ、伊勢正三はかぐや姫を再結成し、<ピース・ライヴ>を行なった。そう、南こうせつは、’87年から10年間開催された広島チャリティー・イベント<ピース・フェス>の中心的存在でもあった。そんな彼が中心となり結成し、’71年にシングル「よいどれかぐや姫」でデビューしたのがかぐや姫だ。映画の主題歌でもあった「神田川」「赤ちょうちん」「妹」など、次々とヒットを飛ばし“4畳半フォークの雄”として活躍し’75年に惜しまれて解散。今で言えば、コブクロが醸す親近感とポピュラリティに通じるものがあった。ちなみに4畳半フォークとは、大学進学のために地方から上京して下宿(4畳半一間、風呂ナシ、トイレ共同が一般的)生活を始める若者の文化と心情を歌ったフォーク・ソングのこと。











’70年代初頭、日比谷野外音楽堂では毎週のようにフォークやロックのコンサートが開催されていたという。しかも1アーティストのライヴではなく、いくつものミュージシャンが参加するフェスティバル形式のものが多かった。また今でも伝説となっている大阪のフォークを中心としたイベント<春一番>が’71年よりスタートする。当時はベトナム戦争や’70年安保など、様々な問題が山積していて、そんな現状を自分達が打破していき、より良い世界を作っていくと若者達は夢を抱いていた。そして音楽や演劇などの表現活動にメッセージを託し、発信していったのだ。’69年に行なわれた<ウッドストック・ライヴ>など、ステージと客席が一つになってメッセージを発する海外のミュージック・フェスティバルの影響も大きかった。つまり当時の野外コンサートには出演者も観客も同じ思いで集い、それを共有することで高揚し、メッセージを確かめ合っていたところがあったのかもしれない。後に沢田研二など歌謡界側からのアーティスト達も野外コンサートに参戦してくるようになるのだが、基本的には、出演するミュージシャンも、観客も、そしてステージを制作進行するスタッフたちも、同世代の仲間たちによって作り上げられていた。












『吉田拓郎・かぐや姫 

コンサート イン つま恋 1975』


2005年8月2日発売

FLBF-8072 \5,040(tax in)


1. 僕の唄はサヨナラだけ(リハ) 2. 僕の胸でおやすみ(リハ) 3.
あゝ青春 4. 春だったね 5. 今日までそして明日から 6.
人生は流行ステップ 7. 黄色い船 8. なごり雪 9.
妹 10. あの人の手紙 11. 夏休み 12. 襟裳岬 13.
三軒目の店ごと 14. されど私の人生 15. 岬めぐり 16.
赤ちょうちん 17. 神田川 18. 22才の別れ 19.
風の街 20. 幼い日に 21. 君去りし後 22.
落陽 23. 人間なんて
























動画視聴





>>> 見る










それは’75年8月2~3日にかけて行なわれた。夕方の5時から翌朝の5時のまで12時間。6万人を集めてオールナイトで行なわれる野外コンサートに、出演者、スタッフ、観客、開催場所である掛川市の皆さん、そこに参加する全ての人々が、初めてのことに興奮している様子が描き出されている。12時間に及ぶライヴの模様はもちろんのこと、コンサートが開催されるまでを、様々な角度からドキュメントしたオープニングの映像はかなり興味深い。旗揚げしたレコード会社フォーライフの中心メンバーである小室等、泉谷しげる、井上陽水、そして吉田拓郎が集り雑談をしている光景は、今となっては貴重なものだし、この日のために再び集結したかぐや姫のメンバー達が、伝説の飲み屋『ペニー・レイン』で語り合っている姿も貴重といってよいだろう。何よりも情報や会場へのアクセスが悪い中でありながらも、観客たちが意外にも整然とした行動をとっていたことには驚かされた。もちろん見えないところで小競り合いやトラブルは起こっていたのだろうが、そこには人としてのモラルがきちんと存在していることに驚かされる。「朝までやるぞ~!!」という拓郎さんの叫びが伝説になったことも頷けた。











’75年の野外コンサートを機に、これまでの音楽の流れが終結し、新たな音楽の流れへと突入していったといわれる。そして’80年代に入り夏の野外コンサートはひとつの文化となり、たくさんのミュージシャンが参加するフェスティバル形式から、1アーティストによる大規模野外コンサートなど、様々なスタイルのコンサートへと発展していった。そして近年、<フジロック>や<ライジング・サン>など、再び’70年代初頭を彷彿とさせる野外コンサートも増えてきた。メッセージの共有というところはともあれ、たくさんのミュージシャンの演奏を楽しみ高揚する、つまりは盛り上がるというお祭り的なところは今も昔も同じだ。しかも日常とは違ったスペース、たくさんの人たちと同じ時間を共有する中で生まれる、独特の空気というものは、時代が変わっても変わることはないようだ。しかしながら35年近い時間が流れて、会場までのアクセスをはじめ、会場内の施設、音響システムなどは、’70年代当時よりも遥かに向上しているし、コンサートに出演するミュージシャン側も、観る観客側も野外慣れし、それぞれのコンサートの楽しみ方ができるようになってきているのも事実だ。


文●河合美佳




Related Tags関連タグ