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──ニールの怪我とその奇跡的な復帰は『12メモリーズ』にどのような影響を与えましたか?
ニール:2ヶ月くらい休みを取らなきゃいけなかった。
アンディ:そう、休みを取った。
ニール:すごく重要なことだったよ。事故はよくないことだけど、みんな疲れてたし自分のスペースが必要な時期だったんだ。バッテリーをチャージするためにもね。そのときやっていたことを完全にストップしたかったんだ。そう、(事故は)本当にいいことじゃなかったけど、そういうことは起きる。ここにいられるのはラッキーだね。レコードを作れて、僕たちはまだ強くなってる。
フラン:曲作りの面では、それほど影響なかったかもしれないけど、レコーディングの面では新しい、何ていうか……。
ダギー:恐怖心がなくなった。
フラン:そう、バンドとして僕たちの持っているものがどれだけ大切なものか分かった。アルバムがダイナミックになって、意思疎通がうまくいってプレイできたと思うよ。レコーディングの面ではニールの事故の影響はあるね。
ダギー:大事なアルバムになったよ。多分、自分たちのために作ったものだからだろうな。お互いを再確認する、自分たちの情熱を再確認するために作ったんだ。どうやって受け取られるかはどうでもよかった。自分たちのためだったんだ。
フラン:自分勝手だよな。
ダギー:そう。でも、いい意味でね。
フラン:バンドって、アルバムを作って音楽業界に音楽を提供していくバンドと、自分たちの好きなようにやって、ときどきアルバムを作って業界に音楽を提供するバンドがあるけど、それとは別に次のステップを踏むため自分たちのためにアルバムを作るバンドがあると思うんだ。このアルバムはまさに後者の方だよ。
──’03年のSUMMER SONICでのライヴの手応えを教えてください。
ニール:素晴らしかった、よかったよ。SUMMER SONICは……<FUJI ROCK>でプレイしたこともあるし、あれも素晴らしかったけど、SUMMER SONICのオーディエンスはホントによかった。いいフェスティバルだったよ。ほんと、よかった。(新作の)ツアーで最高のスタートになったんだ。
ダギー:2日目の大阪だったっけ? 初日が東京で、2日目が大阪だったよね。2日目のオーディエンスのことは覚えてるよ。本当によかった。驚きだったね。
ニール:ほんとに大阪では歓迎されたんだ。東京もよかったけど、大阪は間違いなくもっとよかった。
アンディ:サイド・ステージにいたヘヴィ・メタル・バンド見た? 腕に刺青だらけのメタル・バンドがいたんだけどライヴを観て泣いてたんだ。 ──今回セルフ・プロディースを選んだ理由は?
フラン:べつにそう選択したわけじゃない。あのこと(事故)があって、また一緒にやるためスコットランドに行ったんだ。クレイジーだった4年間があってその後半年別々に過ごしたから、まだお互いの間に何かあるか確かめたかった。ラッキーなことにそれはあったよ。それでデモを作ったら、デモにしておくにはもったいなくてアルバムにすることにしたんだ。だから自分たちでプロデュースするって決めてたわけじゃなくて、偶発的に起きたことなんだ。一番いい方法だったと思うよ。
──当然、ほかのアルバムとは違う出来になったと思いますか?
フラン:絶対そうだよ。
ニール:音の面では、勝手な言い方だけど自分たちのために作ったものだから、いい意味で変わったと思うよ。アルバムの重みが増し、価値のあるものになったと思う。それが僕たちのやりたかったことなんだ。
──新作のマルでのレコーディングはどうでしたか? 静かな場所だそうですが、作品への影響は?
アンディ:あの場所を選んだ一番の理由は、業界から離れたかったんだ。できるだけレコード業界から遠く離れたかった。それが僕たちの望んだことなんだ。自分たちのために、アルバムのためにね。あの時は自分たちのためだね。一緒に飲んだり話したりするのが必要だったんだ。
取材●Ako Suzuki, London 構成●編集部
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