バンド単体の来日ツアーとしては、’96年以来5年ぶりとなるウィーザーの日本公演を2001年4月26日、zepp tokyoで見た。
5年ぶりとはいうものの、その間、’98年には<フジロック>(台風のため中止になったがシークレット・ギグ有)、2000年夏には<サマーソニック>(これまたシークレット・ギグ有り)に出演と、考えてみると日本のファンは結構ひいきにしてもらっている。私自身、これで3度目のウィーザーだが、特別なことではなさそうだ。でも、’96年の新宿リキッドで見たライヴの前座がハイ・スタンダードだったことは、今となっては貴重な体験といえるだろう。
あれから5年、ハイ・スタンダードは押しも押されもせぬカリスマ・バンドになったが、ウィーザーの人気もまた、ここ日本で大きく変化していた。こんなに人気あったっけ?
確かに’96年の盛り上がりは相当なものだった。初来日にしてチケットはソールドアウト。オーディエンスみんなで歌ってモッシュして、そして泣いた。ウィーザーの、リヴァース・クオモの奏でる泣き虫ポップに心が痛み、共感し、酔いしれた。しかしその後バンドは活動停止。5年の年月がどう作用するのか、と思っていたが、若いロック・ファンの中でいつの間にかウィーザーは、カリスマ的な人気を得ていたのだった。簡単に言えば、ハイスタがオープニング・アクトを行なったバンド。それがウィーザー人気を高めていったようだ。
そして今回、<サマーソニック>での好評を汲んで、初来日時より約1.5倍のキャパシティをもつ会場が選ばれたが、すべてソールドアウト。決して交通の便のいいロケーションといえないzepp tokyoが超満員になっていることだけで、渇望度の高さが分かろうというものだ。
一足会場に足を踏み入れただけで計り知れない熱気に圧倒された。とにかく熱い。そしてファンが若い。
そんな最高の雰囲気の中、ウィーザーが登場。…と思うものの、ステージ上に彼らの姿が見つからない。<サマーソニック>での「マイ・ネーム・イズ・ジョナス」のようにのっけから轟音のグルーヴで包んでくれるのかという期待と裏腹に、とても静かでスローな新曲「アイ・ドゥ」が流れる。ドラム以外の3人はステージの横に腰掛けてギターを弾いている。肩すかしを食らった感じだが、でもこれがとても良い曲。
リヴァースの繊細な声にしみじみ感動していると、今度は、アップテンポでこれぞウィーザーというスウィート&ビターな、これまた新曲の「フォトグラフ」が始まる。もうファンはじっとしていられない。たとえそれが初めて聴く曲だったとしても、身体を動かせずにはいられない極上のポップチューンである。
今回のツアーでは、日によってセットリストを多少組み替えていたが、オープニングの2曲だけは変更することはなかったという。そして、もちろん中盤には「イン・ザ・ガレージ」「グッド・ライフ」「セイ・イズント・ソー」と過去の曲が確実に会場を盛り上げる。
メンバーの演奏力も数段レベルアップが計られており、どの曲も音楽的にも表情豊かになっている。聴き馴染んだ曲を改めて名曲と実感させるアンサンブルであった。
それに呼応するように、オーディエンスも素晴らしい反応をみせる。ウィーザーの場合、ダイブしてモッシュすればOKという、いわば義務的な印象はなく、ちゃんと聴いたうえで、動かずには、あるいは弾けずにはいられない、という純粋な衝動によるものであるところに好感がもてる。後半近くの「バディ・ホリー」ではウィーザー・マークの電飾が現われ、エンタテインメント色を増し、本編ラストの「タイアード・オブ・セックス」でオーディエンスの合唱が最高潮に達した。
前回とは比較にならないほど、完成されたステージを魅せてくれたわけだが、電飾やオーディエンスなど、取り巻くさまざまな要素の何よりも重要だったのは、新曲の充実度だったと思う。
とにかくウィーザーの曲なら何でも受け入れるファンは多くいたのだろうが、一方で「バディ・ホリー」目当てのファンも少なからずいたはずである。そんなファンに、今、そしてこれからのウィーザーを強くアピールできたことが最大の勝因だったような気がする。なにしろ新曲すべてが良い曲だった。そして、このライブの成功はニューアルバムのヒットにきっとつながっていくはずである。
帰りにファンの表情を覗くと誰もが紅潮し満足しきった様子だった。