なぜ、イエローモンキーは活動を中止するのか?
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なぜ、イエローモンキーは活動を中止するのか? |
![]() 「プライマル。」 2001年1月31日発売 BMGファンハウス BVCR-19027 1050(tax in) |
THE YELLOW MONKEYが現在のラインナップ、つまり吉井和哉(Vo)、廣瀬洋一(B)、菊地英昭(G)、菊地英二(Ds)のメンバーとして固定し、ライヴハウスで本格的な活動を開始したのは’89年の暮れであった。
彼らの音楽性の“元”を辿るには彼らが何度も追悼コンサートを行なったミック・ロンソンを引き合いに出すのが妥当だと思われる。デヴィッド・ボウイの(特に)初期作品でサポートしていたロンソンは、’70年初期から中期にかけてのグラムロックの申し子の一人と言える。 グラムロックは現在のヴィジュアル系と混同視されがちであるが、実は大きく違う。男が化粧をし音楽をするのがグラムロックではなく、男が化粧をする必要のある「世界」を付帯していたのが、グラムロックなのだ。 その意味で、THE YELLOW MONKEYはグラムロックの正しき理解者であった。 ’94年発表の3rdアルバム『JAGUAR HARD PAIN』までは、一作ごとに音楽で打ち出すべき世界がはっきりとあった。 もう少し言えば、吉井が演じるべきアルバム内キャラクターが明確に存在していた。ゆえに、彼らのステージと楽曲はシアトリカルな側面があり、ライヴ・コンサートでその側面をしっかり受け止められると俄然彼らのファンになるという現象があったのである。 彼らが、アルバム内世界への執着を緩め始め、ソング・オリエンティッドな方向に逝ったのが4thアルバム『Smile』からであり、その帰結として5thアルバム『FOUR SEASONS』はチャートの1位を獲得。彼らはグラムロッカーから名実ともに王道のロックバンドとなった。7thアルバム『PUNCH DRUNKARD』のリリース後には、計113公演にも及ぶハードなツアーを行なった。 僕は、ここまでの道のりをどこかで繰り返しながら小改革をしていくだろうと思っていたのだけれども、彼らの挑んだ方向は大改革だった。 ’99年には外部のプロデューサーを起用し、昨年は性格の違うシングルを複数リリースした。そして、2001年初頭のドームコンサートと活動休止の発表。 バンドが変わるのが正解なのか? “そこに居留まる”のがバンドのあるべき姿なのか? それは、どちらとも言える。どちらの正解を取るか、バンドの姿勢決め次第なのだ。だから、姿勢決めのための休止かもしれないと思う。 THE YELLOW MONKEYが確たるバンド・ヴィジョンを携えて戻ってくることを切望する。 |











