【レポート】市川由紀乃、新章へ「新たな一歩を踏み出すことができました」

2025.10.29 21:00

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10月6日、東京・国際フォーラムで、演歌歌手・市川由紀乃が<リサイタル2025『新章』>と題したリサイタルを開催した。

市川の歌手人生は山あり谷ありで、デビューから10年ほどたった頃、燃え尽き症候群で歌手活動を休止し、数年間アルバイトで生活する時期もあった。2023年にはデビュー30周年を迎え、これからさらに油が乗った時期に入っていくという2024年、突然の体調不良から癌が発覚し活動休止を発表。6時間におよぶ手術と抗がん剤治療を乗り越え、25年に入って活動再開した。

5月には新曲「朧」をリリースし、<市川由紀乃 コンサート ただいま!>と題して全国3箇所でコンサートを行った。それから5ヶ月。『新章』と題されたリサイタルにはどんな意味があるのか。コンサートのチラシには、本の中から飛び出す市川の姿がある。このあたりにも何らかのヒントがありそうだ。

オープニングでは、背中にたすきを掛け、ほうき大の筆を巨大な紙に落としていく市川の姿が映し出される。そこで書き上げられた文字がステージの背後に出現した。それが『新章』。なかなか粋な演出だ。

ステージに登場した市川は薄紅色の振袖姿。帯留に輝くのはエメラルドだろうか。抗がん剤治療の影響もあって、まだ髪の量も長さも戻っていないということで、この日はシーン別にウィッグを付け替えて登場。最初はショートのブルネット。客席からは「ゆきのちゃーん!」と声が飛ぶ。前の方の席には揃いの法被を着た親衛隊のような人たちも。実は演歌のコンサートは、アイドルさながらに熱いのだ。

まず最初のパートはオリジナル曲。「命咲かせて」「うたかたの女」「花わずらい」と3曲を立て続けに歌う。大きくアクションをつけながら歌うところは、演歌歌手では少し珍しいかもしれない。

「昨年の今頃のことを考えると奇跡のようです」

抗がん剤の影響で今もまだ手などに痺れが残っているというが、少しずつ快方に向かっているという。そんな中でもまた歌えることで、気持ちを新たにしたところがあるようだ。

「新たな歌手人生への決意をこめて」

そういって歌ったのが、「年の瀬あじさい心中」。今は亡き作詞家の阿久悠が、生前に残した未発表の歌詞に曲をつけたものだ。

ここで、シーンが変わり、〈ちあきなおみの歌世界〉と題したパートへ。衣装替えの間、ステージにはスポットライトが。ちあきの名曲「喝采」をイメージした演出だろう。

衣装を変えて登場した市川は、緑色のドレスに、頭には孔雀の羽の髪飾り。市川が選んだちあきの曲は、ちあきの引退後に88年のアルバムからシングルカットされた「かもめの街」。中島みゆきが提供し、フェイ・ウォンがカヴァーして中国でも大ヒットした「ルージュ」。77年の紅白出演時の鬼気迫るパフォーマンスに、白組司会の山川静夫が「何とも気持ちの悪い歌ですねぇ~」とコメントしたことでも知られる「夜へ急ぐ人」という3曲。一般的に知られるヒット曲ではなく、ちあきマニアに愛される曲。これらを堂々と選んだのは、市川もなかなかのマニアであろうことが伺い知れると同時に、お客さんが知っている曲よりも、自分が歌いたい曲を歌うんだ!という気持ちが垣間見えた気がした。

続いては〈名曲ミュージカル〉。沢田研二「サムライ」の世界観をミュージカル化したもので、白いダンディなスーツ姿の男性と赤いドレスを着た女性の役者が登場して、歌と踊りでその世界を表現していく。女性の名前はもちろん“ジェニー”、男性は“レオナルド”。市川は黒のショートヘアーにシルバーのジャケットというヅカ風の衣装だ。曲は市川が敬愛する中森明菜「TATOO」で始まる。近藤真彦も歌ったブルーハーツの真島昌利「アンダルシアに憧れて」は、その歌詞を演技でも忠実に再現。中森明菜「十戒」を挟んで再び「アンダルシアに憧れて」に戻り、最後は「サムライ」で締めた。演技の間、市川がナレーション係になっているのが面白く、終始コミカルな要素が入っているところが非常に楽しい。

ここでファーストステージは終了。休憩を挟んで、リサイタルは後半へ。

後半は〈トラック野郎 ゆき五郎〉というテーマでスタート。これは23年の暮れに亡くなった八代亜紀へのトリビュートであることは明らかだ。八代亜紀は77年に映画『トラック野郎・度胸一番星』に女性トラック運転手“紅弁天”役で出演し、その美しさにそれ以降、全国の長距離トラッカーたちのマドンナとして絶大な支持を集めた。ここでは、市川は架空のトラッカー・ゆき五郎として、黒のニットキャップとピンクの腹巻きにMと書かれた(本名が真利なので)コミカルな出たちで登場。デコトラを模したワゴンも登場した。

歌われたのは、『トラック野郎』の主題歌で、主演の菅原文太と愛川欽也が歌った「一番星ブルース」(作者のダウンタウン・ブギウギ・バンドのバージョンも有名)。これは市川も以前からレパートリーにしていた曲で、後半がアッパーなスウィングにアレンジされていた。続いて千昌夫の「味噌汁の詩」。そして、八代亜紀の「もう一度逢いたい」。映画で八代が歌ったのは「恋歌」だったが、八代にもう一度逢いたいと言う気持ちを込めて、この曲を選んだのだろう。このコーナー最後は、なんと矢沢永吉の「止まらないHa~Ha」。市川が明菜と並んで尊敬するという永ちゃんだが、まさか歌うとは! デコトラは永ちゃん仕様に変わり、タオルを回すパフォーマンス、そして、マイクスタンドを持って矢沢風のアクションを見せる。これが『新章』の正体なのだろうか(笑)

市川はもともとポップス的な曲をよく選ぶ人だし、歌い方もガチガチの演歌歌手というよりは、ポップス的な発声で演歌のコブシを使う人という印象がある。ちあきや明菜はともかくとしても、「アンダルシアに憧れて」や「止まらないHa~Ha」は、演歌のコンサートで歌うにはなかなか冒険した選曲。今後はこういった演歌からはみ出るような選曲が増えていくのだろうか。

さて、リサイタルも終盤。衣装の間はバンドの演奏。そして「由紀乃太鼓体操」では、前述の男女のダンサーが太鼓を叩く人の格好で登場し、お手本を見せてくれる。

そして、この日のハイライトといえる市川本人の一人芝居による〈恋慕譚「北の愛獄」〉が始まる。市川は白い着物を着て、純真さを表現。「心かさねて」「さいはて海峡」と持ち歌を歌いながら、愛しい人と北に逃げてきた様がセリフと共に表現されていく。しかし、さいはての地まで来て愛しい人に捨てられてしまう。「雪恋華」では、アコギとヴァイオリンだけの演奏から始まり、なんとももの悲しいムードの中、白い着物から黒襦袢のような衣装へと早変わりして、雪が降る中を一人彷徨うシーンが演じられる。この迫真の演技には、思わずグッと唾を飲み込んで見入ってしまう迫力があった。今や演歌の中にしか登場しないようなシチュエーションではあるが、だからこそ物語としての印象がグッと際立つものがあった。 

ここでまた衣装変えのために映像が流されるのだが、本人のメイク動画というなんともほのぼのしたもの。前段での余韻を一気に打ち消してしまうこの落差よ(笑)。しかも、できあがるのはおかしなメイクという、完全にお笑い動画なのであった。市川自身がシャイなのだろうか、ちょっとした照れ隠しのようにも見えるが、この日の演出には各所にお笑いの要素が散りばめられており、市川自身にコメディエンヌ的な資質があるのかもしれない。

そして、最後は町娘風の着物を着て登場すると、最新シングル「朧」のカップリング曲「オリガミ」を歌い、「新たな一歩を踏み出すことができました」と挨拶をした後に、「朧」を熱唱して幕を閉じた。「朧」はハードなギターがガンガンに鳴り響くダイナミックな楽曲で、今回は締めの挨拶的に歌われたが、これもスケールの大きな演出が似合いそうな曲なので、進化系のパフォーマンスをいつか見てみたい。

ちなみに、休憩中のコミカルな館内放送も、おそらく市川自身が声色を変えて喋っていたものだと思う。本当に細かいところまで手を抜かずに、徹頭徹尾お客さんを楽しまるんだ!ということが貫かれたリサイタルだった。極めてレベルの高い歌と、演出にこだわったショーアップされたステージ。演歌の世界に興味がない人でも、十分に楽しめるものだったのではないかと思う。

さて、どこが『新章』だったのか。明確な答えがあったわけではない。でも、やりたいことはなんでも躊躇わずにやっていく。そんな心意気を感じた一夜だった。

文◎池上尚志
写真◎スギゾー

「朧」
2025年5月20日発売
星月花盤(KICM-31882)定価:¥1,500(税込)
商品ページ:https://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKICM-31182/

01 朧
(作詩:松井五郎 / 作曲:幸耕平 / 編曲:佐藤和豊)
02 ノクターン
(作詩:松井五郎 / 作曲:幸耕平 / 編曲:佐藤和豊)
03 花わずらい
(作詩:松井五郎 / 作曲:幸耕平 / 編曲:佐藤和豊)
04 朧 (オリジナルカラオケ)
05 朧 (一般用半音下げカラオケ)

<創立130周年記念御園座新春特別公演>
【日時】2026年1月10日(土)~1月17日(土)
【出演】藤あや子、市川由紀乃
【開演】11:00
【会場】御園座(名古屋市中区栄1-6-14)
一部:『御園座百三十周年 時代の歌・こころの歌』
二部:『新春響宵〜あふれる想いを歌に乗せて〜』
https://www.misonoza.co.jp/lineup/month260110.html

<三山ひろし特別公演市川由紀乃特別出演>
【日程】2026年2月13日(金)~2月28日(土)
【会場】大阪新歌舞伎座
第一部:お芝居 第二部:コンサート
https://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20260213.html

◆市川由紀乃 オフィシャルサイト