FLASHBACK 2001-LAUNCHスタッフが振り返る2001年の重大ニュース【Part 1】
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2月 U2がグラミー賞を受賞、“Beautiful Day”になる |
| 2月21日(水)、U2は3つのGrammyを受賞し、グループにとって“Beaitiful Day”(すばらしい日)となった。バンドは“Beautiful Day”の演奏後、同曲と共にBest Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal(デュオまたはグループのヴォーカルによるベスト・ロック・パフォーマンス)の栄誉を受けた。受賞スピーチでリード・ヴォーカルのBonoは、授賞式で感謝するのは少し複雑な思いだと観衆に語った。 「神と母親に感謝したい。だけど、こういう場で神様が僕たちみたいな人間を見下ろして、こんな感じのことを言ってるイメージが頭に思い浮かぶんだ。“いや、いや、曲のことで礼は言わないでくれ。サビはないし、コーラスは貧弱で、それにラジオじゃ決してプレイされないだろう”。でも、ラジオでプレイしてくれて感謝してるよ。ありがとう」 Bonoは、2月21日のGrammy AwardsでU2が「世界のベスト・バンド」であることについて何もコメントしなかったが、リード・ヴォーカルの彼はここ数年、多くのティーンポップ・アクトが成功を収めている理由がよく分かると語った。BonoはBritney Spearsや*NSYNCのようなアーティストが近年、大成功している理由を尋ねられると、次のように答えた。 「ボーイバンドやガールバンドが出てきた理由は'50年代にまでさかのぼる。プロデュースの才能がある者に仕事をさせ、ソングライティングに秀でた者に曲を書かせるんだ」 「曲作りとプロデュースができて、こんなにルックスのいい4人の人間をそろえるのはすごく困難だろうね。僕たちは自分たちのことを、単にアイリッシュ・ボーイバンドのひとつとして見ているんだ」 |
3月 P.ディディに無罪判決 |
3月16日(金)、Sean "P. Diddy" Combsに対する5件の銃器不法所持および贈収賄容疑に無罪判決が下された。ニューヨークの裁判所で陪審員による3日間の協議の末、同日午後6時30分すぎ(米東部標準時)に評決が出された。Combsのボディガード、Anthony "Wolf" Jonesも同じ容疑に問われていたが、やはり無罪の判決が下りた。Combsの弟分、Jamaal "Shyne" Barrowは第1級暴行罪、無謀危険行為、銃器不法所持で有罪となったが、殺人未遂容疑は晴らされた。 これらの容疑は'99年12月27日にクラブで起こった事件によるもので、CombsがMatthew "Scar" Allenを押しのけたことからケンカが始まり、発砲事件へ発展したとされている。銃声が聞こえた後、Combsの一団(当時、恋人だった女優/シンガーのJennifer Lopez、ボディガードのAnthony "Wolf" Jones、運転手のWardel Fenderson)はリンカーン ナビゲーターに乗って現場からすばやく姿を消した。警察が車を止めたところ、9ミリ口径の銃が見つかったため、Combs、Lopez、Jones、Fendersonの4人を銃器不法所持および盗難品所持の容疑で逮捕。後に、Lopezに対する容疑は取り下げられた。 事件の被害者たち数人はCombsに対し別々に訴訟を起こし、銃弾の破片7つを頭部に受けたNatanya Reubensは1億5千万ドルを要求。右肩に銃弾を受けたJulius JonesとRobert G.A. Thompsonの2人はそれぞれ1億ドルと5000万ドルを要求。Fendersonは、Combsに買収されて9ミリ口径銃の所有者であることを申し出たとして300万ドルを要求した。また、事件現場となったClub New Yorkのオーナー、Michael Bergosは店の損害に対し1800万ドルを要求した。 Combsの弁護団は、ラップ界の大物である依頼者は被害者たちのターゲットとして利用されているだけであるという姿勢を崩さず、彼らはCombsの名声から金を得ようとしていると非難した。 5つの無罪評決が読み上げられると、Combsは緊張感が途切れたように頭を垂れ、弁護士のJohnnie CochranとBenjamin Brafmanに抱きかかえられた。Combsの母親、Janisは「ありがとう、神様!」と言って、息子へ投げキッスを送った。 Combsは裁判所を出ると、集まった群衆に向かって口を開いた。 「ひとつだけ言いたいのは、すべて神のおかげということです。神がいなければ、私が今日、ここに出てきてみんなに話をすることはできなかったでしょう。また、常に裁判に一緒に来てくれて、いつもそばにいてくれた母親にも感謝しています。本当にただ神に感謝します。神がそばにいて私を守っていてくれることに。そして弁護士たち。この素晴らしい2人の弁護士……3人の弁護士を与えてくれた。そしてすべての人たち。すべてのファン、スタッフ、ニューヨークのすべての人たち、私のために祈ってくれた世界中の人たち、応援のメッセージをくれたみんな。祈ってくれて、ありがとう。大きな支えになったよ。ニューヨークの人たちは、道を歩いているとガンバレと声を掛けてくれた。今日は本当に、すごく感謝の気持ちで一杯です」 |
6月 アリシア・キーズ登場 |
| R&Bスター、Alicia Keysのデビューアルバム『Songs In A Minor』がリリースされたのは、すでに1年が半分近く終わろうとしている6月12日のことだった。それにもかかわらず、この若いシンガーは'01年の残りの半年に大きな旋風を巻き起こし、さらには業界全体のアーティストのレベルまで引き上げてしまった。『Songs In A Minor』は先行シングル“Fallin'”の人気も手伝い、Billboard 200アルバム・チャートのトップに数週間にわたって留まった。同アルバムは計300万枚以上を売り上げている。年が終わろうとするころになっても、『Songs In A Minor』はまだしっかりとBillboard 200アルバム・チャートに入っている。だが、Keysの成功は決して楽に手に入ったものではない。若きシンガー/ソングライター、Keysは7歳の頃から腕を磨いてきた。 「7歳のときにピアノから始めたの。クラシック・ピアノから始めたのよ。本当に正統派の“宮廷モノ”みたいなやつ。そこから、もっとソウルのいっぱい詰まったものに惹かれるようになっていったの。たとえクラシックでもそうなのよ。奥行きはすごく深かったりするの。それで本気でショパンとかベートーベンにのめり込んでいったわ。彼らの陰のムードのときのやつにね」 世界中のほとんどの人たちは、この才能溢れるシンガー/ソングライターの存在をデビュー・アルバムで知ったわけだが、音楽業界の重要人物たち数人はその前からすでに彼女に気づいていた。 Keysは'98年、16歳のときにArista RecordsのClive Davisと契約を交わしている。そして2000年にDavisが新レーベルJ Recordsを設立すると、彼女はこの良き指導者についていった。始まりはKeysのマネージャーが、Jermain Dupriが手がけたクリスマス・コンピレーション『Jermaine Dupri Presents: 12 Soulful Nights Of Christmas』に参加した彼女に、Davisとのアポイントを取り付けたことだった。KeysはDavisと初めて会ったときの様子をLAUNCHに話してくれた。 「彼はとにかく、私が私本来の姿のままアーティストになることを認め、それをすごく望んでいるということを語ったわ。そして、私がそうなれるように育成し、さらにそれを彼自身が本当に素晴らしいと思えるようなものにすること。それで、それが今すぐの話だって聞いたとき、まあ、こう言っていいなら、そそられたってわけ。だって、多くの人たちは特定のジャンルとか、決まったタイプに当てはめようとしがちなんだもの。だから彼は、私が私でいることに本当にすごく協力的なの」 人気TV番組『The Oprah Winfrey Show』での息をのむようなライヴと共にデビュー・アルバムの売上を急上昇させたKeysは、8月にはR&B界の色男、Maxwellとのツアーを行なった。ツアー開始直前には、ジャマイカに飛んでレゲエ・フェスティヴァル“Reggae Sumfest”にも参加している。 10月、Keysはトリプル・プラチナ獲得となったデビューアルバム『Songs In A Minor』からの2ndシングル“A Woman's Worth”をリリース。“A Woman's Worth”のビデオは、Chris Robinson監督によりニューヨークのブルックリンで撮影されたもので、“Fallin'”のビデオの続きになっている。Keysはこの他にも、スター勢揃いで制作されたJermaine DupriプロデュースによるMarvin Gayeの名曲“What's Going On?”のリメイクにも参加。この曲は9月11日の同時多発テロ事件の救済チャリティとしてレコーディングされた。 11月には第29回American Music Awardsの候補者が発表され、Keysが最多ノミネートを獲得。ポップ/ロック部門では Favorite Female Artist(人気女性アーティスト)、Favorite New Artist(人気新人アーティスト)、ソウル/R&B部門ではFavorite Female Artist(人気女性アーティスト)、Favorite New Artist(人気新人アーティスト)、『Songs In A Minor』でのFavorite Albumの計5部門にノミネートされている。 |
6月 エミネムに保護観察と社会奉仕活動の判決 |
| 問題児ラッパーのEminemが、2000年6月3日にライバルのラップ・グループ、Insane Crown Posseのスタッフと起こした事件により銃器所持および暴行罪に問われていた件で、ミシガン州オークランド郡巡回裁判所のDenise Langford-Morris判事は彼のメガヒット“The Real Slim Shady”の歌詞を拝借して「では……起立してください(“please stand up”)」と告げると、1年間の保護観察処分を言い渡した。 Eminemは、この事件と同じ日にミシガン州ウォーレンにあるクラブ、Hot Rocksで不仲の(元)妻、Kimと男性1人を巻き込んだ事件で、先に同州マコーム郡のAntonio Viviano判事から保護観察2年の判決を受けており、今回の保護観察期間はこの最初の1年に組み込まれる。また、Langford-Morris判事はEminemに対して社会奉仕活動命令も下しており、21日以内に活動計画を提出するよう命じた。Eminemはその他に、罰金および裁判費用として3000ドルの支払いも命じられた。 Eminemの弁護士のひとりWalter Piszczatowskiは、“社会奉仕活動命令には驚いた”と語った。D12のProof(Deshaun Holton)は、Eminemはこの命令について、なんらかの若者向けプログラムを選ぶのではないかと話していた。 Eminemは判決日となった6月28日(木)、ダーク・スーツに白いシャツ姿で現れ、判事の言葉に2、3の確認の受け答えをした以外は終始無言であった。法廷にはEminemの2人のボディガード、マネージャーや片親違いの弟のNate、従兄弟のJosh、叔母のBettyら家族の姿があった。また、Eminemがメンバーとして参加し、アルバム『Devil's Night』をリリースしているグループ、D12のProof、Kon Artis(Denaun Porter)、Kuniva(Rondell Beene)も姿を見せていた。D12のメンバーは傍聴にやってきたファンにサインをしていたが、警官らはファンに対し、Eminemにサインを求めたり写真を撮ろうとして近づいたりしないよう注意していた。 Langford-Morris判事は、一般の人たちからEminemの犯罪に対する適切な処罰を提案する手紙を何通か受け取っていたことを告げ、ひとりは彼の口を石鹸で洗うように言い、また別の人は汚い言葉を一切含まない曲をレコーディングさせるよう命令すべきだという意見だったと伝えた。 今回の保護観察処分の条件は先にマコーム郡で命じられたものとほぼ同じで、Langford-Morris判事は、Eminemが米国外に出る許可は自分またはViviano判事の一方から得ればよいとした。判決後、Eminemの弁護士たちとオークランド郡検事は、ともに結果に満足していると語っていた。 |
7月 マライア・キャリーが過労で入院 |
| 7月25日(水)の夜、ポップ界のスーパースター、Mariah Careyが“過労”によりコネティカットの病院に入院した。Careyの広報担当は翌日、次のようなコメントを発表した。 【Part 2】へ続く |
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