UKチャート6週1位のアルバムで遂に日本デビュー! グルジア生まれのケイティ・メルア特集~ケイティを知る10のハナシ

2005.04.05 09:00

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1984年、旧ソ連のグルジアに生まれたケイティ。お父さんはロシア人のハーフのため、ケイティはロシアのクオーター。
お母さんは看護婦だったそうだが、ピアノを弾き、歌も歌っていて、そこそこ成功したシンガーだったとか。ケイティを
産んでからは歌をやめたそうだ。ちなみに弟もいる。


グルジア時代は1ベッドルームのフラットに家族4人暮らし。ソ連崩壊後は生活もままならず、当時のメルア家の平均収入
は1ヶ月1,000円ほどで、パンや密輸されたガソリンのために何時間も並んだとか。それでも幼かったケイティは「水道も
通ってなくて、共有地の蛇口まで行ってバケツで水をもらいに行ったわ。それが子供時代は楽しかったのよね」と明るいので
す。


メルア一家はケイティが9歳のときにアイルランドのベルファストに移住。当時ベルファストはカトリックとプロテスタン
トが対立する街として悪名高く、そのなかでも最も危険だといわれていたFalls Roadに住んでいたそうだ。「(この地に)
問題が多いのはわかっていたけれど、もっと貧しいところにいたから、それに比べたらベルファストは素晴らしかったわ。」
とケイティ。なんとケイティはカトリックの学校に、弟はプロテスタントの学校に通っていたそうだ。


叔父がクイーンのレコードを持っていたことから、クイーンをはじめ、ジョニ・ミッチェル、ボブ・ディランなどに影響され
たケイティ。15歳になるとコンピュータを使って作曲を開始。子供向けオーディション番組でマライア・キャリーの「Without
You」を歌って優勝したとか。


16歳になりロンドン郊外の芸術学校に進学。そのとき現プロデューサーであるマイク・バットに見出され、約2年後の2003年
に1stアルバム『コール・オフ・ザ・サーチ』を全英リリース。シングルとなった「ザ・クローゼスト・シング・トゥ・クレ
イジー」がラジオ番組でオンエアされたら、その番組宛てに問い合わせが殺到! 電話は鳴り止まず、メールのサーバがパン
クしそうになったとか。


女王陛下参列のチャリティ・イベント<Royal Variety Performance>に出演。公演後、エリザベス女王陛下から「ラジオで
あなたのレコード聞いたわ。素晴らしいわね」とお言葉を頂戴し、イギリス国民も賛同。大ブレイクへの道になったのだ。


スターになってもケイティは変わらない。「デザイナー・ショップで買い物したことは一度もないわ。グルジアにはまだ親戚
がいるの。彼らを助けられるのに、靴に400ポンド(8万円)もかけられないわ」と明言。今気にいっているのはチャリティ
・ショップで買った12ポンド(2,400円)の深赤のコートだとか。


子供のころ「夢みていたのは政治家か歴史家になることかしら。世界に平和をもたらすことができると思っていたのよ……
私が統治すればね!」「今は音楽のキャリアのほうが政治よりも影響力が強いと思う。歌にはパワーがあるのよ」とも。
……伊達に苦労はしていません。


学生のころ作曲コンペで1,000ポンド(20万円)の賞金をもらったことがあるケイティ。そのお金は叔母がイギリスへ行く
航空チケットとしてプレゼントしたとか。「今でも毎年夏にはグルジアに戻ってるの」というケイティは、そのグルジアに
いる祖父母をイギリスに呼びたいとか。


英国チャート6週間1位を獲得したケイティの『コール・オフ・ザ・サーチ』。年間を通しても、第5位と大健闘! シザー
・シスターズ、キーン、ロビー・ウィリアムス、マルーン5と大人気ミュージシャンたちに続いての記録となっている。
なんと女性アーティストとしては英国年間アルバムセールス第1位!

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