ニュース・最新情報
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ドリーム・シアターのJ・ラブリエ、メタル・シーンを先導する若手バンド2組を挙げる
Photo: Rayon Richardsドリーム・シアターのヴォーカリスト、ジェイムズ・ラブリエが、現在のメタル・シーンで彼が期待している若手バンド2つの名を挙げた。
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Jackson、Peripheryのミーシャ・マンソーのシグネイチャーモデル2製品を発売
Jacksonから、アメリカのプログレッシブメタルバンドPeripheryの“スピードの悪魔”ミーシャ・マンソーのシグネイチャーモデルの新製品「Pro Series Signature Misha Mansoor Juggernaut ET6」と「Pro Series Signature Misha Mansoor Juggernaut ET7」が発売された。
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ジャクソンからミーシャ・マンソーのシグネイチャー・モデル、7弦仕様を含む8モデルが登場
ジェント系ギタリストの第一人者、ペリフェリーのミーシャ・マンソーの最新シグネイチャー・モデルがジャクソンより登場。
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強靭なヘヴィ・サウンドに変幻自在のアレンジ力を見せる、期待の新人ペリフェリー
強靭で混沌としたヘヴィ・サウンドながら、フットワークの軽いバネのようなサウンド展開を見せ、ちらりとキャッチーなメロを聴かせたと思いきやスクリームに突入する、独創性に満ちた新人バンド現れた。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
2004年、ワシントンDCにて結成。ギタリストであり、メインのソングライターでもあるミーシャ・“バルブ”・マンソーが中心となって活動をスタート。湧き出るインスピレーションを元に、バンドは既に100曲を超える楽曲をレコーディング、その後も数々の新曲を定期的にレコーディングし続け、ウェブを通じて彼らのサウンドを世界に発信していく。そのDIY的な活動はウェブの世界を通じて世界中から凄まじい量のコメントや、もっとバンドの事を知りたいといったリクエストを受けるようになり、音楽だけでなくビデオ・ブログも随時アップしながら、その名を広めていく。
このウェブを使用した自らの活動と、地元を中心としたギグで一気に話題を集めた彼らは、全米をサーキットする機会を得、ダーケスト・アワーやラム・オヴ・ゴッド、ビトウィーン・ザ・ベリード・アンド・ミーといったバンドのサポートを務めるようになる。そのステージで見せつけてくれる圧倒的なプレイヤビリティに裏打ちされた高水準なテクニカル・メタル・サウンドが全米のメタル・キッズの注目を集めるようになり、そのバズは次第に大きなものとなっていく。が、度重なるメンバー・チェンジのため、本格活動をするにはまだ時間を要する事となった。が、ミーシャを中心に、アレックス・ボイス(g)、トム・マーフィ(b)、マット・ハルパーン(dr)、ジェイク・ボーウェン(g)というメンバーが固定となり、最後まで流動的であったヴォーカリストも、2010年に入って新たな才能、スペンサー・ソーテロ(vo)を迎え入れたことにより、バンドは一気に動き出す。
最終的にラインナップが確定したその2010年、バンドすぐさまレコード契約を獲得、地元カナダでは Distort Inc.(キャンサー・バッツなどが所属)から、アメリカではSumerian Records(ヴェイル・オヴ・マヤなどが所属)、そしてその他のテリトリーではロードランナーとの契約を獲得し、遂に待望のセルフ・タイトル・デビュー・アルバム『ペリフェリー』を完成させ、同年4月にまずカナダ/アメリカ/オーストラリアでデビュー、5月にヨーロッパでのデビューを果たし、いよいよ7月、ここ日本でもデビュー・アルバムを発売。
バンドはアルバムを完成させた直後にフィア・ファクトリーのサポートで全米をサーキット、その後もダーケスト・アワーとのツアーに突入しており、アメリカでのアルバム発売後(4/20)、ザ・ディリンジャー・エスケイプ・プランとのツアーも決定。デビュー・アルバムの発売とツアー、そしてその圧倒的な楽曲とパフォーマンスで、ウェブの世界で広がりを見せていた人気/知名度が、遂に現実世界でも沸き起る。
このウェブを使用した自らの活動と、地元を中心としたギグで一気に話題を集めた彼らは、全米をサーキットする機会を得、ダーケスト・アワーやラム・オヴ・ゴッド、ビトウィーン・ザ・ベリード・アンド・ミーといったバンドのサポートを務めるようになる。そのステージで見せつけてくれる圧倒的なプレイヤビリティに裏打ちされた高水準なテクニカル・メタル・サウンドが全米のメタル・キッズの注目を集めるようになり、そのバズは次第に大きなものとなっていく。が、度重なるメンバー・チェンジのため、本格活動をするにはまだ時間を要する事となった。が、ミーシャを中心に、アレックス・ボイス(g)、トム・マーフィ(b)、マット・ハルパーン(dr)、ジェイク・ボーウェン(g)というメンバーが固定となり、最後まで流動的であったヴォーカリストも、2010年に入って新たな才能、スペンサー・ソーテロ(vo)を迎え入れたことにより、バンドは一気に動き出す。
最終的にラインナップが確定したその2010年、バンドすぐさまレコード契約を獲得、地元カナダでは Distort Inc.(キャンサー・バッツなどが所属)から、アメリカではSumerian Records(ヴェイル・オヴ・マヤなどが所属)、そしてその他のテリトリーではロードランナーとの契約を獲得し、遂に待望のセルフ・タイトル・デビュー・アルバム『ペリフェリー』を完成させ、同年4月にまずカナダ/アメリカ/オーストラリアでデビュー、5月にヨーロッパでのデビューを果たし、いよいよ7月、ここ日本でもデビュー・アルバムを発売。
バンドはアルバムを完成させた直後にフィア・ファクトリーのサポートで全米をサーキット、その後もダーケスト・アワーとのツアーに突入しており、アメリカでのアルバム発売後(4/20)、ザ・ディリンジャー・エスケイプ・プランとのツアーも決定。デビュー・アルバムの発売とツアー、そしてその圧倒的な楽曲とパフォーマンスで、ウェブの世界で広がりを見せていた人気/知名度が、遂に現実世界でも沸き起る。