ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

東京は下町大森に3代続く江戸っ子として生まれる。
その気質はまさに江戸っ子で、20才まで浅草の祭で神輿をかつぐ。当時女の担ぎ手は少なかった。小学校高学年で日本の神さまについで、西洋の神様の歌Soul-Gospelに触れる。

20才の頃バンドで歌い、数々のコンテストで優勝、プロからの誘いを受けるが "女の幸せは結婚" とバンドを抜ける。その頃姉の聞いていた音楽に影響を受け、弟がバンドで活躍。やはりコンテストで優勝し、弟のバンドはプロデビュー。シャネルズと言う名前だった。

鈴木聖美は2児をもうけ、弟の活躍を見守っていたが、離婚。2児を抱え仕事をしながら、弟の勧めでシャネルズのライブでアマチュアとして歌う。そのライブの "おねーちゃんコーナー" は評判を得て、そのコーナーのために作曲家井上大輔氏がオリジナル曲「TAXI」をくれた。そしてアマチュアのままシャネルズ+1として1980年「もしかしてI LOVE YOU」をレコードリリース。

それから7年後1987年4月1日「シンデレラリバティー」でデビュー。作詞に三浦百恵、作曲にアンルイスを迎え、大人の女の代表としてポップス界では異例の34才のデビューを果たした。1st Album「Woman」は大人の支持を得て60万枚を超す大ヒットとなる。また収録曲「ロンリーチャップリン」はデュエットソングのイメージを一新する新しい定番となり、「TAXI」は今だにカラオケのTOP10内に位置している。

1990年、自らのオフィスACAPPELAを設立。ラッツアンドスターからはなれ、一人のシンガーとしての確立を目指し1992年東芝EMI TM FACTORYに移籍。9月移籍第一弾L.A録音「VOICE」を発表。自ら作詞作曲を手がける。

93年「TAXI」につぐカラオケの定番となった「GOODBYE」をリリース。
94年にはオリジナルアルバム「For my friends」の発表と同時に、アースコンシャスのテーマ曲にもなり、世界初の東京ーロスアンジェルスISDN回線を使ったピーボ・ブライソンとのデュエット「Touch the world" を筆頭に、マイケル・マクドナルド、ウェンディー・モートン、ワイナンズ、マリリン・マーティン、トミー・ファンダーバークなどとのコラボレーションAlbum「Duets」を発表。その後の日本人と海外アーティストとのデュエットの先駆けとなった。

その間のsingle「恋のゆくえ」は、またカラオケで話題になり、有線でもチャートをかけ上がった。そして94年「めぐり逢えたから」を発表。"実らない恋3部作"「GOODBYE」、「恋のゆくえ」、「めぐり逢えたから」を完成。

1996年には、東京、名古屋、大阪、札幌の4ヵ所でピーボ・ブライソン、ロバータ・フラッグ、ジェームス・イングラム等とともに "Ballads for lovers" tourに参加、好評を得る。この中でピーボ・ブライソンとのデュエット曲「Touch the world」も歌われた。

ライブ・コンサート・チケット