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前作『ステイト・オブ・マインド』は伝説のプロデューサー、故アリフ・マーディンが50年に及ぶ輝かしい歴史の中で最後にクレジットされ、彼が最後に自らプロデュースを申し出たアルバムとなった。魂に響くソウルフルな歌声と超絶なギタープレイで聴くものを虜にしたラウルの次なるアルバムは詞の深みが更に増し、R&B、ソウルの要素に更に磨きをかけ、彼の音楽的ルーツであるラテンを深く掘り下げたアルバムとなった。プロデューサーであるアリフの息子ジョー・マーディンも多くの楽器を担当。ゲストもラウルが尊敬するミュージシャンが名前を連ねている。

ラウル曰く「このアルバムを持って旅に出かけてほしい。アルバムの中にはいろんな世界が存在していると同時に、それらはどこか一つに繋がっている。R&B、昔ながらのソウル、アルゼンチン、これまでになかった歌詞、アカペラ・ナンバー・・・様々な要素があるんだ」

作曲家/ヴォーカリスト/ギタリストであるラウル・ミドンは2005年にデビュー・アルバム『ステイト・オブ・マインド』でシーンに飛び出した。

スティーヴィー・ワンダーのわかりやすいソウルフルさ、ポール・サイモンが先手を切った他民族音楽の創意的流用、ビル・ウィザースの流行をものともしない個性、そういったものを取り合わせて、ラウルはポップスが持つ豊かな創意工夫の伝統を世に知らしめようと今作を完成させた。「チャートに入っていても、ちゃんとアートを作っているメインストリームのアーティストはいたからね」とラウル。

ラウル・ミドンはニューメキシコのエンブドで、アルゼンチン人の父親とアフリカ系アメリカ人の母親の間に生まれた。物心がついたころから熱心な音楽愛好者で、4歳でドラムを始め、後にギターに関心を移す。ニューメキシコ大学から創作学科の奨学金の申し出があったが、マイアミ大学の名高いジャズ専攻に選出されたため断った。卒業後もマイアミに留まったラウルは、バック・シンガーとして引く手あまたとなり、フリオ・イグレシアスやシャキーラ、アレハンドロ・サンツといったラテン系のプロジェクトに主に参加しつつ、副業でクラブ・パフォーマーとして、カヴァー曲やオリジナル曲を演奏していた。 ステージで彼は地道にシンガー、作曲家、そしてギタリストとしての技を磨き、シンコペーションの効いたフラメンコにジャズを融合させたスティール弦アコースティック・ギターの奏法を身に付けた。

2002年、準備は整ったと感じ、ソロとしてのキャリアを積むためにニューヨークへと向かった。「アーティストになりたかったんだ。そして誰かの雇い人ではなくて自分のやりたいことをやりたかった」とラウル。ノラ・ジョーンズ『ノラ・ジョーンズ(原題:Come Away With Me)』のレコーディングを終えたばかりだった伝説のプロデューサーでアレンジャーのアリフ・マーディンの前でラウルが演奏したところ、彼はこの新人にその場で契約を申し出た。これがマーディンの長いキャリアで最後の契約となる。ラウルは即座に了承し、高度なスキルを持つこのベテランと、その息子でマルチ・インストゥルメンタリストのジョーとのパートナーシップを望んだ。父と息子の共同プロデュースによる『ステイト・オブ・マインド』は、昔ながらのソウルと、時代を問わないポップスとラテンとジャズとシンガーソングライター系のイディオムを融合させたとして絶賛された。スティーヴィー・ワンダーも1曲に参加している。

アリフ・マーディンの死後にレコーディングされた 『創造の世界(A World Within a World)』に向けて、ラウルとジョー・マーディンは焦点を更に絞り込み、大半のトラックでジョーは、ミドンのヴォーカルやギター・パートの陰でグルーヴを決め、追加の楽器を演奏。「父親と似て、ジョーも文字通り古風なプロデューサーでね」とラウル。「彼の興味の対象はレコードのサウンドなんだ。アレンジもできるし、「ピック・サムバディ・アップ」でやったようにオーケストラの指揮もできる。ジョーのおかげで、ただ曲を集めるのではなく、アルバムを作るという意味が生まれた」

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