いい音爆音アワー vol.96 「心に刺さる♪キメ歌詞(ぜりふ)特集」

いい音爆音アワー vol.96 「心に刺さる♪キメ歌詞(ぜりふ)特集」
2018年11月14日(水)@風知空知
音楽を聴く態度として、歌詞の内容は気にしてないんですよ。音楽として聴きたいので、声とか歌い方とかは当然重要、ついでメロディに対する言葉の”乗り方”は気になるんですけど、内容・意味についてはあまり考えません。洋楽(英語)の場合はほぼサウンドとして聴いているし、洋楽を聴くことのほうが多いですしね。
ところが、こんな聴き方でも時々、詞の言葉が、心に突き刺さってくることがあります。だから、歌詞の力を軽視しているわけではありません。ただ、それくらいでないと、いい歌詞とは言えないと思っています。
私の心に刺さった歌詞を集めてみました。刺さるためにはメロディや歌唱の魅力も関係してきますので、どれもいい曲だと思います。
英語の歌詞は、意味が判ったとしても、言葉の細かいニュアンスまでは、読み切る、あるいは感じる力がないので、やはり日本の曲が多くなりました。
福岡智彦 (いい音研究所)
セットリスト
金子潔「パイノパイノパイ(東京節)」
意味わからないけど、みんな聞いたことあるよね?
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1918年(大正7年)発表
作詞:添田知道/作曲:Henry Clay Work
・原曲は、1865年の「ジョージア行進曲(Marching Through Georgia)」(作曲:Henry Clay Work)。演歌師:添田唖蝉坊の息子、添田知道(添田さつき)が歌詞をつけた。それ以前も、既に1892年(明治25年)、「ますらたけを」というタイトルで軍歌として発表され、メロディは親しまれていた。
・「ラメ」は「デタラメ」の「ラメ」。他は不明……。
・いろんな人がカヴァー:榎本健一、森山加代子(1961)、なぎら健壱(1972)、ザ・ドリフターズ(1976)、猛毒(1992)、大工哲弘(1994)、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット(1996)…
*刺さった歌詞:
ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ
パリコトパナナデフライフライフライ
かねこ きよし:
バイオリン演歌師
長崎市出身。
13歳で添田唖蝉坊に弟子入り。
バイオリンを弾きながら、道やカフェーで歌い続けた。
1986年10月20日、死去。
「演歌師」とは:
明治末期ないし大正から昭和にかけての日本において、演歌を歌うことを職業とした芸人。
伴奏楽器はおもにバイオリンやアコーディオンで、自分で演奏しながら歌う形態が一般的だった。戦後はギターが用いられることが多くなった。
「演歌」とは:
元は19世紀末の自由民権運動の一環として、政府の圧力をかわすため主張を歌の形にしたプロテストソングで「演説歌」と呼ばれた。やがて題材は政治ではなく社会風刺に変わり、名称も「演歌」となる。
よしだたくろう「春だったね」
私の青春時代の”座右の曲”です。
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アルバム『元気です。』(1972年7月21日発売)収録
作詞:田口叔子/作曲・プロデュース:吉田拓郎
レーベル:Odyssey/CBS Sony
アルバムはオリコン1位(14週連続、通算15週)、72年度年間2位
・作詞の田口叔子は謎の人。歌詞の一般公募で採用になったらしい。他には拓郎の「むなさしさだけがあった」とか柏原芳恵にも提供しているらしいが、数少なく、80年代以降は何も痕跡がない。素人さんのまぐれヒットだったか。
・オルガンは松任谷正隆。
・このアルバムからメジャー・レコード会社やマスコミがフォークをやたらに持ち上げ始めた。
*僕を忘れた頃に 君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
くもりガラスの窓をたたいて 君の時計をとめてみたい
ああ 僕の時計はあの時のまま 風に吹きあげられたほこりの中
二人の声も消えてしまった ああ あれは春だったね
よしだ たくろう:
1946年4月5日、鹿児島県大口市(現:伊佐市)生まれ。小学校3年時より広島市南区西霞町育ち。
1970年3月、ユーゲント・レーベルから”広島フォーク村”名義『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作。
1970年6月、エレック・レコードよりシングル「イメージの詩」リリース。
1970年11月、1st アルバム『青春の詩』リリース。
1971年7月、CBSソニーより3rd シングル「今日までそして明日から」リリース。
1971年10月、後藤由多加とともに音楽制作プロダクション「ユイ音楽工房」設立。
1971年11月、エレックより2nd アルバム『人間なんて』リリース。
1972年1月、CBSソニーより4th シングル「結婚しようよ」リリース。オリコン3位のヒットで、フォークがサブカルチャーからメインストリームへ浮上する分岐点となった。
1972年7月21日、CBSソニーより3rd アルバム『元気です。』リリース。
1974年1月、森進一に「襟裳岬」を提供。第16回日本レコード大賞を受賞。
1975年6月1日、吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるが中心となって、「フォーライフ・レコード」を発足させる。
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エレファントカシマシ「俺たちの明日」
最高の友だちソングだと思います。
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34th シングル(2007年11月21日発売)
18th アルバム『STARTING OVER』(2008年1月30日発売)収録
作詞・作曲:宮本浩次/プロデュース:YANAGIMAN
レーベル:ユニバーサルミュージック
オリコン18位 アルバムはオリコン7位
・ユニバーサル移籍第1弾シングル。
・オルガン:ドクターKYON
*さあ がんばろうぜ!
オマエは今日もどこかで不器用に
この日々ときっと戦ってることだろう
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負けるなよ そうさ オマエの輝きはいつだってオレの宝物
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負けるなよ そうさ オマエがいつかくれた優しさが今でも宝物
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エレファントカシマシ:
宮本浩次:1966年6月12日 東京都北区赤羽生まれ。
石森敏行(g):1967年3月18日 東京都北区赤羽育ち。
高緑成治(たかみどり せいじ b) 1966年4月15日 東京都中央区月島生まれ。
冨永義之(dr):1966年4月14日 東京都北区赤羽生まれ。
1981年、宮本、石森、冨永を含む中学のクラスメートで”エレファントカシマシ”結成。
1986年、冨永の高校時代の同級生だった高緑が加入し、現在のメンバーとなる。
同年12月、「CBS SONY SDオーディション」に入賞。
1988年3月21日、EPICソニーより、1st アルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』をリリース。
1994年5月、7th アルバム『東京の空』リリース。オリコン62位。これを最後にEPICから契約を打ち切られる。
フェイスとマネージメント契約。
1996年4月19日、ポニーキャニオンより、シングル「悲しみの果て」をリリースして再デビュー。
1997年7月、シングル「今宵の月のように」がオリコン8位、80万枚を超えるヒット。
1999年、東芝EMIに移籍。
2007年、ユニバーサルミュージックへ移籍。
同年11月21日、34th シングル「俺たちの明日」リリース。
2014年1月11日、さいたまスーパーアリーナでデビュー25周年記念ライブ。
2015年9月23日、47th シングル「愛すべき今日」リリース。オリコン9位で、「今宵の月のように」以来、18年ぶりのシングルTOP10入りとなった。
2017年、NHK紅白歌合戦に初出場。
2018年6月、23rd アルバム『Wake Up』リリース。オリコン4位。
次回の爆音アワーは・・・