ニュース・最新情報
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デフ・レパード、ジャーニーとの新ツアー最初の3公演のダイジェスト映像公開
今月初め、ジャーニーとの北米ツアーを開幕したデフ・レパードが、最初の3公演のダイジェスト映像を公開した。
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デフ・レパード、トム・モレロをフィーチャーした「ジャスト・ライク・73」をデジタル・リリース
デフ・レパードのニュー・シングル「ジャスト・ライク・73」がデジタル・リリースされた。
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デフ・レパード、新曲のホットライン開設
デフ・レパードが、新曲の一部を試聴できるホットラインを開設した。
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デフ・レパードのジョー・エリオット、詐欺メールに警告「俺が君らに金をせびることはない!」
デフ・レパードのフロントマン、ジョー・エリオットが、彼の“なりすまし”がファンから金をだまし取ったことを知り、ビデオ・メッセージを公開し、気をつけるよう呼びかけた。
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デフ・レパードのジョー・エリオット「ヘヴィ・メタルって言葉に異議あり」
英語版ウィキペディアのWeatherman90さん, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由でデフ・レパードのフロントマン、ジョー・エリオットは、デフ・レパードがヘヴィ・メタル・バンドと呼ばれるのが好きではないそうだ。
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ジョー・エリオット、デフ・レパードに加入できたのは「可哀そうに思われたからだろうね」
ジョー・エリオットは、1977年、結成されたばかりのデフ・レパードと初めてセッションを行ったとき、上手く歌えなかったそうだ。
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デフ・レパードとジャーニー、2024年夏に北米でスタジアム・ツアー開催
昨年夏、モトリー・クルーと北米のスタジアムでその名も<The Stadium Tour>を開催したデフ・レパードが、来年はジャーニーと北米スタジアム・ツアーを行う。
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モトリー・クルー、日本公演のダイジェスト映像公開
デフ・レパードと共に、11月3~4日、神奈川・Kアリーナ横浜で日本公演を開催したモトリー・クルーが、そのライヴ・パフォーマンスのダイジェスト映像を公開した。
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デフ・レパード「トミー・リーの前で寝るな」
昨年夏からモトリー・クルーと共同ツアーを開催しているデフ・レパードは、60歳になったモトリー・クルーのドラマー、トミー・リーを“5歳児”と見なしており、彼と一緒のときは警戒モードにあるそうだ。
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デフ・レパード、念願のウェンブリー・スタジアム公演のビハインド・ザ・シーン公開
(C) Ross Halfinデフ・レパードが、モトリー・クルーとUK/ヨーロッパにて開催した<The World Tour>中、7月1日に英国ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行った公演のビハインド・ザ・シーンを公開した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
ブリティッシュ・ハードロックバンド、Def Leppardが最初にPhonogram(U.K.)とMercury(U.S.)とレコード契約を交わしたのは''79年。彼らは現在も同じレーベルに所属している。''80年に1stアルバム『On Through The Night』をリリースし、Leppardはシングル“Hello America”“Rock Brigade”でアメリカに売り込みをかける。続いて''81年、プロデューサーであり実質的な6番目のバンド・メンバーとなるRobert John“Mutt”Langとタッグを組んで『High And Dry』をリリース、このアルバムからは“Bringing On The Heartbreak”というマイナー・ヒットが生まれた。
そして、''83年、彼らはアルバム『Pyromania』でケタ外れの大ブレイクを果たす。“Photograph”“Foolin''”のシングル・ヒットにも後押しされて、このアルバムは1年の大半で週10万枚を売り上げ、最終的には全米で700万枚を超えるセールスを記録する。またバンドはこの年初めてヘッドライナーとして大規模なワールド・ツアーを行なった。
だがその翌年、衝撃的な悲劇が彼らを襲う。''84年12月31日、ドラマーのRick Allenの車がスピードの出し過ぎからクラッシュし、この事故で彼は左腕を付け根から切断されてしまったのである。懸命の処置もむなしく、彼の腕は元通りにはならなかった。
大抵のバンドなら恐らくここでそのキャリアを断つことを余儀なくされたに違いない。しかし、Allenはエレクトロニック・キットを導入して片腕でドラムを叩く術を身につけ、バンドは次作のレコーディングに取りかかる。アルバム『Hysteria』がリリースされたのは、ようやく''87年になってからのことだった。そして、このアルバムが、何ととてつもないモンスター・ヒットに発展する。結果的にはここから7枚のヒットシングルが生まれ、アメリカだけで1000万枚を超えるセールスを記録したのである。
では、ここからLeppardの運は再び一気に上昇に向かったのだろうか?
残念ながらそうではなかった。''91年1月、リード・ギタリストでありオリジナル・メンバーの1人だったSteve Clarkが、バンドの5枚目のアルバムのレコーディングの最中に、アルコール中毒で生命を落としてしまうのだ。
だが驚くなかれ、ショウはまだ続くのである。バンドは4ピースでレコーディングを続け、やがてVivian Campbell(Whitesnake, Dio)の才能に目をつける。Campbellは正式にバンドのメンバーとして迎えられ、彼らは''92年、ウェンブリー・スタジアムで行なわれたFreddy Mercury追悼コンサートで、新ラインナップの御披露目を行なった。
Def Leppardは''92年に『Adrenalize』をリリース。全米チャートに第1位で初登場して5週間首位を続け、彼らにとって最高の売り上げを記録したアルバムとなった。''93年には『Retro Active』(過去10年間に発表されたアルバム未収録曲を集めた作品)がリリースされ、プラチナディスクを獲得する。そして、''95年のグレイテストヒッツ・アルバム『Vault-Greatest Hits 1980-1995』に続き、''96年には『Slang』を発表。このアルバムはバンドのこれまでの作品と比べれば大きな成功を収めたとは言えないが、ともあれ外野が何と言おうと、Def Leppardが乗り越えて来た過酷な運命の試練を思えば、彼らが現在もバンドを続けていることに対しては最高の賛辞が贈られてしかるべきだろう。''99年『Euphoria』の往年のDef Leppardサウンドの素晴らしき再燃もしかり。何しろ彼らは生還しただけでなく、困難に立ち向かう度、見事にその勢いを盛り返しているのだから。
ライブ・コンサート・チケット
- 受付終了
DEF LEPPARD
公演日
2018年10月29日(月)会場
愛知県: Zepp Nagoya
- 受付終了
デフ・レパード
公演日
2018年10月26日(金)会場
大阪府: Zepp Namba
- 受付終了
デフ・レパード
公演日
2018年10月24日(水)会場
東京都: 日本武道館
- 受付終了
DEF LEPPARD
公演日
2015年11月13日(金)会場
宮城県: 仙台サンプラザホール
- 受付終了
デフ・レパード
公演日
2015年11月12日(木)会場
愛知県: Zepp Nagoya