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――2000年に活動を休止した理由は? あの時期、BOSSさんを妙に崇めるような空気があったのが、ひとつの原因にもなっていますか?
BOSS: 「時代は変わる」を出してスパッと止めていなくなることが、リッチ&フェイマスだけを目指してやっているわけじゃないっていう何よりのメッセージじゃないですか。カリスマとか救世主呼ばわりされたことに対するファック・サインでもあったよね。それに旅したかったし、1人でゆっくりリリックも書きたかったし。
――リリックはどの時期から書き貯めていたんですか?
BOSS: 旅に出た瞬間から書き始めてたよ。「TRANS SAPPORO EXPRESS」のTBHサーガの部分なんて最初のラオスの段階で書いてた。先にO・N・Oちゃんが待ってたからね、そこからは狂乱の大爆笑の旅さ。ラオスの奧、ジャール平原っていうレアな遺跡に行ったんだけど、俺ら2人しかいなくてさ。北斗の拳の街みたいな(笑)。そこの空港で俺ら、お別れだったんだ。俺がルアンパバーンに行き、O・N・Oちゃんがビエンチャンに旅立って。
O・N・O: 空港と言ってもね、バス停とグラウンドみたいなところ(笑)。
BOSS: 毎日が驚きと探検の数々。夕焼けがキレイだからもう1日いようとかさ。そんな感じでしたよ。
O・N・O: ギュウギュウのバスに詰め込まれて10何時間も乗ってる辛さも、うけるなっていう…。
――その体験が直接反映されたのが、シングル曲「3DAYS JUMP」?
BOSS: あと、「路上」(M6)だね。旅ってある意味ヒマなんですよ。1日中遊びだからさ。ヒマラヤの山の真ん中にあるカグベニって街はキテたね。チベット仏教が強くて、その世界だけで完結してるっていう。想像を絶する桃源郷だったね。風の谷だった。やっぱり旅はストレンジャーだから。勝手に眺めて次の街に移る通行人みたいな。向こうにしても(俺らのことは)視界に入ってない、どうせいなくなるヤツだしさ。そこが気楽だった。でもやっぱりね、旅したからって人間なかなか変わらんもんですよ。俺は俺だったね。
――そして、そのまま西進してNYCに行き着くんですね。
BOSS: NYCは4回目だし、ハウス(・ミュージック)のパーティに行きまくったよ。12週間通ったキム・ライトフットというDJがやってるブルックリンの小さいクラブ、キャビア・スタジオだと、「TOUCH AND GO」がかかって、最高あがってて右手を挙げたら誰かが俺の手をパシンて掴んできて、振り向くと俺よりデカイ黒人のお姉さんだったり(笑)。プレシャス(・ホール@札幌)と全く一緒だった、かかる曲も上がるところも反応するところも。DJプレイが俺にもシェアされていて、俺のこと絶対わかってる…みたいな。それが、俺がハウスを好きな一番の理由なんだよね。最後に彼に救われてNYCを後にしたんだ。
――2001.9.11のテロの時はNYCにいて何を感じましたか?
BOSS: みんな公園に集まってろうそく並べてジョン・レノンの「GIVE PEACE A CHANCE」を歌ってるんだけど、俺もそこにいて複雑な気持ちだった。次の週アムステルダムに行くと、俺が見た限りは「アメリカが悪いに決まってるだろ」だったよ。で、タイに行くと、タイのヤツらはそんなことに構ってなんかいられない。日本に帰ると、みなさん平和について議論してる。そう考えると、平和とか恋愛とか人生の夢とか考えられるのは、ホントに幸せな生活が保障されている人間だけ。世界には明日どうするかってことしか考えられない人たちの方が実は多かったりする。だから、テロに関しては一言では言えない。俺の人生の指針を決めるのは俺の経験だけだから、俺はその経験に忠実でいたい。だから、俺という人間がこれから生きていく上ではひとつの考える契機にはなったけど、作品には全く影響は出てないです。
――アルバムができた過程は?
BOSS: 基本的にマキシ「FRONT ACT CD」の3曲とアルバム12曲合わせての15曲で1プロジェクトだから。「A SWEET LITTLE DIS」(「FRONT ACT CD」2曲目」)がどこに位置するかというのも、15段ある階段の2段目でしかないという感じで捉えてほしいんですよね。俺ら、最初から順番に作ったんですよ。
O・N・O: 順番通りに(リリックと音を)合体させて、録音も順番通り。
――「A SWEET LITTLE DIS」でのセンセーショナルな話題作りはかなり戦略的に?
BOSS: もちろん、同時に今も変わらず思ってる。でも、実際アルバム全体を聴けばわかるよ。最後の5曲ぐらいまで来た時にもう余計なギミックは全部落ちている。1対1っていうところまで引き込んでいくっていうか。アルバムがだんだん成熟しているのを目の当たりにして、俺らは俺らで上がっていったんだよね。順番に作っていくって新しいよ。
――タイトル『SELL OUR SOUL』に込めた思いは?
BOSS: 俺らは魂を売るのさ、他の誰にもセルアウトしないでリスナーだけにね。
――収録曲についてですが、「ウルトラC」はTBHらしくないアップテンポですね。
BOSS: テクニック誇示だよね。ビエンチャンはラオス、エンカルナシオンはパラグアイの第2の都市で、どっちもネタを持ってるのはいいけど売るのはダメ。その「売るとらしい」さ(笑)。BPMが結構速いのは「スクリュードライマー 」(Audio Active)が大きくてさ。ライム力っていうか。
O・N・O: そういうのやりたいんなら早く言ってよって。俺のトラックでやったらこうだよっていうね。
――「29 TO THINK」はリズムが面白い。
O・N・O: ピッタリ1分の曲。1秒間隔でカウントしていくとBPMを120か60にしなきゃなんない。でもそれだとスネアのタイミングでカウントしていくことになって面白くないから、3拍子にしてBPMを75にしたらいいんじゃないかと。じゃあ途中であげるかって言ったところがたまたま29で。
――この曲に限らず、O・N・Oさんのトラックが前作より飛躍的に進化してますよね。今回からはコンピュータを導入したとのことですが。
O・N・O: 基本的にはMPC60なんだけど。結局、サンプリング・タイムが決まっているから、サンプラーに落とすまで前より時間かけて作り込むようになったかな。素材を自分で弾いてリサンプリングしたり。厳密に言えば、ヴァースというか1小節毎に変えてる。
BOSS: O・N・O博士の異常な愛情さ。
――「路上」は、ある設定の下でストーリーテリングを紡いでいく「未来世紀日本」の別ヴァージョンみたいな曲ですね。
BOSS: スキーもラム(リリックに登場する人物)もネパールで仲良くなった実在するプッシャーの子供なんだ。「グラム2000で喜んでうなずいた日本人」ていうのが俺さ。「スキーの金庫の金を盗もう」ってラムが言うところから俺が作ったストーリー。ネパールを旅した者にとっては思い切り浮かぶ路上の光景だよね。
O・N・O: 一番最初に仲良くなる現地人ってプッシャーじゃないかな。 BOSS: あまりにも現実が悲惨で、あの結末しか想像つかなかったんだ…。
――後半はフィクションなんだけど、限りなくノンフィクションに近いと?
BOSS: 残念ながらね。世界中どこにでもある話。帰る日にマイクつけて歩いたんだ、曲に入ってるのはまんまプッシャーの声。だから、曲聴いたら痛々しいぐらいのリアリティが出てるんだよね。カルマっていうのもネパールの人たちは来世のためだけに今苦しんでいるっていう考え方が強いし、カーストもあるし、その慣習を信じて生きている人も多い。
――日本の生温い日常からすると逆にフィクションとして聞こえてしまう恐さもありますね。
BOSS: だから『七人の侍』を見るようによくできたアート、エンターテインメントとしての機能を合わせ持たせたというか。政治的な意味なんて全くないし、日本人もちゃんと生きるべきだ、なんてさらさら言う気もないし。書いた時点で俺のもんだからさ。 ――O・N・Oさんはこのトラックを作るに当たっては?
O・N・O: (イントロの不協和音は)俺の中では新しい試みだったかな。あとフィールド・レコーディングしたものを入れてみたり。映画を観ている感じでサントラを意識して作った。実際、その風景を見てるからさ。ある意味「未来世紀日本」みたいな作り方。
――「I’M PRIVATE ARMY」は、自分自身に向き合う「ILL-BEATNIK」につながる路線ですね。
BOSS: そう、極点、一番深いところ。1対1というところに持っていくには、自分をじっくり掘り下げる時間を通らないと説得力ないでしょ。俺は自分を知るために音楽を聴くという要素が強いから。
O・N・O: 内省的なリリックをそうじゃないトラックで聴かせようかなとも思ったんだけど、一緒に揃えた方が結果的によかった。
――例えば、パンクってニヒリズムの側面がありますよね? 現実を否定したりシニカルに見たり。BOSSさんにはそれがないですよね。
BOSS: 俺はニヒリズムではない。誤解されるんだけどね。
――なんでなのかな~と不思議な気もするんですよ。
BOSS: 感動屋さんだからさ。感動っていうのを信じてるから…ニヒリズムには陥らないんじゃないかな。
――パンクは聴いてましたか?
BOSS: ラフィン・ノーズから始まって最後はディスチャージまでいったよ。シド・ヴィシャスも大好きだし。でも彼らはニヒリズムじゃないよね。俺は自分の出した答えをラップの中でひけらかす人間だけど、インテリのニヒリズムではない。奇跡なんてものは世の中にはないけど、フロアで感動する瞬間に多々直面すると、奇跡もありうるかもって思うんだ。 ――’60~’70年代の音楽が持つ思想なり運動なりに影響を受けていると思いますか?
BOSS: 音楽的な影響はメチャメチャ受けたけど、思想的な部分は受けてない。よくここまで音楽だけで突き詰めたなって驚嘆しているだけだよ。
――やはりそこは感動屋さんなんですね(笑)。最後の曲「サイの角のようにただ歩め」というのは?
BOSS: これはブッダから。人間は孤独でひとりで生まれてひとりで死ぬっていうこと。
――リリックに「モンテネグロ、メルボルン」って出てきますね。
BOSS: ユーゴスラビアのモンテネグロに“ファイナル・フロンティア”っていうラジオ局があって、そこで結構ヘヴィ(・ローテーション)だった時もあったんだ、俺ら。メルボルンにも似たようなラジオ局があって。今、海外の有名どころにガンガン皿を送ってる。だから英訳をつけたんだ。世界で通用するしないとかディストリビューションどうするってことじゃなくて、まず俺らの作品で殺したいだけ。アメリカに着いて、入国検査で「何しに来た?」って訊かれて、俺は「リサーチだ」って言ったから(笑)。 ――反応は来てます?
BOSS: まだない。これからゆっくり待ちますよ。 ――現在進行形のヒップホップに関してはどう思いますか?
BOSS: 国内には興味は湧かない。日本の場合、海外から送られてくるヒップホップを既にアートとして見るじゃないですか。NYCにいるとヒップホップがもっと切迫感を持って存在するから、そこでカンパニー・フロウが革新的だって言っても、ブルックリンにいる黒人から見ればオタク臭いっていう側面もあるんだよね。それより、ファット・ジョーやウータンに決まってるじゃんみたいな(笑)。でも、俺らもそう見られるから、変化を求めない人たちにとってはね。どこも変わらないなってことさ。 |