伝説のブリッジ・バトル
| ▲KRS-ONE | '80年代後半、ニューヨークのブロンクスを拠点とするKRSワン率いるB.D.P.一派と、クイーンズ・ブリッジを拠点とするMCシャン&マーリー・マール率いるジュース・クルーによる、ヒップホップ・シーンを代表する伝説のバトル。通称"ブリッジ・バトル"。
MCシャンとマーリー・マールがリリースした曲「The Bridge」の中で、クイーンズ・ブリッジをリプレゼントしたことに対し、勝手に(?)激怒したB.D.P.がヒップホップを生んだ街、ブロンクスを讃えつつクイーンズ・ブリッジをディスした曲「South Bronx」をリリース。それに対しMCシャンは「Kill That Noise」を出し、それにB.D.P.は「The Bridge Is Over」で応戦する。ジュース・クルー側にミスター・マジック、B.D.P.側にレッド・アラートという人気ラジオDJが各々サポートし、さらにバトルは加熱していく。
| ▲Marley Marl | ロクサーヌ・シャンテ(もともとブリッジ・バトルは、シャンテとシャンテに対抗してデビューしたスパーキー・Dとの争いが火種、なんて説もある)が「Have A Nice Day」を出し、ジュース・クルー勢も対抗するが、なぜかフィラデルフィアのヒルトップ・ハスラーズからも「Juice Crew Dis」をリリースされ、形勢がB.D.P.側に傾いていく。そしてB.D.P.の「I'm Still #1」で勝負は決定的に。
オリジナル・メンバーのスコット・ラ・ロックが殺害(バトルとは無関係)されたこともあり、B.D.P.は「ストップ・ザ・ヴァイオレンス・ムーヴメント」を起こし、一方ジュース・クルーもビッグ・ダディ・ケイン、ビズ・マーキー、マスターエースらクルーの面々のデビューにより、慌しくなったせいか、数多くの名演を生んだバトルは沈静化の方向へ。ひとり取り残された(?)MCシャンは、新たにL.L.クール・Jを標的にし、「Beat Biter」をリリース…。しかし、'95~'96年頃にスプライトのCMで両者が共演したことで正式に手打ちとなり、それがきっかけでジョイント・ライヴも行なわれたとか。スゲェ! |
注1:ランD.M.C.には「Queens Day」や出身のHOLLISを歌った「Hollis Crew(Krush-Groove 2)」、「Christmas In Hollis」という曲が、またL.L.クールJも「Hollis to Hollywood」、「Queens Is」という曲がある。
注2:クイーンズ出身なのはラッパー/プロデューサーのラージ・プロフェッサー、DJのサー・クラッチ&K・カットの兄弟はカナダ出身。彼らの代表曲「Live At The BBQ」にはナス、アキネリ、ジョー・フェイタルら、当時のクイーンズ・アンダーグラウンドMCSが参加している。
注3:DJポロとのコンビでの最後のアルバムとなった『Live And Let Die』は西のプロデューサー、サー・ジンクスを起用。アイス・キューブや、スカーフェイスら西~南部のラッパーが参加している。しかし出身地でもある111ストリートを歌った「Ill Street Blues」という曲も収録しており、決してクイーンズを忘れているわけではなかった。 注4:彼もブルックリン出身。しかしイーストN.Y.繋がりもあった、もともとクイーンズとブルックリンの関係は深い。クイーンズのグループ、サード・ベースの曲にも「Brooklyn-Queens」という曲があるくらい。 注5:ソロMCとして、またPHDというグループで古くから活動していたポエット、彼の従兄弟のKL、KLとのユニット、カマカゼでナスとも共演したソロ、PHD作にも参加しているホスタイルの4人組 。 |
| ニューヨーク、マンハッタン島の東に位置する地区、クイーンズ。ブルックリンとブロンクスに挟まれたこの地も、ヒップホップ・シーンを語る上では外せない重要ポイント・聖地だ。 あまり語られることは無いが、ランD.M.C.やL.L.クールJ、ソルト・ン・ペパら大御所たちも同地の出身である(注1)。 しかし、シーンにおいて"クイーンズ"という地を決定的に印象づけたのは、その地をリプレゼントし、また体現してみせたヤツらジュース・クルーの出現だった。マーリー・マール率いるこのクルーからはクール・G・ラップ・アンドDJポロやビッグ・ダディ・ケイン、ロクサーヌ・シャンテ、ビズ・マーキーら、多くのアーティストを輩出(とは言えケインはブルックリン、ビズはアップタウンの出身だったりする)しただけでなく、ブロンクス代表ブギ・ダウン・プロダクションズとのブリッジ・バトルで、"クイーンズ"の名をシーンに深く浸透させた。 バトル後、ジュース・クルーから飛びだした多くの連中は着々と成功を収めていくが、クイーンズ色は薄まっていき、シーンでその名が出てくる機会も少なくなってきた。メイン・ソース(注2)やオーガナイズド・コンフュージョン、アキネリらヒップホップ史に名を残すクラシカルなアーティストが出てきてはいたものの、アンダーグラウンドすぎたため、クイーンズ隆盛とまではいかず…。 そんな状況下、現われたのが御存知ナス! 最高峰のリリシストとしてクイーンズを強くリプレゼントしたナスが、'94年に名盤として語り継がれる1stアルバム『Illmatic』をリリースしたことで、再び同地に注目が集まる。
| ▲Mobb Deep | 翌年'95年にはモブ・ディープも登場し、彼らが同年リリースした2ndアルバム『Infamous』は、『Illmatic』同様にクイーンズの息吹を封じ込めたようなサウンド~ストリートのヤバイ空気や緊張感が立ち込めたトラックに、血生臭いハードボイルドなラップ・スタイル、プロジェクト(低所得者用集合住宅で、ナスもモブ・ディープもそこの出身)のリアルな生活を描写したリリックで絶大なプロップを集め、クイーンズ・ヒップホップの盛り上がりは加速していく。 クイーンズ復活の勢いに乗り、シーン最前線へとカムバックを果たしたのがクール・G・ラップだった。グループ後期は西海岸へ移転(注2)していた彼も、ナスとのジョイント「Fast Life」を収録したソロ・アルバム『4,5,6,』をリリース。そして『Illmatic』へ参加していたラッパーAZ(注3)やマイク・ジェロニモ、ロイヤル・フラッシュ、ロスト・ボーイズらがデビュー。 モブ・ディープの周辺からもビッグ・ノイド(現ノイド)、ロイヤル・フラッシュと従兄弟同士のカポーン・ノリエガ、古くはスーパー・キッズ、またはインテリジェント・フッドラムとしてジュース・クルー周辺で活動していたベテランMCトラジディら次々と新しい才能が世に出ていき、クイーンズはヒップホップ・シーンの聖地として確固たる地位を築いた。 近年もクイーンズ最強スクリューボール(注4)、ナス率いるファームへも参加したネイチャー、また初期ファームのメンバーでもあるコーメガなどなど、クイーンズ・ハードボイルドの血を受け継ぐ連中がデビューし、シーンを熱く盛り上げている。 そして2001年12月にナスが新作『STILLMATIC』を、そして2002年1月にはモブ・ディープが新作『INFAMY』をリリースし、クイーンズ・ヒップホップの勢いは止まらないのだ! | |