アリーナ級の会場を包み込んだ陰鬱な「ラスト・ワルツ」

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アリーナ級の会場を包み込んだ陰鬱な「ラスト・ワルツ」

Smashing Pumpkinsはバンドの解散にあたって、その最後の公演を故郷であるシカゴで行なった。会場には巨大なアリーナと、それとは対照的だが、バンドが駆け出しの頃に出演していた小さなクラブが選ばれた。

すでに、12月2日にクラブ「Metro」で行なわれたラストライヴのレポートは速報でお届けしたが、このレビューはそれに先駆けること11月29日、アリーナ会場であるUnited Centerで行なわれたライヴの模様である。

 

空から炎が降ってくることはなかった。東から星が現われることはなかった。Billy Corganが、すべてはひどいジョークだったと宣言することもなかった。実際のところSmashing Pumpkinsの最後から数えて2番目のコンサートは、ステージ上と観客の中の両方に多くのメランコリーと無限の悲しみを残して終わったが、そのために世界が大きく変化するということはなかった。United Centerという巨大な会場に世界中から集まったファンたちは、“オルタナティヴロック”の定義に一役買ったバンドの1つが、最後に何か奇跡的な偉業を成し遂げるのを期待していたようだ。しかし、演奏自体は満足できる出来だったものの、最後には観客はむしろ陰鬱な「ラスト・ワルツ」を聴き終えた気分だったろう。

スモークマシーンと、ドラムンベースにブルガリアの女性シンガーをミックスしたDJによって、ショウのムードは始まる前から盛り上がっていた。そこへCorganが屠殺屋のスモックとフランシスコ修道会の僧侶のローブをかけあわせたような衣装を着て登場し、James Iha、Jimmy Chamberlin、Melissa Auf Der Maur(より目立つ血のように赤いイヴニングドレスを着ていた)が彼に続くと、観客は爆発した。しかし、Corganとバンドは爆発的なオープニングを飾るのではなく、『MACHINA/The Machines Of God』とインターネットだけでリリースされた最新作『Machina II:The Friends And Enemies Of Modern Music』からの曲ばかりという地味な第一部を決然と展開した。それらの曲を聞いていると、名声だけでなくバロック的なスタイルの面においても、このバンドが12年間で到達した遥かな道のりを思わずにはいられなかった。Pumpkinsは2人のキーボード奏者に扇動されるかたちで、'91年のデビューアルバム『Gish』のポップメタルからは想像もつかないような、壮大なレベルにまで到達したのである。おそらくはそれが、今やバンドを解散に至らせた感情的な負担の兆候だったのだろう。

Pumpkinsをとらえていた暗いムードから彼らが自由になったのはショウの第二部に入ってからのことで、「Zero」「Heavy Metal Machine」やDavid Essexの「Rock On」といったエネルギッシュなナンバーが連発された。しかし、コンサートが終盤に近づくにつれて、再び感情が高まっていった。Corganの父親であるBilly Corgan Sr.がバンドに加わって、2人の妻と母親である女性に捧げた「To Martha」を一緒に歌ったのだ。そして若さに溢れた回想録、「1979」の素晴らしいヴァージョンをはじめとする何度かのアンコールに応えた後、バンドはステージを去り、残された観客はその最期を悼んだのだった。

多くのファンが涙を流していたが、大半はその場に居合わせられたこと、そしていつの日かそのことを孫に話せることに満足していたようである。だから、ショウの内容がそれほど際だったものでなかったとしても問題ではない。とにかく最後なのだ(もちろん、ラッキーにも12月2日に街の反対側の小さなクラブ、Metroで行なわれる“本当に”最後のショウのチケットを入手できたのなら話は別だ。しかし、チケットはすでに売り切れ、eBayでも1500ドルにまで高騰しているのでおそらく無理だろう)。

12月2日(土)に行なわれた、「“本当に”最後のショウ」のレヴューはこちら

 

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