【インタビュー】INABA/SALAS、5年ぶり3rdアルバムに果てない追求心と豊かな遊び心「互いの個性を融合させたい」

■この年齢になるともう会えなくなってしまった人も
■でも、さよならだけじゃなくて自分次第でまた会える
──では、先ほど少し話が出た「DRIFT」についてもう少し詳しくうかがいますが、デモを聴いたときはガチなR&Bだったということでしたね。
稲葉:最初はドラムとかリズムも、もう少ししっとりした感じだったんです。完成形はラウドなドラムになって、歌も含めて全体的にダイナミックな感じに仕上がりましたね。
サラス:「DRIFT」はKOSHIにデモを聴かせたら「いいね!」と言ってくれて、すぐに歌詞も書き始めてくれたことに驚いたんだよ。さらに嬉しかったのは、ボーカルレコーディングのときに彼は、シールみたいに歌い始めたんだ。俺は世界中のいろいろなアーティストと仕事をしているけど、INABA/SALASの曲はアメリカはもちろん、フランスやオーストラリア、ドイツをはじめ、自分の周りにいるいろいろな国の人から「最高だ!」と言われるんだよ。日本語だから歌詞の内容の詳細までは分かってないと思うけど、日本人のロックという感覚ではみんな聴いてなくて。ニルヴァーナやシールを聴いている感覚で聴いてくれてる。それがすごく嬉しいよね。KOSHIが世界的なレベルの素晴らしいシンガーだということを、もっと海外の人に知ってもらいたい。それが実現できる曲だね。
──稲葉さんがワールドクラスということに全く同感です。それと、サウンドとプレイ面の少し細かい部分ですが、「DRIFT」はベースのニュアンスが素晴らしいですね。
サラス:このベースに関しては、クレイジーなストーリーがあってさ(笑)。カナダのトロントにいたとき、たまたまバーですごくファンキーなシンセベースを弾く少年と出会ったんだ。あまりにも素晴らしかったから、彼をスタジオに連れていって、「この曲にシンセベースを入れてくれ」って、何回も何回も…結果、8時間も弾かせてしまった。彼は俺のことをすごく憎んでいると思うよ(笑)。しかも、そんなに頑張ってくれたのに、俺は彼の素性も知らず名前も忘れてしまって、アルバムに彼の名前をクレジットできなかったんだ。
稲葉:それは嫌いになるわ(笑)。
サラス:ははは! そうなんだよ。そのときにギャランティーだけはキャッシュで払ったのが、せめてもの救い。
稲葉:8時間かけただけあって、僕もこのシンセベースは素晴らしいと思いますね。

──楽曲のメロウさをより増幅させていますね。それにしても8時間とは。
稲葉:スティーヴィーは特にリズム面に厳しくて。ドラムとベースはチューニングから演奏ニュアンスも含めて、スタジオで何時間も煮詰めるんですよ。僕なんかはもう、最終的には違いが分からなくなるくらい(笑)。それほどリズムに強いこだわりを持っているんです。だからこそ、このグルーヴなんですよね。
サラス:INABA/SALASではとにかく、女の子が踊りたくなるような曲を作ることを意識しているんだ。踊りたくなるような曲が作れればたくさんの女の子がライブに来るし、そうすれば自然と男もついてくるだろ(笑)。だからリズムはすごく大事にしているよ。
──リズム面に限らず、『ATOMIC CHIHUAHUA』収録曲は一見ストレートのようでいながら、各楽器の音色や配置、鍵盤やコーラスの使い方などが非常に緻密で、結果、サウンドに深みをもたらしています。
稲葉:細やかに録って、最終的にそれを素晴らしいバランスでミックスするから、全部の音がしっかりと活きていますよね。スティーヴィーはそこまでこだわるんです。
──ギターフレーズやサウンドも細やかで、たとえばユニゾンパートの2本のギターの質感を変えたりしていますよね。それに「EVERYWHERE」の始まりで、一発だけトレモロをかけたコードを鳴らすなど──
サラス:いや、それは俺じゃないんだ(笑)。
──えっ?
サラス:ミックスエンジニアのティム・パーマーがエフェクトを後掛けしてくれたんだよ。ティムはデヴィッド・ボウイとかU2とかも手掛けた有名なエンジニアで、俺の友人でもある。俺たちが「自由にやっていいよ」と言ってることもあって、彼はINABA/SALASのミックスをするのがすごく好きなんだよ。いつも良いアイデアを注入してくるから、俺たちも、ワオ!ってなるんだ。
稲葉:ティムは歌もすごくイジるから、ミックスの仕上がりがとても楽しみなんです。もちろん彼のやることを全部活かしているわけではなくて、イメージと違うときは修正しますけどね。ティムに限らず、誰かが良いアイデアを出したら、僕らはこだわりなく使うんですよ。触発されるようなことがいっぱい起きている。そういう環境だとすごく盛り上がりますよね。それは素晴らしいことで。
サラス:やっぱり最高の仲間が周りにいることが大事だよね。俺たちがこんなことを言っていると知ったら、ティムは調子に乗るかもしれないけど(笑)。
稲葉:(笑)。
──デヴィッド・ボウイの名前が出ましたが、「EVERYWHERE」のギターソロや「ONLY HELLO part2」のイントロなどにデヴィッド・ボウイっぽさが感じられたんです。
サラス:まさに。俺は子供の頃からミック・ジャガーとロッド・スチュワート、そしてデヴィッド・ボウイと演奏するのが夢だった。それくらいデヴィッド・ボウイには影響を受けているんだよ。ミック・ジャガーとロッド・スチュワートとの共演は叶ったけど、残念ながらデヴィッド・ボウイだけは一緒にプレイできなかった。会って話したり、食事したことはあったんだよ。だから「彼のバンドのギタリストが抜けたとき、きっとボウイから電話がかかってくるよ」って言われていたし、俺はミック・ロンソン、カルロス・アロマー、ナイル・ロジャース時代の曲も全部プレイできるから、準備が整っていたんだけどね。彼が病気で亡くなった後のトリビュートコンサート<A Bowie Celebration>ではガッツリ弾かせてもらったよ。本当に敬愛しているし、デヴィッド・ボウイのアイデアから触発されたところはかなりある。
──今話題に出ましたが、アルバムを締め括る「ONLY HELLO part1」と「ONLY HELLO part2」についても話していただけますか?
稲葉:“part1”と“part2”の2曲に分かれていますが、もともとの構想は一つの楽曲だったんです。冒頭でお話した「今回のツアーのために、新たに1曲作ろうよ」って話したときの最初の曲がこれだったんですよ。
──8年ぶりに開催されるライブツアーのタイトルが<Never Goodbye Only Hello>です。このタイトルには、“互いに長年に渡り音楽活動を続ける中で、出会えた全ての人に感謝し、たとえ会うことが叶わなくなってしまった人でも、自分の心の中ではいつでも会える。実体としてはGoodbyeでも、自身の心を通じて会えるからHelloしかない”という意味が込められているとか。
稲葉:スティーヴィーと一緒に仕事をしてきた中でいろいろな人と出会ってきたけど、この年齢になると亡くなってしまった人や、もう会えなくなってしまった人も増えてくる。でも、“さよなら”だけじゃなくて、音楽家であればその人が作った音楽を聴けば蘇るし、夢で会うこともできる。自分次第でまた会いたい人に会える。つまり、“ONLY HELLO”をコンセプトにした曲を作ろうよ、という話になってできた曲です。
──それが2曲に分かれたのは?
稲葉:スティーヴィーが、コード進行の断片やヴァース(サビを除く導入部分)のメロディーを送ってくれて。それが“part1”の部分に活かされているんですけど、それを聴いた僕が別のメロディーを入れて送り返したら、「これもいいね!」っていうことになり、それも膨らませていって。その後、スタジオに入って曲を煮詰めていったら、もともとアウトロとして考えていた“part2”の部分が壮大になって。最終的に2つの曲に分けちゃおうということになったので、“part1”と“part2”なんです。
サラス:俺はテキサスで、KOSHIは東京で、それぞれの頭に全然異なるアイデアが浮かんでいたわけで。最初はどうしようかなと思ったんだけど、昔の名作アルバムには2曲が対になっているようなコンセプチュアルな曲も入っていたよね? たとえばビートルズの「イエスタデイ」みたいな美しい曲も書きたいけど、俺たちはヒットシングルを作っているわけではない。だったら、2曲に分けるのも面白いんじゃないかと思ったんだよ。12分の曲にはならなくていいよね、ということで(笑)。
──メロディアスで切ない“part1”、ゴスペルが香る“part2”といった2曲が共に上質なことに加えて、多くを語り過ぎていない歌詞も秀逸です。
稲葉:エモーショナル過ぎるとトゥーマッチになってしまうので、それは避けたいというのがあって。聴いてくださる方が、その人なりに行間を膨らませてくれるのがベストだと思っているから、いい塩梅で伝わるバランスを目指しているんです。「ONLY HELLO part2」は、実は最初、日本語の歌詞はなくて、英語を延々リフレインするという形だったんですね。レコーディングはその形で完成しかけたけど、スティーヴィーがテキサスに帰ってから「このパートは日本語の歌詞を書いてほしい」と連絡してきたんです。“こういうことを歌って”みたいな要望はなかったけど、日本語で入れてほしいと。そのリクエストを受けて後から付け足すということをした曲ですね。
──トゥーマッチにしないというスタンスが、日本語が加わってもくどくならないものにしているんでしょうね。それと、今回のアルバム『ATOMIC CHIHUAHUA』は、「YOUNG STAR」「Burning Love」「LIGHTNING」といったアッパーチューンから制作がスタートしたのかな?と勝手に想像していたのですが、「ONLY HELLO」からだったというのは興味深いです。
稲葉:スタジオに入ってから最初に作業に取りかかったのはアッパーな曲でしたけど、曲作りの始まりは「ONLY HELLO」でしたね。アッパーチューンを何曲か形にしつつも、その後で「ONLY HELLO」に取り掛かることが最初から頭にある状態で進行していたので、それも良い方向に作用した気がします。
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