【インタビュー】リーブル、進境著しいツインボーカルユニットが物語る次世代POPS「聴き手を鼓舞したいという気持ち」
みゆうと木下陽介からなるポップスユニットがリーブルだ。2020年に自主制作で初音源を発表して以降、エレクトロサウンドを軸にしつつも多彩なジャンルを取り入れた音楽性で進化を続けてきた。
◆リーブル 動画 / 画像
SNSでデモやカバー曲を多数アップするなど積極的にアウトプットを続ける中、12月25日、新たにリリースされる配信シングル「空中ブランコ」は、さまざまな試行錯誤を経たからこそ生まれた極上のポップス。編曲には西野カナやSixTONESをはじめ数々のアーティストに携わるNaoki Itai(MUSIC FOR MUSIC)を迎えた。きらめくサウンドに思わず身体が揺れ、優しいメロディが誰しもの心を温かくしてくれる。
二人にとっても新鮮な1曲はどのようにして生まれたのか? 結成秘話からそれぞれのルーツ、この先の展望まで、多くの可能性を秘めたリーブルに話を訊いた。
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■陽介くんの曲は世界観がいいし歌詞が斬新
■純粋にみゆうちゃんの歌が素晴らしい
──最初から、お二人のユニットとして活動が始まったんですか?
陽介:そうです。同じ音楽学校(国立音楽院)在学中に結成したユニットで。結成のきっかけはしょうもない理由なんですけど(笑)……学内にすごく知られている別の男女ユニットがいて。ちょっと優遇されてるようで悔しいから、自分も何かやりたいと思っている中で、みゆうちゃんと意気投合して結成したんです。二人とも負けず嫌いだったので。
みゆう:結成前は全然喋ったこともなかったんですけど、本当に「ちょっと悔しいから、私たちも曲作ってみたらよくない?」みたいななんとなくのノリで(笑)。今聴いたら恥ずかしくて穴に入りたくなっちゃうようなレベルの楽曲ですけど、結構短い時間でいろいろ作りました。
──努力のエネルギーの源は、ポジティヴなものよりもネガティヴなもののほうが強いといいますよね。
陽介:その時はとにかく、学内でひとつ結果を残したいっていうところに焦点を当てていたんですよね。結果、それを果たすことができて。卒業後も続けようかということで、校外のライブに二人の弾き語りユニットで出演したりしながら、今に至ります。
──結成時点でリーブルというユニット名だったんですか?
陽介:いや、最初はみゆうと陽介で“みゆすけ”っていう、めちゃめちゃ学内ユニットっぽい名前でした(笑)。校外のライブに初めて出演した時に、シンガーソングライターの川崎鷹也さんと知り合って、「CD作りなよ」とかいろいろ話をしてくださったんですよ。「CDを作るなら、みゆすけはさすがにヤバイ」となって(笑)、リーブルという名前にしました。フランス語で“自由”という意味です。スペルがLibreだと自由という意味で、Livreだと硬貨を表す言葉なんですけど、パッと読めないユニット名は嫌だなということもあって、カタカナ表記にしています。
──ユニットのコンセプトや軸は徐々に出来上がっていったと思いますが、音楽性も曲を作りながら探っていくようなイメージだったんですか?
陽介:なんなら今もずっと探り中ですけど(笑)。
みゆう:二人とも洋楽が好きだったり、基本的な音楽の趣味は合うんです。だけど、曲を作るとなると、また違ってくるんですよね。陽介くんから「こういう曲が好きなんだよね」って聴かせてもらっているうちに、だんだん二人のやりたいことが重なったきた感じです。
──作詞作曲は主に陽介さん?
陽介:これまでリリースした楽曲は全部そうです。もともと僕は、音楽学校入学時はボーカル志望だったんです。入学してバンドを組んでライブ活動をして…みたいな夢を見てたんですけど、それだけじゃダメだなと思って、作曲の勉強も始めました。3歳からクラシックピアノを習っていたのが少し役に立っているくらいで、作曲方法はほぼ独学です。
──初期音源からして完成度が高いので、まだ作曲歴が浅いというのは意外です。
みゆう:そうですよね。陽介くんの曲は世界観がいいし、歌詞が斬新だなと思っていて。曲がいいからこそ、レコーディングも“歌入れ、がんばろう!”という気持ちで今までやってきました。
陽介:ただ、最近はデモ作りからみゆうちゃんが参加することも増えていて。今後は、みゆうちゃんが曲を作ったり、僕の曲にみゆうちゃんが歌詞を書いたりしてもいいと思っています。デモごとにどの形が一番しっくりくるか、考えながら奮闘しているところですね。
──みゆうさんは、もともと歌が好きで音楽学校に?
みゆう:そうです。幼稚園の頃からずっと歌が好きで、母親と車に乗った時に、カーステレオから流れる音楽に合わせて歌ったりしていました。中学で吹奏楽部に入ったあたりから本格的に音楽を興味を持って、高校では軽音部に入って。そこから“音楽で食べていけたらいいな”という夢がフワッと生まれてきたんです。
──その頃はどういうアーティスト好きだったんですか?
みゆう:マイケル・ジャクソンがとにかく大好きで、それこそ母と一緒に車の中でほぼ全曲歌ってました。適当な英語でしたけど(笑)。今でも一番好きですし、ずっと聴いています。あと、ブルーノ・マーズも好きで、今年のライブにも行きました。そのあたりのファンクをよく聴きますね。
──陽介さんは?
陽介:一番影響を受けたのは宇多田ヒカルさんですね。楽曲を作る時以外に聴くのも、宇多田ヒカルさんが多いです。小学校とか中学校時代はスポーツ少年だったので、音楽に触れたのは親が聴いていたB'zくらいで。本気で音楽を意識し始めたのは、大学時代のアカペラサークルでメインボーカルをとった時にすごく楽しくて、そこで“音楽で食べていきたい”という夢が生まれたんです。
──大学を経てから、音楽学校に入ったということですね。
陽介:そうです。負けず嫌いだから、大学のサークル時代にボイトレに通ってたんですけど、そのボイトレの先生が「音楽やるべきだよ!」と言ってくれて。たぶん営業トークだったと思いますけど、それで調子に乗って音楽学校に入ったという(笑)。音楽に入り込んだカッコいい理由とかはないんですよ(笑)。
──ははは。でも、お二人が歌えるというのは、ユニットとしての大きな武器ですよね。曲によって歌い分けのバランスが違いますが、どちらがメインで歌うかは曲作りの段階で決めるんですか?
陽介:いろいろなパターンがありますけど、基本的に僕はボーカルとしてみゆうちゃんをリスペクトしているので、彼女に歌ってほしいという気持ちが大きいです。だから、7:3ぐらいのバランスかな。たまに、どうしても自分で歌いたいメロディが降ってきたら、自分が歌う割合が増えますけど。
──“歌で食べていきたい”と思っていたのに、ユニットを組んで譲る心が生まれてきたんですか?
陽介:よく言われます(笑)。自分のボーカルの師匠にも「もっと歌いなさい」と怒られるんです。だけど、やっぱり一緒にずっとやってきた中で、純粋にみゆうちゃんの歌が素晴らしいと思っていて。みゆうちゃんへの嫉妬心もあったかもしれないけど、こんな素敵なボーカリストが自分の曲を歌ってくれることに快感を覚えてきたんじゃないでしょうか。
──コンポーザーとしての喜びが、ボーカリストとしてのエゴに勝ったんですね。
陽介:そうですね。みゆうちゃんの歌は抑揚がすごくいい。音程をちゃんと当てるとかは当然として、子音から母音につながるところが丁寧だったり、僕が到達していない領域までいってるんです。歌のデータが届くたびに、“いいな~”って興奮してますね。
みゆう:そうなんだ(笑)! 普段、細かい感想を言ってもらうことがないから、そんなことを思ってたなんて知らなかった。デモはいつも宅録で、陽介くんの前で歌ってるんですけど、「はいOK。じゃあ次~」みたいに淡々とした感じなんですよ。
──「こういうふうに歌って」というボーカルディレクションもあまりないんですか?
みゆう:基本的に私が好きなように歌って、陽介くんのボーカルがそれに合わせてくれるような感じです。合わせてくれているから、掛け合いで歌うところもいい感じに仕上がるんだろうな。だからこそ、私が芯を担えるように、しっかり歌おうという気持ちです。
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